田園楽 七首 其一 田園の楽しみ 七首 其の一 王 維
出入千門万戸 千門万戸に出入しゅつにゅうし
経過北里南隣 北里南隣を経過けいかする
躞蹀鳴珂有底 躞蹀として珂 を鳴らす底 か有る
崆峒散髪何人 崆峒こうとうに髪を散ずるは 何なに人ぞ
あそこの邸こちらの館に出入りして
北へ南へ 近隣を押し通る
しゃらしゃらと玉の轡を鳴らしてゆくが 意味があるのか
崆峒にざんばら髪がいるという 何者か
「田園楽七首」は六言四句のめずらしい詩です。
六言の句は二言の積み重ねになりますので、啖呵を切るような歯切れのよい詩になります。この詩には、「筆を走らせて成る」という題注が付されており、即興で作ったという意味でしょう。
其の一はいまの世にときめく人を皮肉った詩で、「躞蹀」しょうちょうは鈴や玉の鳴るようすです。「崆峒」は『荘子』に出てくる伝説の山ですが、終南山にある岩窟のひとつとも考えられています。
そこにざんばら髪の隠者が棲んでいるというのですが、王維自身のことを言っているのかも知れません。
田園楽 七首 其二 田園の楽しみ 七首 其の二 王 維
再見封侯万戸再見 して万戸の侯 に封ぜられ
立談賜璧一双 立談して璧一双たまいっそうを賜う
詎勝耦耕南畝詎 ぞ勝らん南畝に耦耕 するに
如何高臥東窓 如何いずれぞ 東窓に高臥こうがすると
二度ほどお目通りして万戸の侯になり
立ち話をしただけで 璧玉一双を下される
南の田圃を耕すよりもいいことか
東の窓辺で休むのと どちらであろう
其の二の詩も当時の官界の軽薄なようすを皮肉っています。
人は簡単に万戸侯に封ぜられ、璧玉へきぎょくのご褒美をもらっているが、田園に閑居するのと比べて、どちらが幸福なのかと疑問を投げかけています。詩中の「南畝」なんぽは「東窓」とうそうと対句になっていますので、方向にこだわる必要はありませんが、南・東とあったほうが、なんとなく具体性があり、明るい感じが出るようです。
田園楽 七首 其三 田園の楽しみ 七首 其の三 王 維
採菱渡頭風急 菱を採とれば 渡頭ととうに風急に
策杖村西日斜 杖を策つけば 村西そんせいに日斜めなり
杏樹壇辺漁夫 杏樹壇辺きょうじゅだんへんの漁夫
桃花源裏人家 桃花源裏とうかげんりの人家
菱を採っていると 渡し場に風が吹き
杖をついて歩けば 村の西に日が沈む
漁夫がひとり 杏壇のほとりに坐し
桃花源にも ちらほらと家がある
其の三の詩では、輞川での田園生活を描いていますが、「杏樹壇辺の漁夫」は『荘子』漁夫篇からの引用です。
孔子の杏壇きょうだんで弟子たちが書を読み、孔子が琴を奏していると、漁夫が舟から降りてきて琴に耳を傾けたという話を踏まえています。「桃花源」は陶淵明の『桃花源記』で、そんな仙境にも人家はあるというのです。
田園楽 七首 其四 田園の楽しみ 七首 其の四 王 維
萋萋芳草春緑 萋萋せいせいたる芳草ほうそう 春は緑に
落落長松夏寒 落落らくらくたる長松 夏は寒し
牛羊自帰村巷 牛羊ぎゅうよう 自ら村巷そんこうに帰り
童稚不識衣冠 童稚どうちは衣冠いかんを識らず
春はみどり 生い茂る草の薫りよ
夏は涼しい 伸びすぎた松の梢よ
牛や羊は 自分で村に帰り
童子らは 役人の姿を知らぬ
其の四の詩も輞川の田園生活を描いています。
「牛羊 自ら村巷に帰り」の牛羊は王維の好きな家畜で、『詩経』王風にも出てくる放牧風景です。
この詩では「童稚は衣冠を識らず」と村童の素朴な姿を言葉鋭くとらえることによって、政事を批判しています。
田園楽 七首 其五 田園の楽しみ 七首 其の五 王 維
山下弧煙遠村 山下さんかは弧煙 遠村えんそん
天辺独樹高原 天辺てんぺんは独樹 高原
一瓢顔回陋巷 一瓢いっぴょうの顔回は陋巷ろうこうに
五柳先生対門 五柳ごりゅう先生は門に対す
遠い村 山の麓にひとすじの煙が昇り
高原に 天にもとどく一本の樹がある
一簞一瓢 顔回は陋巷に在り
陶淵明は 門に向かって立っている
其の五の詩では、起承句の遠村の弧煙と高原の独樹が、王維の尊敬する人物を思い出させます。「顔回」がんかいは孔子の弟子として有名ですし、『論語』雍也に「賢なるかなや、一簞いったんの食し、一瓢いっぴょうの飮いん、陋巷に在り」という名言があります。
「五柳先生」は陶淵明のことで、自宅に五本の柳の木があったことから、みずから「五柳先生」と称しています。
田園楽 七首 其六 田園の楽しみ 七首 其の六 王 維
桃紅復含宿雨 桃は紅にして復また宿雨しゅくうを含み
柳緑更帯春煙 柳は緑にして更に春煙しゅんえんを帯ぶ
花落家僮未掃 花落ちて 家僮かどう 未だ掃はらわず
鶯啼山客猶眠 鶯啼いて 山客さんかく 猶なお眠る
昨夜の雨で 桃のくれないはしっとり濡れ
柳の緑は さらに春がすみを帯びている
散り敷く花を 家僮こどもはまだ掃きもせず
庭には鶯の声 私はいつまでも寝入っている
其の六の詩は王維の生活そのものを詠っており、春の朝の景を写した詩として、王維の佳作のひとつに数えられています。
対句も見事で、完成された詩美がうかがえます。
ところで、「桃紅」を妻汶陽の人、「柳緑」を王維自身の比喩と見れば、はなはだ意味深長な情景が想像されます。
「山客」つまり王維自身は鶯が鳴いても眠っており、「家僮」は夫婦の朝寝に遠慮して、庭も掃除しないでいるという詩になるわけです。
田園楽 七首 其七 田園の楽しみ 七首 其の七 王 維
酌酒会臨泉水 酒を酌くんで会々たまたま泉水に臨み
抱琴好倚長松 琴を抱いて好し 長松ちょうしょうに倚る
南園露葵朝折 南園の露葵ろきは朝あしたに折り
東舎黄梁夜舂 東舎の黄梁こうりょうは夜に舂つく
酒を飲むには もってこいの池があり
琴を抱いて もたれかかる松もある
南園の葵は 露のやどる朝に摘み
東の家では 夜ごとに粟を搗いている
其の七の詩も王維の田園生活のもようです。
酌酒抱琴の二句はやや類型化した表現ですが、転結句は独自性のある表現になっていると思います。
「南園」と「東舎」は対句表現ですので、南と東にこだわる必要はなく、近所の家で「黄梁は夜に舂く」というのは、杵を搗く音とともに村の生活のようすがリアルに写されている。