暁行巴峡       暁に巴峡を行く 王 維
際暁投巴峡    暁あかつきに際して巴峡はきょうに投じ
余春憶帝京    余のこりの春に帝京ていきょうを憶う
晴江一女浣    晴れた江かわに一女浣あら
朝日衆鶏鳴    朝の日に衆鶏しゅうけい鳴けり
水国舟中市    水国すいこくは舟中しゅうちゅうに市あり
山橋樹杪行    山橋さんきょうは樹きぎの梢を行く
明け方に巴峡にはいり
晩春に都の春を思いやる
晴れた川辺で 女が一人洗い物をし
朝日をあびて 鶏たちは鳴き立てる
水郷では舟の中で市いちが立ち
山中の橋は樹々の梢の上を行く

 蜀道の険難を越えて蜀中に赴任してきた王維でしたが、蜀には永くとどまりませんでした。
 翌年の春には都に呼びもどされ、帰りは「巴峡」はきょう、つまり長江の三峡を船で通過して、湖北から北へもどったようです。
 五言十二句の古詩です。岸辺に舟が集まってきて市場になっていたり、上陸すると谷に架かっている橋が木の梢の上を通っていたり、地形が急峻であるのを珍しいと眺めています。

登高万井出    高きに登れば万井ばんせい
眺逈二流明    逈はるかに眺む 二流にりゅうの明かなるを
人作殊方語    人は作す 殊方しゅほうの語
鶯為旧国声    鶯は為す 旧国きゅうこくの声
頼多山水趣    山水の趣おもむき多きに頼って
稍解別離情    稍やや解けゆく別離の情
高みに登ると 村々の家が見え
遥かかなたに 二筋の流れがひかる
人々は方言を語り
鶯は都と同じ声で鳴く
山水の見るべきところが多いので
旅の別れの淋しさも いくらか薄れていくようだ

 高い所に登ると二筋の流れが見えるというのは、後に杜甫も詠っていますので、王維が上陸したのは夔州(四川省奉節県)かもしれません。王維は北方の生まれですので、南方の民に接するのははじめてです。「殊方(しゅほう)の語」と言っているように、南方の方言が王維には通じなかったようです。けれども鶯は都と同じ声で鳴くと、王維らしい感想を述べています。三峡の山水の美しさに感心して、いささか旅情を慰められる王維です。

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