魚山神女祠歌二首 迎神曲
             魚山の神女が祠の歌 二首 神を迎うる曲 王 維

坎坎撃鼓        坎坎かんかんと鼓つづみを撃つ
魚山之下        魚山ぎょざんの下もと
吹洞簫 望極浦   洞簫(とうしょう)を吹き 極浦(きょくほ)を望む
女巫進 紛屢舞   女巫(じょふ)は進み (ふん)として屢々(しばしば)舞い
陳瑶席 湛清酤   瑶席(ようせき)(なら)清酤(せいこ)(たた)えたり
風淒淒兮夜雨    風は淒淒せいせいとして夜にぞ雨ふる
神之来兮不来    神の来きたるや もしや来らざるや
使我心兮苦復苦   我が心を苦しめ()た苦しま使()
かんかんと鼓の音がする
魚山の麓
笛を吹きながら 遠い汀を眺めやる
巫女みこはすすみ出て 華やかに舞を演じ
玉座を設けて 清らかな神酒を供える
風は妖しく吹きつのり 夜の雨さえ降ってきた
神は来るのか 来ないかも知れぬ
心は苦しみ 苦しみに押しつぶされる

 ところで、済州に行った王維は「汶陽の人」と再会したであろうか。
 汶陽は済州の東南八七㌔㍍ほどのところにあるので、王維は汶陽の近くに赴任してきたことになる。
 この問題について小林太市郎氏は「魚山神女祠歌二首」という不思議な詩があることを指摘して、二人は出会いを重ねたと述べている。
 一首目「迎神曲」は詩経の詩と楚辞の詩を合わせたような古風な詩である。「魚山」は鄆州うんしゅう東阿県(山東省東阿県)の西八里(唐里の)ところにあり、麓に土地の神を祀る古い祠があった。
 済州から南へ二四㌔㍍、汶陽から西北へ七〇㌔㍍ほどのところにあり、王維は村祭りにこと寄せて「汶陽の人」を呼び寄せたらしい。
 末尾の二句で「神の来るや もしや来らざるや 我が心を苦しめ復た苦しま使む」と、王維は女性がやって来るかどうかに悩んでいる。


 魚山神女祠歌 二首 送神曲
              魚山の神女が祠の歌 二首 神を送る曲 王 維

 紛進拝兮堂前     紛ふんとして進みて拝す堂の前
 目眷眷兮瓊筵     目は眷眷けんけんとして瓊筵けいえんをみる
 来不語兮意不伝    来きたれども語らず意伝わらず
 作暮雨兮愁空山    暮雨ぼうと作って空山くうざんに愁う
 悲急管  思繁絃    急管きゅうかんに悲しみ 繁絃はんげんに思いて
 霊之駕兮儼欲旋    霊の駕は儼げんとして旋かえらんと欲す
 倐雲収兮雨歇     倐たちまちにして雲収まり雨は歇
 山青青兮水潺潺   山は青青せいせいたり水は潺潺せんせんたり
ずいと進み出て堂前にぬかずき
目は 神饌のけはいを見詰める
神は降臨したが言葉なく わが思いは伝わらぬ
日暮れには雨となって 空しい山に降りそそぐ
笛は悲しみの声をあげ 絃はふるえる音を立て
神霊の車は厳然として帰ろうとする
すると忽ち 雲は晴れ雨は止み
山青くして 水はさざめき流れゆく

 二首目の「送神曲」も楚辞特有の「兮」を多用して、古風な神秘的な雰囲気をただよわせています。
 だがやはり、期待にたがわず女性はやってきました。
 「汶陽の人」と王維は互いに見詰め合って言葉もないのです。
 日暮れになって雨も降って来ましたが、「急管に悲しみ 繁絃に思いて」は二人が性の歓喜を共にする表現でしょう。
 「汶陽の人」と会って王維の心は晴れわたり、最後は「山は青青たり水は潺潺たり」と喜びの心を詠いあげます。

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