李陵詠      李陵の(うた) 王維
漢家李将軍   漢家(かんか)の李将軍は
三代将門子   三代の将門(しょうもん)の子なり
結髪有奇策   髪結(かみゆ)いてより奇策有り
少年成壮士   少年にして壮士()
長駈塞門児   長駈せり 塞門(さいもん)()
深入単于塁   深く入る 単于(ぜんう)(るい)
旌旗列相向   旌旗(せいき)(なら)んで相向かい
簫皷悲何已   簫皷(しょうこ)の悲しみは何ぞ()まん
日暮沙漠陲   日は暮れぬ 沙漠の(ほとり)
戦声煙塵裏   戦いの声す 煙塵(えんじん)(うち)
漢代の将軍李陵は
三代つづく名将家の出である
幼くして機略にすぐれ
年少にして壮士の風があった
兵を率いて辺境の砦を出で
単于の陣地に深く攻め入る
軍旗は並び立って向き合い
軍楽の悲痛な音は鳴り止まぬ
沙漠のほとりに夕陽は沈み
砂塵のなかで闘いの声がする

 この詩には「時年十九」の題注がありますので、王維が十九歳のとき、開元五年(七一七)の作になります。
 王維が岐王や寧王の邸に出入りしていたころ、李陵(りりょう)についてどう思うかと尋ねられて作った作品でしょう。
 李陵については、日本では中島敦の名作『李陵』があります。
 中島敦の小説は『漢書』李広蘇建伝の付伝を基にしたものです。
 この詩は五言二十句です。
 前半十句は、李陵の生い立ちから匈奴の軍と戦うところまでです。

将令驕虜滅   (まさ)驕虜(きょうりょ)をして滅びしめんとす
豈独名王侍   (あに)(ただ)に名王に侍するのみならんや
既失大軍援   既に失えり 大軍の(えん)
遂嬰穹廬恥   遂に(かか)りぬ 穹廬(きゅうろ )の恥
少小蒙漢恩   少小(しょうしょう)より漢恩を(こうむ)りしを
何堪坐思此   何ぞ()えん (これ)坐思(ざし)するに
深衷欲有報   深衷(しんちゅう)は報ずる有らんと欲すれど
投躯未能死   ()を投げて(いま)だ死する(あた)わず
引領望子卿   (くび)()ばして子卿(しけい)を望みて
非君誰相理   君に(あら)ずんば誰とか相理(そうり)せん
めざすところは驕る夷狄(いてき)を滅ぼすこと
帝王に仕えるためだけの戦ではない
しかるに大軍の援助は到らず
ついに匈奴に捕らわれの身となった
幼いころから朝廷の恩を受けながら
どうしてこのことを軽視できようか
ほんとうの心は国に報じたいと思っているが
一身を投げ打って死ぬこともできずにいる
首を伸ばして蘇武そぶの存在を思い
君以外の誰が私を理解してくれようか

 李陵の軍は砂漠で匈奴の騎兵に包囲され、味方の救援を待ちながら戦いますが、矢玉も尽きて李陵は匈奴に捕らわれてしまいます。
 李陵に対する王維の考えは最後の三聯六句に示されており、李陵は自分が捕虜になったのは致し方ないが、そのことを軽々しく考えてはいないと言っています。本心は生命を投げ出して国恩に報いたいが、死ぬこともできずに生きながらえている。
 自分のこの苦しい気持ちをわかっているのは、自分と同じように匈奴に囚われの身となった蘇武だけだ。漢にもどった蘇武が自分の真実の気持ちを伝えてくれることを、首を長くして待っているというのです。
 実はこの詩は李陵に対する漢代の評価と違うところがあり、王維はもちろんそのことを承知で書いているのです。

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