西施詠      西施の詠    王維
艶色天下重   艶色(えんしょく)は天下の重んずるところ
西施寧久微   西施(せいし) (なん)ぞ久しく微ならんや
朝為越渓女   朝には越渓(えつけい)の女()りしに
暮作呉宮妃   暮には呉宮(ごきゅう)の妃と()
賎日豈殊衆   (いや)しかりし日 豈に衆と(こと)ならず
貴来方悟稀   貴さ来たりて (まさ)(まれ)なるを悟る
美人の色香こそ 天下に尊重されるもの
だから西施が いつまでも放って置かれようか
(あした)には越の小川の洗濯女が
日暮れには呉王の宮の(きさき)となる
賎しい身分の時は みんなと変わることなく
貴い身分になれば 世にも稀な存在となる

 都に有力な手がかりもない王維が、十八、九歳の若さで寧王や岐王の邸に出入りするようになったのは、「対門の家」の夫婦の紹介によるものでしょう。玄宗は父睿宗の三男であり、韋后の宮廷クーデターを制圧して皇太子となり天子となりましたので、兄弟の諸王に遠慮がありました。寧王憲は玄宗の兄、岐王範は弟で、二人は玄宗の別宮、興慶宮の西隣りに邸宅をかまえて栄華を極めていました。
 王維は美少年の上、詩も書き琵琶も上手に弾じたので、たちまち二王に気に入られ、天才少年と持て囃されるようになりました。
 しかし、そんな華やかな社交のなかで、対門の家の女性が寧王の妾妃に召し上げられてしまったようです。
 夫は出世の糸口と喜んだかもしれませんが、王維は容易に女性に近づくことができなくなってしまいました。「西施詠」はそのころの作品と思われますが、五言十四句の長詩です。
 西施については中国春秋時代の有名な説話です。越王勾践(こうせん)が呉に敗れると、西施は越の謀士范蠡(はんれい)によって呉王夫差(ふさ)に献じられます。
 女色によって呉の政事を乱し、呉を滅ぼそうと策を立てたのです。

邀人伝脂粉   人を()んで脂粉を()
不自着羅衣   羅衣(らい)さえも自らは着ず
君寵益嬌恣   君が寵は嬌恣(きょうし)を益し
君憐無是非   君が(あい)は是非を無くす
当時浣紗伴   当時 (しゃ)(あら)いし()れも
莫得同車帰   同車して帰るを得る()
持謝隣家子   持謝(じしゃ)す 隣家の子よ
斅嚬安可希   (ひそみ)に倣うも(いずく)んぞ希う可けんや
人手を借りて 化粧をほどこし
薄絹の衣装でさえも 自分では着ない
王の寵愛に 勝手気ままはつのり
王の愛情に 是非の見分けもつかなくなる
昔いっしょに洗濯をした友も
同じ車で帰ることはできない
やめときましょう 隣近所の娘たちよ
西施の真似をしても できることではないのだから

 呉王の愛妾となって貴い身分になった西施は、おごり高ぶって是非の判断もつかなくなります。昔、川でいっしょに洗濯をしていた友も
「同車して帰るを得る莫し」になります。
 洗濯女が車で家に帰るはずはないので、王維はここで、親しくしていた「対門の家」の女性が寧王の妾妃になったために、いまは近寄りがたい存在になったことを諷するのでしょう。
 そして「嚬に(なら)うも安んぞ(ねが)()けんや」と自分に呼びかけます。
 昔いくら親しかったといっても、寧王に囲われてしまった女性は、いまは身分が違うのだと自分に言い聞かせているのです。

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