秋日雑興        秋日雑興       何景明
 柏林楓岸迥宜看   柏林 楓岸 (はる)かにして看るに(よろ)
 楊柳芙蓉不禁寒   楊柳(ようりゅう) 芙蓉 寒に()えず
 最愛高楼好明月   最も愛す 高楼の好明月(こうめいげつ)
 莫教長笛倚闌干   長笛(ちょうてき)をして闌干に倚らしむる莫れ
柏の林 楓の岸 遠くからの眺めがよい
柳や芙蓉もいいが 寒さに弱い
高楼にかかる明月は 何よりも好きだ
欄干で笛吹く男よ そこに立つのはよしてくれ

 何景明(かけいめい)は明の憲宗の成化十九年(一四八三)に生まれていますので、李夢陽(りぼうよう)より十歳の年少です。
 孝宗の弘治十五年(一五〇二)に二十歳で進士に及第し、知的で緻密な詩を作る秀才でしたが、世宗の即位した正徳十六年(一五二一)に三十九歳で早逝してしまいました。
 まだ若かったので官は陜西提学副使でした。中国の「(ふう)」は「かえで」ではなく、高さ二十bにもなるマンサク科の落葉高木です。
 川岸や池の堤などに植えられ、陰暦二月に赤い花をつけます。
 秋には北では紅葉し、南では黄葉するそうです。


 于群城送明卿之江西
             郡城に于て明卿が江西に之くを送る 李攀龍

 青楓颯颯雨凄凄   青楓(せいふう)は颯颯たり 雨は凄凄たり
 秋色遥看入楚迷   秋色 遥かに看る ()に入って迷うを
 誰向孤舟憐逐客   誰か孤舟に向かって逐客(ちくかく)を憐れむ
 白雲相送大江西   白雲(はくうん)相送る 大江(たいこう)の西
楓樹は風に立ち騒ぎ 雨は寂しく降っている
遥かに見わたす秋の色 君は楚の地へ迷い入る
追放の小舟に向かって 誰が別れを惜しもうか
白雲よ 大河を越えて 西の果てまで送ってくれ

 李攀龍(りはんりゅう)は明の武宗の正徳九年(一五一四)に生まれました。
 世宗の嘉靖二十三年(一五四四)に三十一歳で進士に及第しましたが、そのころはモンゴルのアルタン軍の侵攻が激化しているときで、嘉靖二十九年(一五五〇)には数日にわたって北京城が包囲される事態になりました。
 海辺では倭寇の侵入も活発で、明は多難の時期を迎えます。
 詩題の「郡城」は李攀龍の故郷歴城(山東省済南市)のことで、友人の「明卿」(呉国倫)が南康(江西省康県)へ左遷されるのに際して、郷里から書き送った詩です。
 李攀龍は『唐詩選』の編者と目されていますが、間違いの可能性が高いとされています。李攀龍の官は河南按察使に至り、穆宗の隆慶四年(一五七〇)に五十七歳で亡くなりました。
 この年はアルタンとの和議が成立した年にあたります。

目次へ