山囲故国周遭在 山は故国を囲んで周遭して在り
石頭城 石頭城 柳禹錫
山々は 古都をめぐって今もつらなり
浪は城壁に当たって 寂しく寄せ返す
むかし栄えた秦淮の 河の岸辺に夜は更けて
月は壁上の牆を超え 変わることなく東天にある
貞元九年(七九三)に進士に及第して王叔文の政治改革に参加しますが、王叔文の失脚にともない永貞元年(八〇五)に地方に左遷されます。十年後に許されて都に復帰しますが、筆禍事件によって再び左遷されます。
「石頭城」は今の南京にあった古城で、長江に臨む要害でした。
「淮水」というのは南京の南を流れている秦淮河のことで、このあたりは唐代も妓楼などのひしめく盛り場でした。古都の城壁の上に月は変わりなく照っていると、世の盛衰をしのぶ詩です。
柳州二月榕樹葉落尽偶題
柳州二月 榕樹の葉落ち尽くす 偶々題す 柳宗元
官途への思い 異郷の愁い 共に寒々として侘びしい
春の半ばというのに 秋めいて心は迷いがち
山沿いの城に通り雨 花はことごとく散り
榕樹の葉は庭を埋めつくして 鶯は鳴き叫ぶ
柳宗元は杜甫の死後三年に生まれた。
柳禹錫より一歳年少である。二十一歳の若さで進士に及第し、柳禹錫らとともに王叔文の政治改革に加わるが、一年足らずで王叔文は失脚し、柳宗元も永州(湖南省零陵県)に左遷された。
十年後に一旦都に復帰するが、また柳州(広西チワン族自治区柳州市)に左遷され、四年後にその地で没した。詩は柳州での作である。
猿啼客散暮江頭 猿は啼き 客は散ず 暮江の頭ほとり
人自傷心水自流 人は自ずから傷心 水は自ずから流る
同作逐臣君更遠 同じく逐臣と作って君は更に遠し
青山万里一孤舟 青山万里 一孤舟
江のほとりで猿は啼き 人々は去って日が暮れた
別れはつらく悲しいが 水は流れてゆくだけだ
同じ流罪の身であるが 君のゆく地はさらに遠く
青山万里のかなたへと 舟は浮かび消えていく
劉長卿は杜甫よりは若い人のようですが、開元二十一年(七三三)に進士に及第していますので、若くして秀才であったわけです。
経済官僚の途を歩みますが、罪を得て潘州南巴(広東省茂名県)に流されます。吉州(江西省吉安市)に流される裴郎中(伝未詳)と同じ舟に乗り合わせて、それぞれの左遷地へ向けて別れてゆくときの詩ですが、潘州は吉州よりも遠隔地なので、劉長卿が潘州に流されたときとは別のときの詩と思われます。