人生の喜びや悲しみ 幸せと不幸
場所は違っても 事は互いに同じであった
まだ死にもせず 海辺の郡に隣り合って住み
息子もいなくて 共に白髪の翁となる
愁いを払うため 三杯の酒を飲んでから
面会の代わりに 五言の詩で慰め合う
だから言っておく 両州を結ぶ郵便の吏よ
詩筒の送り届けを 嫌わないでほしいのだ
杭州地方は長慶二年の秋に旱魃に見舞われましたが、三年夏にも旱害が発生しました。白居易は刺史の務めとして雨乞いの祈りをしましたが、そうした伝統の行事が解決にはつながらないことも自覚していました。そこで孤山と湖岸を堰堤で結んで、灌漑用の水を確保する計画を考えました。
そんな秋八月、同州刺史の元稹が越州(浙江省紹興市)刺史・浙東観察使になって転勤してくるという報せが飛び込んできました。元稹は長江を下って十月に着任しましたが、その途中、杭州に立ち寄ります。二人は三晩を共に過ごし、おおいに政事や文学について語り合ったことでしょう。
西湖の一部を仕切る工事は井戸水への影響を懸念する反対意見もあったのですが、白居易は元稹の到着を待つあいだに、農耕のためには必要な工事であることを主張して反対者を説得していました。
そんなことも元稹との話題になったと思います。
元稹は越州へ発って行きましたが、越州州治のある山陰県は銭塘江をはさんで東南に三〇㌔㍍弱しか離れていません。
しかし、州刺史はみだりに州外に出てはならない定めでしたので、以後二人は、作品を郵便で送り合い、詩文の交換をします。
春題湖上 春 湖上に題す 白居易湖上春来似画図 湖上こじょう春来たりて 画図がとに似たり
西湖に春がやって来て 絵のように美しい
重なる峰に囲まれて 湖水は平らかである
松は山腹に並び立ち 幾重もの緑色
月は湖に影を落とし 一粒の真珠のようだ
絨毯の毛先かと思う緑は 早稲の穂先
羅の帯かと見える青色は 蒲の新芽だ
杭州を投げ捨てて 立ち去ることができないのは
半ばは この湖があるからだ
住民を使う土木工事は農閑期の冬に行うのが通常ですので、堰堤の工事は長慶三年の冬には始められたでしょう。
白居易はやがて杭州で二度目の春を迎えます。
春に刺史の任期が来るのは分かっていましたので、任期中に工事を終わらせようと思っていたはずです。任期は絶対ですが、白居易は春の西湖の美しさに魅せられて、去りがたい思いを抱いています。