郡中乞仮来相訪 郡中ぐんちゅうに仮かを乞うて 来たりて相訪とうに
尋郭道士不遇 郭道士を尋ねて遇わず 白居易
郡の役所に暇をもらい 尋ねていったが
洞中の玄元廟に出かけ 留守であった
道観の番をしているのは 二羽の白い鶴
門を入れば 一本の青松が見えるだけだ
薬の鑪には火の気があり 丹砂を熱しているのであろう
雲母の碓は 人けがないのに水の力で搗いている
参同契のことを尋ねようと思ってきたが
いずれまた ゆっくり語り合いたいものである
詩題の「郭道士」は郭虚舟という名の道士ですが、経歴は不詳です。
仕事もない司馬が郡衙に賜暇を願って出かけているのは、幾日か滞在するつもりであったのでしょう。
廬山は雲母うんもの山地で、雲母の粉末は丹砂とともに仙薬の原料でした。
「参同契」は古い錬金術の書で、白居易はそれを郭道士から借りていました。その内容について教えを請うつもりで道観(道教の寺)を訪れたのでしょうが、道士は不在で会えませんでした。
当時の山中の道士のようすがよくわかります。
朝廷で手を取り合っている三君子
私は白髪頭を垂れた病気の年寄り
秘書省の花の季節に 君らは錦の帳の下
私は廬山の雨の夜に 草の庵の中にいる
終生一心同体の気持ちは今もあるだろうが
人生の半ばを過ぎて 差は雲泥の身となる
私にあるのは生死を越えた悟りの境地
栄枯盛衰は やがて二つとも空となるのだ
元和十三年の晩春のころと思われますが、白居易は都の牛僧孺ぎゅうそうじゅ、李宗閔りそうびん、庾三十二ゆ(三十二は排行)に詩を贈ります。
詩中の「蘭省」は蘭台ともいい、秘書省のことです。
詩題に「員外」とありますので、三人はそのころ著作局に属して員外左郎(従六品上)であったのでしょう。牛僧孺らは白居易が制挙に及第した二年後の元和三年に制挙の賢良方正能直言極諌科に応じて及第したのですが、制挙の対策答案で時の政府の政策を厳しく批判しました。
憲宗はそのころ李吉甫を宰相に任じて藩鎮に対する強硬策を推進していましたので、牛僧孺らの主張はもっと温和な対策を行って馴致すべきであるというものでした。そのため牛僧孺らはながく不遇な地位に置かれ、のちの牛李の党争の遠因となります。李吉甫が亡くなると、李党の政策は李逢吉などによって推進されますが、河朔三鎮をはじめとする藩鎮の制圧はうまく進展せず、そうした情勢のなかで、藩鎮に対して融和的な牛僧孺たち牛党のメンバーも中央に活躍の場を与えられるようになっていました。
白居易は中央に活躍の場を得ている後輩たちに羨ましさを感じているようであり、詩中に「半路 雲泥 迹同じからず」と言っているのは、その気持ちの現われでしょう。しかし、結びでは「唯だ
無生三昧の観有り」と強がりを言っており、自分は流謫の境涯に安心立命しているとも言っています。