霜草蒼蒼虫切切 霜草そうそうは蒼蒼そうそうとして 虫は切切たり
村夜 村夜 白居易
霜枯れの草は侘びしく 虫は切ない声で泣き
東西南北 村に道ゆく人影はない
ひとり門前に立って 田野を望むと
月は明るく 蕎麦の花は雪のように白い
妻には死児を悲しんでばかりいると老けてしまうよと言いながら、ひとりになると、白居易は寂莫とした思いにかられるのでした。
初秋のころ、月夜にひとり門前に立って、月に照らされて雪のように白い田野をみつめています。
そこは、夏から秋にかけて白い花を咲かせる蕎麦の畑でした。
暮立 暮に立つ 白居易黄昏独立仏堂前 黄昏こうこん 独り立つ仏堂ぶつどうの前
日暮れにひとり 仏堂の前に立つ
地を埋めつくす槐の花 樹には蝉の声
四季それぞれに 悲しみの心はあるが
なかでも秋は 断腸の想いがつきない
詩中の「仏堂」というのは、仏像を安置した小さな御堂のことでしょう。堂の前庭を槐えんじゅの落花が埋めつくし、樹には蝉の鳴き声が満ちています。
秋の日暮れに白居易はひとり悲しみをかかえて孤独です。
得銭舎人書問眼疾 銭舎人の書もて眼疾を問うを得たり 白居易
春来眼闇少心情 春来しゅんらい 眼め闇くろうして心情少なし春になって目がかすみ 気が滅入っていた
黄連を使い果たしたが まだ治らない
だが 君からの手紙は 薬よりも効き目がある
封を開いただけで 目ははっきりと見開いた
元和七年(八一二)になると、白居易は春から目を悪くして気が滅入ることが多かったようです。そんなとき友人の銭舎人せんしゃじんから書信が届いて白居易を喜ばせました。「銭舎人」というのは大暦の詩人のひとり銭起せんきの息子の銭徽せんきであろうと言われています。
銭徽は当時、中書舎人(正五品上)の要職にありました。
だから目薬の「黄連」を使い果たしても治らなかった眼疾が「緘を開いて未だ読まざるに 眼まず明らかなり」というのには、いくらか比喩も含まれているだろうと解されています。官を辞した白居易には俸禄もなく、親しい友人からの経済的な援助を受けていたようです。
そうしたことへのお礼も込められていると見る解釈もありますし、また復職への希望もあったかも知れません。