移根易地莫憔悴 根を移し地を
戲題新栽薔薇 戲れに新栽の薔薇に題す 白居易
地を移し変えても 枯れないでくれ
田舎の庭だが 春に変わりはない
県尉様に妻はなく 春になっても寂しいかぎり
花が咲けば お前を妻にしてやろう
「長恨歌」はやがて、白居易の代表作として妓女の端までが暗誦していることを自慢にするほどの流行歌になります。
しかし、それはすこし後のことです。元和二年(八〇七)の春になっても、白居易の生活に何の変化もありません。
独身の身で官舎の庭に薔薇ばらを植えたりしています。
このころの薔薇は、薔薇といっても野草の野茨のいばらのことで、現代の西洋バラのような華やかなものではありません。唐代には庭に移植して小さな花を観賞する趣味がはじまりますが、ここではむしろ、ひとり暮らしの侘びしさの比喩として用いられていると考えるべきでしょう。この年、弟の白行簡はくこうかんが三十二歳で進士に及第し、白居易はひとつ肩の荷をおろしました。
酔中帰チュウ庢 酔中 チュウ庢に帰る 白居易金光門外昆明路 金光きんこう門外 昆明こんめいの路みち
金光門外 昆明池の路
ほろ酔い気分で 馬にまかせて帰る
ほんの数日 公務をのがれ
牡丹の花も散ったいま ようやく家路に向かうのだ
白居易は気晴らしのため、ときおり騎馬で長安に出かけることもありました。長安には友人の楊虞卿ようぐけいや楊汝士ようじょしがいて、会話を楽しんで帰るのです。楊氏の二人は従兄弟で、白居易は一年後に楊汝士の妹と結婚することになりますので、楽しい訪問であったと思います。帰りは酒に酔って馬に揺られて帰るのですが、馬は間違いなく帰ってくれます。だが白居易は、酔って田舎道を揺られて帰る日ばかりではありませんでした。
このころ「麦を刈るを観る」という二十六句の五言古詩を書いており、農民の苦しい生活を詩に詠ってもいます。