苦節十年
一たび上京し 幸せにも名前を挙げた
及第すれば それが貴いわけではなく
親に祝福され はじめて栄誉となる
同輩の者六七人が
私を見送って 都の外までついてくる
馬車は動き出そうとし
管絃が別れの曲を奏でる
得意な気持ちは 別れの悲しみをやわらげ
ほろ酔い気分で 遠い道のりもいとわない
春の日に ひづめの音も軽やかに
帰郷の歓びを載せて 馬車は行く
省試は詩賦のほか論文五題が課されましたが、白居易はこれらすべてを優秀な成績で通過し、合格者十七人中第四位で及第しました。
この年の合格者のなかでは最年少であったといいます。合格発表のあと、合格者は全員揃って知貢挙の邸を訪ね、及第の礼を述べます。
それから知貢挙は一同をひきつれて時の宰相(複数いるのが常です)の邸を訪問し、ひとりひとりを紹介して進士となるのです。
こうした一連の行事のあいだ、白居易は不安をぬぐい切れずにいました。
このあと間を置かずに関試がありますが、関試は礼部の省試に及第した進士を吏部に所管替えするための試験で、順序づけも落第者もない形式的な考査です。しかし、白居易は自分が寒門の出であり、いつどのような障害が生じて、合格が取り消されるか不安でした。
関試を経てはじめて進士は前進士と呼ばれるようになり、吏部の任用試験である銓試せんし(吏部試ともいいます)を受ける資格が与えられるのです。
白居易の危惧にもかかわらず、合格が取り消されるようなこともなく、白居易は合格の喜びを母親と共にするために洛陽へ出発することになりました。白居易の用心深い心にも、ようやく進士及第の喜びが湧いてきました。
詩は留別の詩ですので、白居易はまだ宴席の場にいてこの詩を書いたのです。
だから、後半の旅立ちのようすは、これから起こる場面を想像して描いたことになります。