病中作 病中作 白居易
久為労生事 久しく労生ろうせいの事を為なし
不学摂生道 摂生せつせいの道を学ばず
年少已多病 年とし少わこうして已すでに多病
此身豈堪老 此の身 豈あに老ろうに堪えんや
久しく仕事に追われ
健康に留意せず
年は若いのに 病気がち
私は長生きできるであろうか
貞元四年(七八八)に父白季庚は徐州別駕から衢州くしゅう(浙江省衢州市)別駕になって江南に転勤しました。白居易も父親に従って衢州に行ったと思われますが、このころの白居易の生活はあまりよくわかっていません。
勉強のために寺などに籠もって、寺院の蔵書に読みふけることも多かったと思います。十八歳のころの白居易は病気がちであったらしく、掲げた詩は「時に年十八」と題注のある小品です。
詩中に「労生」という語があり、苦労の身という意味ですが、「労生事」となると生活の苦労という意味が強くなってきます。父親は州の別駕ですが、当時は内戦の影響で物価は高騰し、政府の財政は窮迫していました。
官吏の生活も追い詰められていて、白居易は後に若いころは非常に貧しい生活であったと言っています。
貧しいとは言っても、士階級のなかでは、という意味でしょうが…。
宿桐廬館同崔存度酔後作 白居易
桐廬館に宿し 崔存度と同じく酔後に作る
江海漂漂共旅遊 江海こうかい 漂漂として共に旅遊りょゆうし
一樽相勧散窮愁 一樽いっそん 相勧すすめて窮愁きゅうしゅうを散ず
夜深醒後愁還在 夜深ふけて醒後せいご 愁うれい還なお在り
雨滴梧桐山館秋 雨は梧桐ごとうに滴る 山館さんかんの秋
川や湖を あてもなく旅をして
共に一杯の酒をすすめ 愁いを忘れる
夜更けに目を覚ますと 愁いはつのり
梧桐の葉に降る雨の音 山中の宿の秋
題中の「桐廬館」どうろかんの桐廬(浙江省桐廬県)は、衢州から富春江を下る途中にある地名で、目的はわかりませんが、白居易が衢州から越州(浙江省紹興市)方面へ旅をしたとき、崔存度さいそんどという同じような境遇の若者と旅を共にしたときの作でしょう。
山中の宿で酒を酌み交わしながら、生活の苦労を忘れることもあった。
そんなことを示す詩で、白居易の青春時代は愁いに満ちていたようです。
また、愁いに満ちた感傷的な詩を作っつていたともいえます。