夜上受降城聞笛  夜 受降城に上って笛を吹く 李 益
  回楽烽前沙似雪  回楽烽前 沙 雪に似たり
  受降城外月如霜  受降城外 月 霜の如し
  不知何処吹蘆管  知らず 何れの処にか芦管を吹くを
  一夜征人尽望郷  一夜 征人 尽く郷を望む
回楽烽前 砂は雪のように白く
受降城外 月は霜のように冴えている
芦笛の音は どこから聞こえてくるのか
その夜 征旅の兵たちは 空をみあげて故郷を想う

 李益は天宝四載(七四八)の生まれですから、杜甫より三十七歳年少です。大暦四年(七六九)に進士に合格していますが、それは杜甫の死の前年にあたります。憲宗に用いられ官は礼部尚書(正三品)に至りますので、出世したことになります。
 詩は辺塞詩の名作とされ、「回楽烽」は烽火台のこと、「受降城」は今の内蒙古自治区烏加河にあった城塞です。
 国境を守る兵士の望郷の想いを詠って凄絶なおもむきがあります。


  磧中作        磧中の作    岑 参
  走馬西来欲到天 馬を走らせて西来 天に到らんと欲す
  辞家見月両回円 家を辞して月の両回円かなるを見る
  今夜不知何処宿 今夜 知らず 何れの処にか宿せん
  平沙万里絶人煙 平沙万里 人煙を絶つ
馬を走らせて西へゆけば 地は天に到るほど
家を出てから まんまるい月を二度もみた
さて今夜は どこに宿まろうか…
漠地は万里のかなたまでひろがり 人煙もない

 岑参(しんじん)は杜甫と同世代で、友人であった。死んだのも同じ年である。
 初唐に宰相を出した名家の出身であったが、若い頃に父を亡くして苦学した。天宝三年(七四四)に三十歳で進士に及第したが、節度使の幕僚として二度も西域に勤務したので辺塞詩を多く残している。


  江村即事      江村即事     司空曙
  罷釣帰来不繋船   釣を罷め 帰り来って船を繋がず
  江村月落正堪眠   江村 月落ちて 正に眠るに堪えたり
  縦然一夜風吹去   縦然 一夜 風吹き去るとも
  只在蘆花浅水辺   只だ芦花浅水の辺に在らん
釣りをやめて帰ったが 舟は岸辺に繋がない
川辺の村に月は落ち 寝るのにちょうどよい季節()
夜中に風が吹いてきて 舟がどこかへ流れても
芦の花咲く浅瀬の辺り そこらに流れているだろう

 司空曙は生年不明。亡くなったのは徳宗の貞元六年(七九〇)頃とされており、杜甫の死後二十年後ということになる。
 官歴もくわしくは分からないが、大暦年間のはじめ頃(七七〇頃)に左拾遺(門下省・従八品上)となり、貞元の初年には剣南西川節度使(四川省成都付近の長官)の幕僚になっていた。
 長沙のあたりに流寓していたことがあり、詩は江南での作であろう。
 暖かい季節なので舟の中で寝入るのである。

目次へ