望海楼晩景五絶其三  望海楼の晩景五絶其の三 蘇 軾

 青山断処塔層層    青山(せいざん)断ゆる処 塔 層層
 隔岸人家喚欲応    岸を隔つる人家 喚べば応えんと欲す
 江上秋風晩来急    江上の秋風 晩来(ばんらい)急なり    
 為伝鐘鼓到西興    為に鐘鼓(しょうこ)を伝えて西興に到る
山並の途切れるあたり 塔はそびえて立っている
対岸の人家は 喚べば応えてくれそうだ
江を渡る秋風は 暮れから急につよくなり
時を告げる鐘鼓の音が 西興の街へと流れてゆく

 題名の「望海楼」は杭州城内、鳳凰山の中腹にあり、そこから東の眼下を流れる銭塘江の夕景色を眺めた詩です。
 「五絶」というのは五首の七言絶句の意味で、煕寧五年(一〇七二)秋八月、蘇軾三十七歳のとき、杭州在任中の作でしょう。
 「西興(せいこう)」は銭塘江対岸の渡津(としん)で、当時の銭塘江の川幅は相当に広かったようですが、西日を受けてはっきりと見えたのでしょう。
 城内の日暮れを告げる鐘鼓の音が西風に乗って届いているであろうと想像しています。視野がひろくて、自分のいる場所、対岸の人家、風の動き、鐘鼓の音などいろいろなものを詠み込んでいながら静かで整然とした風趣があります。


 飲湖上初晴後雨    湖上に飲む 初め晴後雨ふる 蘇 軾

 水光瀲灔晴方好   水光 瀲灔(れんれん)として 晴れて方に好く
 山色空濛雨亦奇   山色 空濛(くうもう)として 雨も亦た奇なり
 欲把西湖比西子   西湖を()って西子に比せんと欲すれば
 淡粧濃抹摠相宜   淡粧(たんしょう) 濃抹(のうまつ) 総て相宜し
水はひかり耀き 晴れた日はすばらしい
山の姿がぼんやり煙る 雨の眺めも格別だ
西湖の美を 越の西施にくらべれば
薄化粧 厚化粧 いずれも共にいいものだ

 煕寧六年(一〇七三)正月二十一日、西湖にて作るとあるので、蘇軾三十八歳の春、杭州での作です。左遷中ですが嘆いてもおらず、美しい地方での生活をのんびり楽しんでいるようです。
 転句中の「西子(せいし)」は春秋時代の越の美女西施(せいし)のことで、「摠相宜」などと悠然たるものです。中央の新法党への皮肉かもしれませんが、このような蘇軾の態度は中央の反発をかったと思われます。


  中秋月            中秋の月    蘇 軾
暮雲収尽溢清寒    暮雲 収め尽くして清寒溢れ
銀漢無声転玉盤    銀漢 声無く 玉盤転ず
此生此夜不長好    此の生 此の夜 長くは好からず
明月明年何処看    明月 明年 何れの処にて看ん
日暮れの雲は消え去って 清涼の気が満ちあふれ
銀河横たわるなか 明月は音もなくめぐる
この安らかな人生も 静かな夜も そう永くはつづくまい
明年の秋になったらこの月を 何処で私は見るのだろうか

 神宗の煕寧十年(一〇七七)、四十二歳の蘇軾は徐州(江蘇省除州市)の知州事になって赴任しました。
 地方の次官や長官をたらいまわしされていたわけで、さすがに強気の蘇軾も「明年何処看」と弱音をはいています。

目次へ