春 夜 春 夜 蘇 軾
春宵一刻値千金春宵 一刻値 千金
花有清香月有陰 花に清香 有り 月に陰 有り
歌管楼台声細細 歌管楼台 声細細
鞦韆院落夜沈沈鞦韆 院落 夜沈沈
春の宵は 一刻千金のねうちがある
花は清々しい香りを放ち 月はおぼろに霞んでいる
にぎわっていた楼台も ひっそりと静まりかえり
鞦韆 は中庭にむなしく 夜は静かに更けてゆく
王安石より十五歳の年少です。嘉祐元年(一〇五六)、二十一歳のとき父蘇洵に従って弟蘇轍と共に上京し、翌年進士に及第して文名は都
神宗が崩御して哲宗が即位すると、蘇軾は都に呼びもどされ、翰林学士から兵部尚書、礼部尚書になりますが、元祐八年(一〇九三)に宣仁太皇太后が死去して哲宗の親政になると新法党が復活し、紹聖元年(一〇九四)、五十九歳の蘇軾は恵州(広東省恵陽県)に流されます。
さらに六十二歳のときには海南島の儋州(広東省儋県)に移されました。
その三年後、哲宗が崩じて徽宗が即位すると、摂政の向太后は新法旧法両党の融和をはかり、蘇軾も許されて都へ呼びもどされます。しかし、都へ向う途中病を得て、常州(江蘇省常州市)で没しました。六十六年の生涯です。
黒雲は墨を流したように拡がり いまだ山を隠さず
真珠の玉をまき散らすように 雨は船中に乱れ入る
大地を巻き上げんばかりの風が 雲を吹き散らすと
望湖楼下の水は 空の青さに立ちもどる
神宗の煕寧五年(一〇七二)、三十七歳の蘇軾は左遷されて杭州(浙江省杭州市)の通判(知州事の次官)の職についていました。
「
怒涛のように勢いのある詩で、蘇軾の気力と剛直な性格、それに時間を追った繊細な観察眼が示されていると思います。