復愁 十二首 其三 復た愁う 十二首 其の三 杜 甫
万国尚戎馬     万国ばんこくお戎馬じゅうば
故園今若何     故園こえんいま若何いかんぞや
昔帰相識少     昔帰りしに相識そうしきまれなり
蚤已戦場多     蚤已つとに戦場のみ多し
いたるところで戦はつづき
故郷の村が心配だ
前にいちど もどったときも戦役で
幼馴染が欠けていた

 杜甫は陸渾荘で幾日か過ごしたあと、生まれ故郷の鞏県きょうけんを訪ねたようです。「復愁十二首」は大暦二年(七五六)の秋、杜甫が五十六歳のときに夔州きしゅう(四川省奉節県)で作った五言絶句の連作ですが、安史の乱後、杜甫が生まれ故郷を訪れる機会はこのとき以外にはありませんので、そのときの故郷のようすを回想して作った作品と思われます。
 其の三だけを掲げますが、杜甫の五言絶句というのは珍しいものです。
 この詩には井伏鱒二のカナ訳がありますので、つぎに掲げます。

ドコモカシコモイクサノサカリ
オレガ在所ハイマドウヂヤヤラ
ムカシ帰ツタトキニサヘ
ズヰブン馴染ガウタレタサウナ

 立秋後題       立秋の後に題す  杜 甫
日月不相饒     日月じつげつ 相饒あいゆるさず
節序昨夜隔     節序せつじょ 昨夜隔へだたる
玄蝉無停号     玄蝉げんせんさけぶこと停とどむる無きも
秋燕已如客     秋燕しゅうえんすでに客の如し
平生独往願     平生へいぜい 独往どくおうの願い
惆悵年半百     惆悵ちゅうちょうす年とし半百はんぴゃく
罷官亦由人     官を罷むるも亦た人に由
何事拘形役     何事ぞ形役けいえきに拘こうせられむ
月日は勝手に過ぎてゆく
立秋になったと思えば 一夜が過ぎた
ひぐらしは鳴きつづけているが
秋の燕は はや旅に出ようとする
ひごろから自由を求めていたが
五十になるのを嘆き悲しむ身となった
官を辞めるが それは他人に由る
苦役のように なんでわが身を拘束されようか

 杜甫は四月には華州にもどっていました。華州は潼関の西にあり、戦の前線ではありませんが、前線に近いといえます。
 そのうえ渭水沿岸のこの地方は、天宝十五載(七五六)六月の敗戦以来、二年つづけて戦乱に見舞われ、荒れ果てていました。加えて乾元二年の夏は暑くなるとともに日照りがつづき、蝗旱こうかんの害がひろがりました。
 物価は騰貴し、食糧の入手は困難になりましたが、州の司功参軍である杜甫の一家はただちに飢餓に瀕することはなかったでしょう。
 ところが杜甫は、七月のはじめ立秋の日に思い切った行動に出ます。
 司功参軍の職を辞したのです。理由はあまりはっきりしません。
 杜甫が粛宗朝の政事に失望していたことは確かであり、華州の属官という地位に不満であったことは言うまでもありません。
 しかし、戦雲の迫る飢饉の時期に官職を捨てるということは、無収入になることを意味し、ただちに生活の困窮が襲ってくるでしょう。
 よほどの理由がなければ、できる決断ではなかったと思われます。
 詩は職を辞して華州を離れる直前に作られていますが、辞職の理由については「官を罷むるも亦た人に由る」と一言述べているだけです。
 この詩句でみる限り、人間関係でなにか我慢のならないことが起きたことをうかがわせます。
 非常のときに二か月余も任地を離れていたこととか、そのことによって生じた仕事の停滞のことで上司の注意を受けたかもしれません。
 杜甫は「何事ぞ形役に拘せられむ」と憤慨しています。

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