初晴游滄浪亭   初めて晴れ滄浪亭に游ぶ 蘇舜欽
夜雨連明春水生   夜雨 明に連って春水生じ
嬌雲濃暖弄微晴   嬌雲 濃暖 微晴を弄す
簾虚日薄花竹静   簾虚しく日薄く 花竹静かなり
時有乳鳩相対鳴   時に乳鳩有り 相対して鳴く
雨は朝まで降りつづき 池には水がみなぎった
雲はなまめく暖かさ 晴れ間と遊んでいるようだ
簾の奥に人影はなく 薄日のなか花も竹も静かである
ふと見ると 小鳩が向き合って鳴いている

 「滄浪亭(そうろうてい)」は蘇州にあって、題に「初晴」とありますので、蘇舜欽が失脚して、蘇州に住んでまもなくのころの作品でしょうか。
 こまやかな自然描写が目をひきますが、転結句に都を離れた身の孤独感がにじみ出ているようです。


  夏 意            夏 意        蘇舜欽
  別院深深夏簟清 別院深深 夏簟(かてん)(すず)
  石榴開遍透簾明 石榴(せきりゅう)開くこと遍く簾を透して明らかなり
  樹陰満地日当午 樹陰 地に満ちて 日は()に当たる
  夢覚流鶯時一声 夢覚むれば 流鶯(りゅうおう) 時に一声
別院(はなれ)の奥は静かで 夏茣蓙はすがすがしい
石榴の花は咲きそろい 簾を透かしてはっきり見える
庭一面に拡がる木陰 太陽は真上にある
夢から覚めて耳にしたのは 鳴きわたる鶯の声ひとつ

 宋代の安定期に入った蘇舜欽は、晩唐の不安と自己韜晦に満ちた詩風を乗り越えて、官途は不遇であったにもかかわらず、繊細だが清新な詩風を確立しています。「別院(べついん)」は離れの亭のようなもので、夏茣蓙が敷いてあるような簡素な生活を想像してください。
 ここで鳴く鶯は春に鳴く鶯ではなく、別種のものでしょう。
 それとも涼しい場所なので、夏でも鶯が鳴くのでしょうか。


  別 滁          滁に別る    歐陽脩
  花光濃爤柳軽明   花光(かこう)濃爤(のうらん) 柳は軽明
  酌酒花前送我行   酒は花前(かぜん)に酌みて我が行くを送る
  我亦且如常日酔   我れも亦た(しばら)く 常日の如く酔わん
  莫教弦管作離声   弦管をして 離声を()さしむること莫れ
花の色の鮮やかさ 柳は軽やかに揺れ動き
花の下で 酒酌みかわす別れの宴
いつものように しばしの酔いを楽しもう
管弦の悲しい調べは よそうではないか

 歐陽脩(おうようしゅう)は真宗の景徳四年(一〇〇七)に廬陵(江西省吉安市)の貧家に生まれました。仁宗の天聖八年(一〇三〇)に二十四歳の若さで進士に首席合格して官途に就きます。
 しかし、直言が災いして途中二度ほど地方に左遷されています。
 一度目は三十一歳のときで、夷陵(湖北省宜昌市)の県令になり、二度目は三十九歳の年から三年間、滁州(安徽省滁州市)の刺史に左遷されました。
 左遷時に多くの詩を作っていますが、「別滁(べつじょ)」は滁州から都にもどるときの詩です。官は枢密院枢密副使(軍政次官)、中書門下省参知政事(執政職)などを歴任しますが、王安石の改革に反対して隠居し、神宗の煕寧五年(一〇七二)に六十六歳で亡くなりました。

目次へ