回郷偶書       郷に回って偶々書す 賀知章
少小離郷老大回 少小 郷を離れ 老大にして回る
郷音無改鬢毛催 郷音 改まること無く 鬢毛 催す
児童相見不相識 児童 相見て相識らず
笑問客従何処来 笑って問う 「客は何処より来たる」と
若いころ故郷を離れ 年老いてもどってきた
お国なまりは抜けてないが 鬢に白髪も生えている
子供らは どこの誰ともわからずに
笑いながら問いかける 「おじさんはどこから来たの」

 賀知章は今の紹興市で生まれました。
 則天武后の時代に進士に合格し、玄宗皇帝に用いられて秘書監(秘書省の長官)に出世し、従三品の高官になりました。
 李林甫が宰相になると排斥され、天宝三年(七四四)に八十六歳で官職を辞し、五十年振りに故郷に帰りました。
 詩は帰郷のときのもので、飄逸なところが面白い。
 酒を愛し、李白を推薦したことで知られています。


  涼州詞        涼州詞   王之渙
黄河遠上白雲間   黄河 遠く上る 白雲の間
一片孤城万仞山   一片の孤城 万仞の山
羌笛何須怨楊柳   羌笛 何ぞ須いん 楊柳を怨むを
春光不度玉門関   春光度らず 玉門関
遥かに黄河を遡って 白雲のたなびくあたり
孤城がひとつ あたりは万丈の山だ
羌笛よ 物悲しい別れの曲はやめてくれ
玉門関には 春のひかりも届かない

 王之渙は則天武后が周を称したころに生まれましたが、進士に合格しなかったので、官途には恵まれませんでした。
 しかし詩名は高く、王昌齢や高適らと親しく交わりました。
 「涼州詞」は西域を題材にした詩につける題で、いろいろなひとが同じ題で詩を作っています。「楊柳」は「折楊柳」という曲のことで、胡族の笛で吹く曲が流れてきたのでしょう。「玉門関」は西域から中国へ入る入り口で、中国の西の果てを意味する詩跡でした。


  楓橋夜泊       楓橋夜泊   張 継
月落烏啼霜満天   月落ち烏啼いて 霜 天に満つ
江楓漁火対愁眠   江楓 漁火 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺   姑蘇城外 寒山の寺
夜半鐘声到客船   夜半の鐘声 客船に到る
月落ち烏は啼いて 寒気空に満ち
岸辺の楓樹や漁り火を うつらうつらと眺めている
姑蘇の城外 寒山の寺
夜半を告げる鐘の音が 舟の上まで聞こえてくる

 作者の張継は生没年不明です。天宝十二年(七五三)に進士に及第していますので、杜甫よりは十歳以上若い世代でしょう。
 塩鉄判官などの経済官僚の経歴を踏み、各地を転勤したようです。
 詩に出てくる楓ふうは「かえで」ではなく、中国の南方に多い独特の樹です。寒山寺は蘇州の西五十`bの郊外にあって観光地として有名ですが、名は楓橋寺と言う。

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