尋隠者不遇 隠者を尋ねしも遇わず 賈 島
松下問童子 松下にて童子に問えば
言師採薬去 言う 師は薬を採らんとして去れり
只在此山中 只だ此の山中に在らんも
雲深不知処 雲深くして処 を知らずと
松の木の下で 童子に問えば
先生は薬草 採りに行かれました
山中にいらっしゃるのは確かですが
雲が深くてみえません
のちに普州(四川省安岳)の司倉参軍に移されましたが、武宗の会昌三年(八四三)に六十五歳で貧窮のうちに没しました。
死んだときは一銭のたくわえもなく、病んだ驢馬と古い琴が残されていたといいます。詩は童子との問答体ですが、「童子」は隠者の召し使う少年でしょう。
勧 酒 酒を勧む 于武陵
勧君金屈巵 君に勧む金屈巵
満酌不須辞 満酌 辞するを須 いず
花発多風雨 花発 けば 風雨多く
人生足別離 人生まれては 別離足 し
どうだ この金杯 になみなみと
酌 ぐが遠慮はいらないよ
花に風雨 があるように
人に別離 はつきものだ
宣宗の大中年間(八七四〜八五九)に進士に及第しましたが、官途に恵まれず各地を放浪しました。
とくに湖南の風物を愛して湘江一帯を歩きましたが、晩年は嵩山(河南省洛陽の東南)の南麓に隠棲して生涯を終えました。
于武陵の名は「勧酒」一首によって伝わったと言ってよく、日本でも井伏鱒二のカナ訳漢詩(『厄除け詩集』昭和十二年五月)は人口に膾炙しています。「金屈巵」は黄金製の大杯で酒宴の豪勢なさまと作者の心意気を示す。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ 井伏鱒二 訳