南楼望        南楼の望め  盧 僎
去国三巴遠     国を去って三巴遠く
登楼万里春     楼に登れば 万里春なり
傷心江上客     傷心 江上の客
不是故郷人     是れ故郷の人ならず
国を離れて 遠い三巴の地にやってきた
楼に登れば 見わたす限りの春景色
川岸に独り佇む旅人の 目にするものは見知らぬ人
故郷を離れた淋しさが 胸一杯に満ちてくる

 盧僎(ろせん)は生没年不詳。河南省の下級官吏から集賢院学士に抜擢され、尚書省吏部員外郎(従六品上)になっていますので、才能のあった人と思われます。「国」は故郷のことで河南省臨漳県に生まれました。
 官途の途中、巴地(四川省)に左遷されたことがあったらしく、三巴は後漢末に巴地が巴・巴東・巴西にわけられたので三巴と言うのであって、巴地と同じ意味です。詩題の「南楼」は巴地のどこかの町の城壁にあった南門の望楼で、そこからあたりを眺めたのでしょう。
 「江上客」は作者自身のことで、楼から降りて川岸に佇んだのです。
 路ゆく人は異郷の見知らぬ人ばかりでした。


  秋 日         秋 日     耿 湋
返照入閭巷     返照 閭巷(りょこう)に入る
憂来誰共語     憂い来るも 誰と共にか語らん
古道少人行     古道 人の行くこと(まれ)
秋風動禾黍     秋風 禾黍(かしょ)を動かす
村里に 黄昏の光がさしこみ
胸の憂いを 誰に語ればよいのか
古びた道を ゆきかう人はまれで
秋風が 禾黍(きび)の畑を吹いていく

 耿湋(こうい)は玄宗の開元二十二年(七三四)に生まれていますので、二十三歳のときに安史の乱に遭遇しています。韋応物と同世代です。
 乱後、粛宗の宝応二年(七六三)に三十歳で進士に及第し、大理寺(行政実務機関)の司法から左拾遺(従八品上)に至ったとありますので、官途には恵まれなかったようです。
 詩には安史の乱後の村里の寂れたようすがうかがわれます。
 没年は不詳ですので、在官していなかったのでしょう。


 題竹林寺        竹林寺に題す  朱 放
歳月人間促     歳月 人間(じんかん)に促し
烟霞此地多     烟霞 此の地に多し
殷勤竹林寺     慇懃にす 竹林寺
更得幾回過     更に幾回か過るを得ん
人の世を促し 歳月は移りゆくが
この地には ゆたかに霞が立ちこめる
竹林寺の佇むさまにひたりつつ
再訪の日は来るのかと 危ぶみながら歩み去る

 朱放(しゅほう)は生没年不詳。襄州(湖北省襄樊市)の生まれで、はじめは漢水のほとりに住んだが飢饉にあい、剡渓(浙江省嵊県の西南)に移住して隠者の生活を送った。一時、江西節度使(江西省南昌市)の参謀になったが肌が合わずに隠者の生活にもどった。
 当時、「竹林寺」と称する寺は輝県(河南省)、江陵(湖北省)、廬山(江西省)の三か所にあったといわれており、江西節度使の参謀を辞して去るときの作とすれば、廬山の竹林寺になる。

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