秋 猟孟諸 夜帰置酒単父東楼観妓 李 白
    秋 孟諸に猟し 夜帰りて単父の東楼に置酒して妓を観る
傾暉速短炬    傾暉けいきは短炬たんきょよりも速すみや
走海無停川    走海そうかい 停川ていせん無し
冀餐円邱草    (こいねが)わくは円邱(えんきゅう)の草を(くら)って
欲以還頽年    以て頽年たいねんを還かえさんと欲す
此事不可得    此の事 得可からず
微生若浮烟    微生びせいは浮烟ふえんの若ごと
駿発跨名駒    駿発しゅんはつして名駒めいくに跨またが
雕弓控鳴弦    雕弓しゅうきゅう鳴弦めいげんを控ひか
傾く夕陽は 燃えつきる炬火たいまつよりも速く沈み
流れる川は 海へ向かって止まるを知らない
できれば 円邱の不老不死の草を食べ
老いる身を もとの若さにもどしたいものだ
だが そんなことは不可能である
人の一生は 流れる煙のようにはかない
だから 速やかに立って名馬にまたがり
飾り弓を引き絞って矢を放つ

 李白は都から東へ向かう途中、洛陽にとどまります。
 洛陽は李白曾遊の地であり、今回は都で名を挙げた有名詩人としての滞在ですので、歓迎する貴顕は多かったでしょう。
 そんな四月のある日、杜子美としびと名乗る詩人が訪ねてきます。子美は杜甫の字あざなです。
 杜甫は李白よりも十一歳若く、このとき三十三歳でした。
 二十四歳のときに一度貢挙の試験を受けましたが及第せず、このころは洛陽の郊外に住んで勉強をしていました。
 杜甫は洛陽ではいくらか名を知られた詩人でしたが、李白からみれば地方の無名詩人に過ぎません。
 詩名を慕ってきた若い詩人に、李白が抱負を語って聞かせたことは充分に考えられることです。
 杜甫は李白の強烈な個性に惹かれて、いっしょに旅をしたいと申し出ますが、おりあしく五月に杜甫の祖母(祖父杜審言の継室)が亡くなりましたので、秋になったら訪ねていく約束をして別れます。
 秋八月になって杜甫は李白を追って東へ旅立ち、宋州(河南省商丘市)で李白と再会しました。宋州は李白曾遊の地であり、州治のある宋城の王県令の招待を受けて滞在していたようです。
 そのころ近くを旅していた高適こうせきも加わって、三人は宋州の酒場に出入りして文学を語り、宋州の名所旧跡を訪ねたりして、おおいに親交を深めます。宋城の東北には孟諸沢もうしょたくという沼沢が広がっていましたが、そこは絶好の狩り場です。
 三人は秋の終わりから冬の初めにかけて孟諸沢の周辺で狩りをし、狩りが終わると孟諸沢の東北にあった単父(山東省単県)という街の東楼に上って酒宴に興じました。
 詩はそのときのものと考えられ、前半は李白らしく、狩りへ向かう理由を人生観と結びつけて詠っています。

鷹豪魯草白    鷹ようは豪ごうにして魯草ろそう白く
狐兎多肥鮮    狐兎こと 肥鮮ひせん多し
邀遮相馳逐    邀遮ようしゃして相あい馳逐ちちく
遂出城東田    遂に城東じょうとうの田でんに出づ
一掃四野空    一掃して四野しやむなしく
喧呼鞍馬前    喧呼けんこす 鞍馬あんばの前まえ
帰来献所獲    帰り来たって獲る所を献じ
炮炙宜霜天    炮炙ほうしゃ 霜天そうてんに宜よろ
出舞両美人    出でて舞う両美人りょうびじん
飄颻若雲仙    飄颻ひょうようとして雲仙うんせんの若ごと
留歓不知疲    留歓りゅうかんして疲れを知らず
清暁方来旋    清暁せいぎょうまさに来旋らいせん
鷹は猛々しく 草は白く枯れ
狐や兎は 肥えて元気がよい
勢子は 囲い込んで追い立て
城の東の狩り場に出る
野原の獲物を取りつくし
馬を降りて勝鬨の声を挙げる
城にもどって 獲物を差し出し
丸焼や串焼 寒さにむいた料理にする
やがて二人の美人が現れ 舞を舞う
軽やかな姿は 雲の中の仙人のようだ
疲れを忘れて楽しみ 居つづけて
ようやく 明け方になって家路についた

 前半六句は狩りのようすです。
 馬に乗って鷹狩りをしたり、勢子せこに獲物を追わせて囲いこみ弓矢で射たり、かなり大がかりな狩りをしたようです。獲物は妓楼に持ち込んで料理をしてもらい、それを肴に宴会を開きます。
 宴会には妓女も二人ほど呼んで、軽やかに舞を舞います。夜通し酒を飲んで明け方に家(といっても臨時の宿)に帰るありさまです。

目次二へ