送郭司倉 郭司倉を送る 王昌齢
映門淮水緑 門に映ず 淮水の緑
留騎主人心 騎を留む 主人の心
名月随良掾 名月 良掾に随い
春潮夜夜深 春潮 夜夜に深し
秦淮の水の緑は 門辺に映え
別れがつらくて 引き止めた
名月が 君といっしょに消え去れば
春の潮のように 愁いは夜ごと深くなる
「淮水」は
洛陽道献呂四郎中 洛陽道呂四郎中に献ず 儲光羲
大道直如髪 大道 直ぐなること髪の如く
春日佳気多 春日 佳気多し
五陵貴公子 五陵の貴公子
双双鳴玉珂 双双 玉珂を鳴らす
都大路はまっすぐで
うららかな春の陽ざしに満ちている
玉飾りの音賑やかに若殿たちは
馬を並べて駆けていく
開元十四年(七二六)に進士に及第していますので、開元の盛世に官途に就いたことになります。御史台の監察御史(正八品上)になりましたが、安禄山が長安を落としたときに強要されて賊官に就いたため、乱後、嶺南に左遷されました。代宗の広徳元年(七六三)ころ五十八歳くらいで配流の地で没しました。詩は開元の都の雰囲気を上手に映しています。
「呂四郎中」は呂氏の輩行四番目のことで、尚書省の郎中(従五品上)であったことを意味します。
「五陵貴公子」は五陵が貴顕の住居地であったことから、一般に貴公子(若殿)を言うときに用いられました。「
長安道 長安道 儲光羲
鳴鞭過酒肆 鞭を鳴らして酒肆に過り
袨服遊倡門 袨服して倡門に遊ぶ
百万一時尽 百万 一時に尽くるも
含情無片言 情を含んで片言なし
鞭を鳴らして酒屋に立ち寄り
着飾って妓楼に上る
あり金を一夜で使うが
口説いたりは決してしない
開元盛世の若者の心意気を詠ったもので、まず馬を駆って酒屋で一杯ひっかけてから「
倡門は遊女のいる家で、「
一夜で大金を使い果たしますが、「含情無片言」、口説くような言葉は一切口にせず、太っ腹なところをみせるのです。