常娥          常娥 李商隠

  雲母屏風燭影深  雲母うんもの屏風びょうぶ 燭影しょくえい深く
  長河漸落暁星沈  長河ちょうが 漸く落ちて 暁星ぎょうせい沈む
  常娥応悔偸霊薬  常娥(じょうが)(まさ)に悔やむべし 霊薬を(ぬす)みしを
  碧海青天夜夜心  碧海へきかい 青天せいてん 夜夜ややの心
雲母の屏風に 燭の火影は深々と映り
銀河はいつか傾いて 明けの明星も落ちた
常娥は霊薬を偸んで いまは悔やんでいるだろう
碧の海よ 青い空 夜ごとの憶いはどんなだろうか

 「常娥」嫦娥は弓の名人羿げいの妻でしたが、羿が西王母せいおうぼからもらった不死の霊薬を偸んで飲んだために、昇天して月の女神になったという伝説上の人物です。詩はこの伝説を踏まえて、月の世界にひとりで棲む身になったのは淋しいであろうと詠っています。詩は地上に残された男が夜空を仰いで詠う形式になっており、その男は羿ではなく作者自身でしょう。
 裏切られた愛の恨みを常娥に託して詠っていると解されます。


     安定城楼        安定城楼 李商隠

  迢逓高城百尺楼  迢逓ちょうていたり 高城こうじょう百尺の楼ろう
  緑楊枝外尽汀洲  緑楊りょくようの枝外しがいことごとく汀洲ていしゅう
  賈生年少虚垂涕  賈生かせいとしわかくして虚むなしく涕なみだを垂れ
  王粲春来更遠遊  王粲おうさん 春来しゅんらい 更に遠遊えんゆう
  永憶江湖帰白髪  永く憶おもう 江湖こうこ 白髪に帰らんことを
  欲廻天地入扁舟  天地を廻めぐらして扁舟へんしゅうに入らんと欲す
  不知腐鼠成滋味  知らざりき 腐鼠ふそ 滋味じみと成るとは
  猜意鴛雛竟未休  鴛雛えんすうを猜意さいいして竟ついに未だ休めず
遥かにそそり立つ城壁 百尺の楼
柳が茂り ひろびろと中洲が広がる
賈誼は若くして 虚しく涙を流し
王粲は春の日に 遠くの地へ落ちのびた
永いあいだ 江湖の地で白髪になりたいと思い
回天の事業を成し遂げたら 小舟に乗ろうと願ってきた
ところがこの世には 腐った鼠をうまいと思う者がいて
それを奪われまいと 清らかな鴛雛を睨みつけている

 開成二年八三七の春、李商隠は都に出て五回目の貢挙に挑みました。
 大和六年八三二以来、五年間に四回も進士に挑戦していずれも落第したことになりますが、今度は令孤綯が前年に門下省の左拾遺従八品上になっていたこともあり、暗に李商隠を推薦してくれ、四十人の及第者のひとりとして合格しました。
 二十七歳での進士登第は特に遅いというわけではありません。
 進士になった李商隠はいったん母親のいる済源にもどります。
 吏部試に備えて待機するつもりでしたが、令孤楚からの招きがあり、秋になると興元府の節度使の幕下に赴きました。
 しかし、このときすでに令孤楚の病は篤く、李商隠が令孤楚の遺表を代筆したあと、十一月十二日に亡くなりました。
 息子の令孤綯はこの月、門下省の左補闕従七品上に昇進したばかりでしたが、興元に下って来て十二月に父親の柩を都に移しました。
 李商隠も柩に従って都に帰ります。翌開成三年八三八、李商隠は吏部の博学宏詞科を受験しますが、吏部の支持があったにもかかわらず、中書省の高官から反対の声があがり、不採用となります。李商隠が牛党の令孤楚父子と親密過ぎることが、李党の横やりを呼んだものと見られます。このとき、失意の李商隠に涇原節度使の王茂元おうもげんが辟召をかけてきました。
 李商隠はこれに応じて、涇州甘粛省涇川県に赴くことにしました。
 涇州は漢代の古名を安定郡といい、詩題の「安定城」は雅称でしょう。
 李商隠には吏部試を妨害されたという無念の思いがあり、そのことが頷聯の「賈生」賈誼の故事につながっています。
 「王粲…」の句は、後漢末の建安の文人王粲が董卓とうたくによって洛陽から長安に移住させられ、さらに長安が戦乱状態になったので、遠く荊州湖北省江陵県に落ち延びていったことをさしています。
 尾聯では一転して『荘子』秋水篇の故事を引用します。
 不満をかかえて涇州にやってきた李商隠は、自分の任官を阻んだ者を「腐鼠 滋味と成る」と言って、鬱憤をはらすのでした。
 そんな気持ちでやってきた涇州ですが、李商隠は王茂元に気に入られ、その女むすめと結婚することになりました。進士ではあっても吏部試に合格していない李商隠が節度使の婿になるのですから、思いがけない良縁です。
 しかし、王茂元は李党に属しており、李商隠は恩義のある令孤楚が死ぬとすぐに李党に鞍替えしたと、牛党の者から白い目で見られるようになります。


    無題二首 其一    無題 二首 其の一 李商隠

  昨夜星辰昨夜風  昨夜さくやの星辰せいしん 昨夜の風
  画楼西畔桂堂東  画楼がろうの西畔せいはん 桂堂けいどうの東
  身無彩鳳双飛翼  身に彩鳳さいほう双飛そうひの翼つばさ無きも
  心有霊犀一点通  心に霊犀れいさい一点の通つうずる有り
  隔座送鉤春酒暖  座を隔てて鉤こうを送れば春酒しゅんしゅ暖かに
  分曹射覆蠟燈紅  曹そうを分けて射覆せきふくすれば蠟燈ろうとう紅なり
  嗟余聴鼓応官去  嗟ああを聴きて官に応じて去り
  走馬蘭台類断蓬  馬を蘭台らんだいに走らせて断蓬だんぽうに類るい
昨夜の星よ 昨夜の風よ
画楼の西辺 桂堂の東のあたり
身は鳳凰のような比翼の鳥ではないが
犀角の一本の筋のように 心は通じている
向き合って蔵鉤を遊べば 新酒の香りは暖かに漂い
組を分けて射覆を遊べば 蝋燭のあかりは紅い
だが 朝の太鼓が鳴ると 私は勤めに出る身だ
千切れた転蓬さながらに 秘書省に馬を走らせる

 王茂元の女むすめと結婚した翌年、開成四年八三九の春、二十九歳の李商隠は都に出て再度吏部の書判抜萃科を受験しました。
 今度は及第して、秘書省校書郎に任官します。
 初めての都での官吏勤めです。李商隠は勤務をはじめるや、新進の詩人官僚として貴人・高官の宴席に呼ばれるようになりました。
 李商隠の「無題」と題する詩は、作られた時期や背景の分からないものがほとんどですが、掲げた詩は詩中に「馬を蘭台に走らせて」という句がありますので、秘書省蘭台に努めていたときの作品であることが分かります。まず首聯で昨夜のことであると、時と場所が思い入れを込めて示されます。
 「画楼」は描画のある楼閣であり、「桂堂」は香木の桂の木で作られた建物です。豪華な詩の舞台が設定されます。そこで催された宴会で、李商隠は詩を求められ、ひとりの妓女に目を止めたようです。
 頷聯の「彩鳳」は比翼の鳥であり、「霊犀」は犀を神秘的な動物としてとらえるもので、犀の角には一本の白い線が通っています。この二句には、李商隠の妓女に対する春心が暗に忍ばせてあるとみていいでしょう。
 ついで頚聯では、宴会での遊びが描かれます。「送鉤」は蔵鉤ともいわれ、数人が向かい合って鉤指貫きが誰の手にあるかを当てる遊びです。
 「射覆」は二組に分かれて容器の中に隠してある物を当てる遊びです。
 酒を飲みながら夜通し遊んだのでしょう。しかし、夜明けを告げる太鼓が鳴ると、李商隠は勤めに出なければなりません。「断蓬」根なし草のような頼りない身であると嘆いて、一首の詩を結ぶのです。


    無題二首 其二     無題 二首 其の二 李商隠

   聞道閶門萼緑華   聞道きくならく 閶門しょうもんの萼緑華がくりょくか
   昔年相望抵天涯   昔年せきねん 相い望みて天涯てんがいに抵いた
   豈知一夜秦楼客   豈に知らんや 一夜 秦楼しんろうの客
   偸看呉王苑内花   呉王苑内ごおうえんないの花を偸ぬすみ看んとは
聞けば天宮には 萼緑華という仙女がいるらしい
以来 天の果てであろうとも一目みたいと憧れていた
ところがある晩 秦氏の館に招かれたとき
呉王の庭に咲く花を 垣間見ることができたのだ

 其の二の詩では、かねて噂に聞いていた評判の美女に会うことができたと喜びを詠います。「萼緑華」は二十歳くらいの若い仙女で、妓女を仙女になぞらえているのです。転句の「秦楼の客」も故事を踏まえており、仙人で簫の名手であった蕭史しょうしが秦の穆公ぼくこうの公女弄玉ろうぎょくと恋仲になり、弄玉に鳳凰の鳴き声を教えたところ、鳳凰が天から舞い降りてきて、二人はそれに乗って天に昇っていったといいます。
 結句の「呉王苑内の花」は越王勾踐が呉王夫差に贈った美女西施のことで、呉越戦争の有名な説話ですから説明の要はないでしょう。
 以上二首の無題の詩は、李商隠が宴会の席で求められて書いたものであることは明らかです。
 宴席の座興の詩ですから、引用されている故事は一座の人々が誰でも知っているもので、その巧みさに人々は喝采を送ったことでしょう。


      石榴           石榴 李商隠

   榴枝婀娜榴実繁  榴枝りゅうしは婀娜あだとして 榴実りゅうじつしげ
   榴膜軽明榴子鮮  榴膜りゅうまくは軽明にして 榴子りゅうし鮮やかなり
   可羨瑤池碧桃樹  羨うらやむ可し 瑤池ようち 碧桃へきとうの樹じゅ
   碧桃紅頬一千年  碧桃の紅頬こうきょう 一千年
柘榴の枝は艶やかに伸び 実はたわわに熟して
皮は透き通るように薄く 種子の色は鮮やかだ
だが羨ましいのは 瑤池に生える碧桃の樹
碧桃の頬の赤さは 一千年もつづくとか

 この詩では「石榴」せきりゅうと瑤池の「碧桃」が比較されています。
 熟れた柘榴ざくろの実は殻が裂けて、なかの赤い種子が顔をのぞかせており、女性の多産を想わせる性的な美しさがあります。
 「瑤池」は西王母の住む崑崙山の山頂にある池で、その岸に生えている碧桃は三千年に一度実を結ぶとされていました。
 このことから、この詩は女性の若さが永くつづかないことを寓する詩とされていますが、それにしては仕掛けが複雑なようです。
 そこで実は、石榴という名の若い妓女と碧桃という名の年増の妓女がいて、李商隠がふたりをからかって作った詩という説もあります。酒宴の席で、二人の美しさを比べて見ろと言われて作った詩かも知れません。


      相思          相思 李商隠

   相思樹上合歓枝  相思そうしの樹上じゅじょう 合歓ごうかんの枝
   紫鳳青鸞並羽儀  紫鳳しほう 青鸞せいらん 並びて羽儀うぎあり
   腸断秦台吹管客  腸は断つ 秦台しんだいかんを吹く客
   日西春尽到来遅  日は西にしし春は尽くるも到り来たること遅し
相思の樹の上で 枝さしかわす合歓の花
紫鳳と青鸞は 羽根を揃えてむつみ合う
秦台で笛を奏でる旅人は 思いに胸も張り裂ける
日は傾き 春は過ぎるが 姿を見せない恋人ゆえに

 この詩は冒頭の二語を取って題としていますので、無題と同じです。
 「相思」は恋、もしくは恋する意味ですが、ここでは「相思樹」という木のことで、韓憑かんぴょうとその妻の墓から生えたという伝説の樹です。
 韓憑の妻は美しかったので、南朝宋の康王から横取りされ、夫は獄中で自殺、妻も楼台から飛び降りて夫のあとを追ったといわれています。その相思樹に合歓ねむの枝が交叉しているのは、男女が結ばれることを意味します。
 「紫鳳 青鸞」はともに霊鳥で、それが並んで「羽儀」模範とする羽根姿をするのは仲の良いことを意味します。転結の二句は、すでに李商隠20の詩に「秦楼の客」として出ている故事のことで、仙人で簫の名手であった蕭史しょうしが秦の穆公の公女弄玉ろうぎょくと恋仲になる話です。
 ここでは蕭史が待っている場所に弄玉がなかなか現われないことを「腸断」と詠っていますが、二人が鳳凰に乗って天に昇っていった話は周知のこととみられますので、その逆を詠うことによって諧謔を弄したのでしょう。
 妓楼などの宴席で戯れに作った詩と思われます。


      無題           無題 李商隠

   白道縈廻入暮霞   白道はくどう縈廻えいかいして暮霞ぼかに入る
   斑騅嘶断七香車   斑騅はんすい嘶断しだんす 七香車しちこうしゃ
   春風自共何人笑   春風しゅんぷうおのずから何人なんびとと共に笑い
   枉破陽城十万家   枉げて破らん 陽城ようじょう十万の家
ひと筋の白い道が 夕焼けの空へとつづき
あでやかな七香車 葦毛の馬が嘶きわたる
春風のなかで人々は いったい誰とほほ笑んで
わざわざ滅ぼすのか 陽城十万の家を

 李商隠には「無題」と題する詩が十六首ほどあり、そのほとんどが恋愛詩と解されています。詩の冒頭の二語を取って題とする場合も無題と同じですので、それらを加えると李商隠の恋愛詩はもっと多くなります。
 唐代においては妻子のことですら詩に取り上げるのは稀であり、春心恋心・恋愛感情は表沙汰にすべきものではありませんでした。
 中唐になって流行する「伝奇」は色恋沙汰の類を絵空事として描くものであり、正統の文学とはみなされませんでした。
 唐代のそうした伝統のなかで、李商隠は春心をはじめて詩の正統な題材として正面から取り上げた詩人であるといえるでしょう。
 無題の詩はその秘め事的な性格から、作られた時期や背景の分からないものがほとんどです。しかし、詩の内容や引用の多い晦渋な文体からすると、意気盛んな二十代末までの作品が多いと思われます。そうした制作時期不明の作品の中から、幾つかを以下にまとめて取り上げたいと思います。
 掲げた無題の詩は「陽城」と題するテキストもありますが、まず起承の二句で、読者を夢幻の世界へと誘い込みます。「七香車」は香木で作った車のことですが、貴人が女性のもとへ通うときにしばし用いるものです。いわばしゃれた高級車であり、「斑騅」あしげの馬が嘶きながら牽いてゆくのです。
 転結句は楚の詩人宋玉の「登徒子好色の賦」の序を踏まえており、「何人」は美人の妓女を指すと思われます。
 とすれば、七香車に乗っているのは女性であり、「陽城」は楚の街でしょう。
 春風のなかで楚の美女が車のなかからほほ笑みかけると、陽城の人々はわれを忘れて城の守りはおろそかになると詠っているのです。


    無題四首 其一     無題 四首 其の一 李商隠

   来是空言去絶蹤   来たるとは是れ空言 去りて蹤あとを絶つ
   月斜楼上五更鐘   月は楼上に斜めなり 五更ごこうの鐘
   夢為遠別啼難喚   夢に遠別えんべつを為して 啼けども喚び難く
   書被催成墨未濃   書は成すを催うながされて 墨すみ未だ濃からず
   蝋照半籠金翡翠   蝋照ろうしょう 半ば籠む 金翡翠きんひすい
   麝薫微度繍芙蓉   麝薫じゃくん 微かに度わたる 繍芙蓉しゅうふよう
   劉郎已恨蓬山遠   劉郎りゅうろうすでに恨む 蓬山ほうざんの遠きを
   更隔蓬山一万重   更に隔へだつ 蓬山 一万重いちまんちょう
来るというのは口先だけ 去れば跡形もありません
月は楼上に斜めにかかり 夜明けの鐘が鳴り出した
遠くに別れる夢を見て 泣きつつ叫ぶが声にはならず
便りを書こうと焦りつつ 墨はなかなか濃くなりません
屏風絵の金の翡翠を 蝋燭がほのかに照らし
芙蓉の刺繍の夜具からは 麝香のかおりが匂ってくる
蓬莱山のように遠いお方 あなたを恨んでいましたが
いまは蓬莱山より一万倍 心は遠くに離れています

 李商隠の「無題」の詩には語り手の性別に迷う場合があります。
 掲げた其の一の詩は女性の立場に立っており、心変わりした男への断ち切れぬ思いを女性に成り代わって詠っています。その意味では閨怨詩の系統を継ぐものですが、語り口に真実味があり、李商隠が離れていった女性に対する自分の思いを、女性の身に移し替えて詠っているとも解せます。
 頚聯の対句には閨房の濃厚な雰囲気が描かれており、「金翡翠」は屏風に描かれた絵ですが、翡翠は男女和合の象徴でもあります。
 「繍芙蓉」は夜具に刺繍されている蓮の花で、蓮れんは同音の「憐」れん:恋すると通ずる表現です。夜具からは「麝薫」麝香のかおりが漂っており、女性の恋情の強い表現、もしくは男性への性の誘いとも取れるでしょう。
 尾聯の「劉郎」は六朝志怪小説に出てくる漢の武帝劉徹のことで、一般的には恋人、好きな男をさす詩語として通用しています。志怪小説では劉郎は西王母と対になって登場しますので、東方の海上にあるという仙境蓬莱山を持ち出して、心が遠くへ離れてしまったことの嘆きを描くのです。


    無題四首 其二     無題 四首 其の二 李商隠

  颯颯東風細雨来  颯颯さつさつたる東風とうふう 細雨さいう来たり
  芙蓉塘外有軽雷  芙蓉ふよう塘外とうがい 軽雷けいらい有り
  金蟾齧鎖焼香入  金蟾きんせんくさりを齧み 香を焼いて入り
  玉虎牽糸汲井廻  玉虎ぎょくこ 糸を牽き 井せいを汲みて廻めぐ
  賈氏窺簾韓掾少  賈氏かしれんを窺って 韓掾かんえんわか
  宓妃留枕魏王才  宓妃ふくひ 枕を留とどめて 魏王ぎおう才あり
  春心莫共花争発  春心しゅんしん 花と共に発ひらくを争うこと莫かれ
  一寸相思一寸灰  一寸いっすんの相思そうし 一寸の灰
さやさやと春の風が吹き やがて小雨が降ってきて
蓮の花咲く池の向こうで 遠雷のかすかな音がする
金の蝦蟇が鎖を噛む香炉 部屋には香の煙が流れ
玉の虎が井戸の紐を引き 轆轤は廻って水を汲む
賈充の娘は御簾の陰から 若い韓寿を密かに覗き
宓妃は才能豊かな曹植に 遺品の枕を残したのだ
恋する心よ 花々と競って咲くのはやめたがよい
恋の炎は燃え尽きて すぐに一寸の灰となる

 其の二の詩の語り手は、男女いずれとも取ることができます。
 詩は「春心」恋心の激しさと背徳の恋のはかなさを詠うものでしょう。
 詩は中四句を前後の二句で囲む形式で、首聯の二句で春の恋の舞台が設定されます。首聯の外景に対して頷聯は屋敷内とも心の舞台の比喩とも受け取れます。
 ここでは恋の湧き出る怪しい雰囲気が描き出されているようです。
 つづく頚聯の二句は、それぞれ故事を踏まえています。
 「賈氏…」の句は、晋の大官賈充かじゅうの娘が若い「掾」下級の属官の韓寿かんじゅに恋をして、下女を介して結ばれます。
 その後、韓寿の体から珍しい香りが匂うのを知った賈充は、その香りが帝から賜わった香のかおりであったので、韓寿と娘の仲を知ります。
 密通は発覚しますが、賈充は二人を許して夫婦にしたといいます。
 「宓妃…」の句は、魏の曹操の公子曹植そうしょくにまつわる説話です。
 曹植は陳思王に封ぜられましたので、詩では魏王と略称されています。
 曹植には「洛神の賦」という作品があり、洛水の女神宓妃の美しさを描いています。この賦の背景には曹植が兄曹丕そうひ:魏の文帝の妻甄后しんこうに恋をしていたという物語があり、甄后が讒言によって自死させられたあと、文帝は甄后の遺品の枕を曹植に与えたといわれています。李商隠は背徳の翳を帯びた二つの恋を例に挙げて、「一寸の相思 一寸の灰」と春心に呼びかけ、花々と競うような恋はしない方がよいと結ぶのです。


無題四首 其三 無題 四首 其の三 李商隠

含情春晼晩   情を含みて 春はる晼晩えんばんたり
暫見夜闌干   暫く見れば 夜よる闌干らんかんたり
楼響将登怯   楼 響きて将まさに登らんとして怯
簾烘欲過難   簾 烘こうして過よぎらんと欲するも難かた
多羞釵上燕   多だ羞ず 釵上さじょうの燕
真愧鏡中鸞   真まことに愧ず 鏡中きょうちゅうの鸞らん
帰去横塘暁   帰り去れば 横塘おうとうは暁
華星送宝鞍   華星かせい 宝鞍ほうあんを送る
想いを秘めて 春は静かに暮れてゆき
眺めるうちに 夜は深々と更けてゆく
楼を登ろうとするが 響く足音に心はひるみ
廊を渡ろうとするが 簾から洩れる光に邪魔される
簪を飾る二羽の燕よ その睦まじさに深く恥じ入り
鏡に彫られた鸞鳥よ その真実に恥じ入るばかり
横塘からの道すがら 夜はしらじらと明けてゆき
夜明けに輝く一つ星 貴人のまたがる鞍を見送る

 其の三の詩は、目当ての女性のもとに忍んでいった男が、満たされない思いのまま帰途につく話です。
 詩は時間の経過を追って物語のような構成で詠われています。
 首聯ではまず悩ましい春の夜と、季節と時間が設定され、頷聯では女性のもとに忍んでゆこうとしますが、男は階段の音や御簾から洩れる明かりに心怖じて、女性の部屋に近づくことができません。頚聯の二句は故事を踏まえるもので、「釵上の燕」は簪につけた飾りの白いつがいの燕のことです。
 漢の武帝がそれを愛妃の趙婕妤ちょうしょうよに贈ったという伝説があります。
 「鏡中の鸞」は鸞が鏡に映った自分の姿を見て鳴きつづけ、息絶えるまで止めなかったことから、鏡の装飾の文様に用いられるようになりました。
 このふたつの故事は、男女の仲の睦まじさや愛の一途な激しさを言うもので、男は階段の音や廊下の明かりに怖じて進めなかった自分を、女性に対する想いが足りないと恥じているかのようです。女性の家は「横塘」にあったらしく、横塘は妓女の住む街として詩語になっています。だから男が忍んでいこうとしていた女性は妓女であったという暗示になっています。
 「宝鞍」は飾りのついた高価な鞍ですので、貴人や富者の用いるものです。
 そのことから、貴人や富者を指していると考えていいでしょう。
 男は寒門出身の李商隠ではなく、貴家の若者かも知れません。
 妓女のところに忍んでゆこうとしたけれども目的が果たせず、とぼとぼと馬で帰宅する男を、明けの明星が見送っていると皮肉に結んでいます。


    無題四首 其四     無題 四首 其の四 李商隠

   何処哀筝随急管  何いずれの処か 哀筝あいそう 急管きゅうかんに随う
   桜花永巷垂楊岸  桜花おうかの永巷えいこう 垂楊すいようの岸
   東家老女嫁不售  東家とうかの老女 嫁せんとして售れず
   白日当天三月半  白日はくじつ 天に当たる 三月の半なか
   溧陽公主年十四  溧陽公主りつようこうしゅ 年十四
   清明暖後同牆看  清明暖後せいめいだんごしょうを同じくして看
   帰来展転到五更  帰り来たれば 展転てんてんとして五更ごこうに到り
   梁間燕子聞長歎  梁間りょうかんの燕子えんし 長歎ちょうたんを聞く
急笛の音に混じって 哀しげな筝が聞こえる
桜梅の花咲く路地に しだれ柳の揺れる岸
お隣の年増の娘は 嫁に行くにも売れ口がない
太陽が真上を照らす 春三月の半ばというのに
南朝梁の溧陽公主は 御年まさに十四歳
清明節後の暖かい日 二人は垣根に寄り添っている
家に帰って悶々と やがて夜明けがやってきて
その溜息を聞く者は 梁に巣をくう燕だけ

 其の四の詩では、結婚できないまま若い時期を過ごす女性の悲哀を詠っています。
 中四句を前後の二句で囲む形式で、首聯では場所が設定されます。
 「桜花」は桜ではなく「桜梅」ゆすらうめの類の薔薇科の植物です。「永巷」は市井の奥まった路地のことで、しだれ柳の生えている岸で「老女」婚期を過ぎた女性は「急管」に混じる「哀筝」を聞きながら、もの思いにふけっています。
 頷聯の「東家」は隣家をいうときの常套句で、春三月の半ばという良い季節なのに隣家の娘は貰い手がないと詠い、ここでは作者が顔を出しています。
 頚聯の二句は一転して南朝梁りょうの簡文帝の皇女溧陽公主の故事です。
 公主は梁の実力者侯景こうけいに嫁いで、侯景を夢中にさせました。
 垣根に寄り添っているのは侯景と公主の二人で、公主が十四歳というのは史実にないので、貴人の娘は若くして結婚するという意味でしょう。
 尾聯は家にもどった「老女」の一夜で、寝床に入っても老女は寝返りを打つばかりです。眠れないまま「五更」夜明けの時刻を迎えますが、老女の歎きを知っているのは、梁はりに巣をかけているつがいの燕だけであると結びます。


  無題        無題 李商隠

照梁初有情   梁はりを照らして 初めて情じょう有り
出水旧知名   水より出でて 旧もとより名を知らる
裙衩芙蓉小   裙衩くんさ 芙蓉ふよう小さく
釵茸翡翠軽   釵茸さじょう 翡翠ひすいかろ
錦長書鄭重   錦にしき長くして 書は鄭重ていちょう
眉細恨分明   眉まゆ細くして 恨みは分明ぶんめい
莫近弾棋局   弾棋だんきの局に近づくこと莫かれ
中心最不平   中心 最も平らかならず
梁に朝日が照る様に 春の心を知りそめた
池に咲き出た蓮の花 すぐに世間の評判となる
裳裾に散らす彩には 小さな蓮の花模様
簪の羽根かざりには 軽やかな翡翠の羽根
錦に織り込む恋文に 纏綿と思いをつづり
描く細めの眉毛には 恋の憂いをはっきりと出す
だが 弾棋の盤には 近づかぬがよい
中心が盛り上がって 平らな心ではいられないから

 李商隠の無題の詩は、七言律詩という厳格な様式で書かれていても、内容はそれほど深刻なものではなく、才気のある若い詩人が才にまかせて作った遊びの要素の強い作品です。
 それが五言律詩となると、さらに軽い感じのものになります。
 今回の五言律詩「無題」は、少女から大人になったばかりの女性の恋の悲しみを詠うもので、首聯の二句は初々しい少女の美を、梁を照らす朝日と池に咲き出た蓮の花に喩えています。頷聯は女性の服飾で、「裙衩」は裾に切り込みのある裳、「釵茸」は飾りのついた簪のことです。
 頷聯の「錦長…」の句は錦に織り込んだ回文詩上から読んでも下から読んでも詩になる詩のことで、秦の竇滔とうとうの妻蘇恵そけいの故事を踏まえています。
 「眉細…」の句は眉を細く描いて憂わしげな表情をつくる化粧法で、後漢のころに都一円に流行したといいます。
 二句とも失恋の苦しみを描くものでしょう。尾聯は一転して作者の訓戒です。「弾棋」は前に出てきた詩で、すでに説明しました。ここでは「棋」を同音の「期」逢引きの約束とかけて、たやすく恋に近づくなと言っています。


無題二首 其一 無題 二首 其の一 李商隠

八歳偸照鏡   八歳 偸ひそかに鏡に照らし
長眉已能画   長眉 已に能く画えが
十歳去蹋青   十歳 去きて踏青とうせい
芙蓉作裙衩   芙蓉 裙衩くんさと作
十二学弾筝   十二 弾筝だんそうを学び
銀甲不曾卸   銀甲 曾かつて卸おろさず
十四蔵六親   十四 六親りくしんより蔵かく
懸知猶未嫁   懸あらかじめ知る 猶お未だ嫁とつがざるを
十五泣春風   十五 春風しゅんぷうに泣き
背面鞦韆下   面めんを背そむく 鞦韆しゅうせんの下もと
八歳にして こっそり鏡を覗き
長い眉毛も 上手に描く
十歳にして 野遊びに出かけ
裾割れの裳 蓮の花の裾模様
十二歳で 筝の習い事
銀の琴爪は いつでも指にはめたまま
十四になると 家の人から逃げ隠れ
お嫁に行けと 責められるのが嫌なのだ
十五になって 春風に涙をこぼし
鞦韆の傍らで じっと俯くようになる

 少女の成長を年齢を追って描く詩は古楽府こがふのころからあり、以来、定形化した詩の主題となっています。詩中の「蹋青」踏青は春の盛りに野外で遊ぶ行楽の行事で、男女交際の機会でもありました。
 「裙衩」はスリットの入った裳で、大人が着るものでしょう。
 「鞦韆」ぶらんこは北方民族から伝わった女性の遊びとされ、春、寒食節や清明節のときに特に許されて行う遊びでした。
 当時の女性としては奔放な遊びということになるのでしょう。お嫁に行けと言われるのが嫌で、「六親」親も含めた身近な親族から逃げまわっていた娘も、尾聯の二句では一転して沈みこんでいると詠うところが巧みです。


無題二首 其二 無題 二首 其の二 李商隠

幽人不倦賞   幽人ゆうじんしょうするに倦まず
秋暑貴招邀   秋暑しゅうしょ 招邀しょうようせんと貴ほっ
竹碧転悵望   竹 碧みどりにして転うたた悵望ちょうぼう
池清尤寂寥   池 清くして尤もつとも寂寥せきりょうたり
露花終裛湿   露花ろかついに裛湿ゆうしつ
風蝶強嬌饒   風蝶ふうちょういて嬌饒きょうじょうたり
此地如攜手   此の地 如し手を携たずさえれば
兼君不自聊   君と自おのずから聊たのしまざらんや
ひとり離れて 風情にひたる者
残暑の秋に 人に会いたいとしきりに思う
青々と茂る竹 眺めるほどに悲しくなり
清らかな池は 切ないほどの寂しさだ
露に濡れて 花はしっとりと湿りを帯び
風に舞う蝶は なまめく仕種で飛びまわる
もしも貴女と 手に手にとって眺めるなら
この地の眺め どんなにか楽しいことだろう

 其の二の詩の語り手は「幽人」で、ここでは世の喧噪から離れて暮らす者といった程度の意味でしょう。
 中四句を前後の二句で挟む形式の五言律詩ですが、中四句の庭の風景には女性にからまる意味深長な詠物が描かれています。例えば竹の葉の青色は女性の青白い肌の色を意味しており、王維の詩にも用いられています。
 頚聯の「露花…」「風蝶…」の二句も女性を連想させるもので、幽人が「招邀」招き迎えるしたいものが女性であることを推定させる表現です。
 したがって、結句の「君」は女性に呼びかける二人称と解され、幽人を李商隠自身と考えれば、恋文のような詩とみることもできそうです。


      無題           無題 李商隠

   相見時難別亦難   相い見る時は難かたく 別るるも亦た難し
   東風無力百花残   東風とうふう 力無く 百花残くず
   春蚕到死糸方尽   春蚕しゅんさん 死に到りて 糸いとはじめて尽き
   蝋炬成灰涙始乾   蝋炬ろうきょ 灰と成りて 涙始めて乾く
   暁鏡但愁雲鬢改   暁鏡ぎょうきょう 但だ愁う 雲鬢うんびんの改まるを
   夜吟応覚月光寒   夜吟やぎんまさに覚ゆべし 月光の寒きを
   蓬山此去無多路   蓬山ほうざんこより去りて多路たろ無し
   青鳥殷勤為探看   青鳥せいちょう 殷勤いんぎんとして為に探り看よ
お会いするのは難しい だが別れはもっと辛いもの
春風がものうく吹いて 花はことごとく散りつくす
春の蚕は 死ぬまで糸をはきつづけ
蝋燭は 燃え尽きるまで涙を流す
朝はやく鏡に向かえば 衰えた髪が悲しく
夜なかに詩を吟ずれば 月の光は冷たいでしょう
蓬莱山は ここから遠くはないはずです
青い鳥よ どうか私のために様子を探ってきてほしい

 この詩は会いたい人に会えない思いを、晩春の情景、恋心の比喩とともに描いた典型的な恋の歌です。中四句を前後の二句で囲む形式ですが、具体的な状況はいっさい描かれません。首聯は序の句で、「東風 力無く 百花残る」の一句は愛の失望を簡潔に比喩して見事です。頷聯の「春蚕…」の句も「蝋炬…」の句も南朝以来の伝統的な比喩で、「糸」は同音の「思」と通じ、蝋燭の蝋の滴りを涙に喩えるのも常套的な表現です。頚聯の二句によって、この詩が女性の立場に立つ詩であることが示されます。「暁鏡…」の句は朝の鏡に向かって髪の衰えを嘆く自分であり、「夜吟…」の句は相手の詩人を思って推量するもので、眠られなかった夜明けの思いでしょう。
 相手も自分と同じように眠られずに、詩を吟じているのであろうかという思い入れを詠っているとも解されます。尾聯は西王母のいる「蓬山」蓬莱山を持ち出して、「多路無し」つまりここから遠くないだろうといい、様子を探ってきてほしいと「青鳥」西王母と劉郎の間を取り持つ恋の使者に未練たっぷりに依頼します。「青鳥」は幸福の「青い鳥」ではありません。頚聯の女性の立場を男の立場に置き換えて考えれば、詩は作者の女性に対する思いを述べた作品にもなりますので、李商隠が自分の思いを相手に告げた詩とも考えられ、単なる閨怨詩には見られない技巧が感ぜられます。

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