自宣城赴官上京    宣城より官に上京に赴く 杜牧

  蕭灑江湖十過秋  江湖に蕭灑しょうしゃたりて 十とおたび秋を過ぐ
  酒盃無日不遅留  酒盃しゅはい 日として遅留ちりゅうせざるは無し
  謝公城畔渓驚夢  謝公しゃこうの城畔じょうはん 渓 夢を驚かし
  蘇小門前柳払頭  蘇小そしょうの門前もんぜん 柳 頭こうべを払う
  千里雲山何処好  千里の雲山うんざんいずれの処か好
  幾人襟韻一生休  幾人の襟韻きんいん 一生休まん
  塵冠挂却知閑事  塵冠(じんかん)挂却(かいきゃく)するは 閑事(かんじ)なるを知るも
  終擬蹉跎訪旧遊  終ついに擬す 蹉跎さたして旧遊を訪うを
江湖で過ごす 勝手きままな十年間
恋々として 酒杯を傾ける日々だった
謝朓ゆかりの宣州城 流れの音で目を覚まし
門前の柳を払いつつ 蘇小小にかよう
遥かかなたに雲の峰 どこよりも好い眺めだが
景色を愛でて生涯を 過ごすわけにはまいらない
官を辞するのは 何でもないと知っているが
時は無駄に過ぎ去り 二度ともどって来れないだろう

 裴坦を見送ると、杜牧はほどなく宣州を離れます。
 詩は留別の詩でしょう。詩中の「蘇小」は南朝斉の名妓蘇小小そしょうしょうのことで、昔の銭塘浙江省杭州市の美妓に託して、宣州の美しい風景や寺々に別れを告げる自分を洒落のめしているものと思われます。
 杜牧はこの旅に、妻子のほか弟と医師の石公集をともなっています。
 石公集は春になったら杜顗の目の手術ができるので、どこかゆっくり療養できる場所がほしいと言っていました。
 杜顗の瞳子のなかの脂は玉白色になっていましたので、石公集が予言していたとおり、手術の時期が来ているのは明らかでした。
 病人を長安まで連れてゆくのは無理ということで、杜牧は江州江西省九江市刺史になって潯陽州治のある県=九江市にいる従兄弟の杜慥とぞうに頼んで、弟を預かってもらうつもりでした。


 初春雨中 舟次和州横江 裴使君見迎
  李趙二秀才同来 因書四韻 兼寄江南許渾先輩
 杜牧
  初春の雨中に 舟にて和州の横江に次る 裴使君迎えられ 李・趙の
   二秀才同に来たる 因りて四韻を書し 兼ねて江南の許渾先輩に寄す

   芳草渡頭微雨時   芳草ほうそうの渡頭ととう 微雨びうの時
   万株楊柳払波垂   万株ばんしゅの楊柳ようりゅう 波を払いて垂
   蒲根水暖雁初浴   蒲根ほこん 水暖かにして 雁かり初めて浴し
   梅径香寒蜂未知   梅径ばいけい 香り寒くして 蜂はち未だ知らず
   辞客倚風吟暗淡   辞客じかく 風に倚りて 暗淡あんたんたるに吟じ
   使君廻馬湿旌旗   使君しくん 馬を廻らして 旌旗せいき湿うるお
   江南仲蔚多情調   江南の仲蔚ちゅううつ 情調じょうちょう多し
   恨望春陰幾首詩   春陰しゅんいんを恨望ちょうぼうして 幾首の詩ぞ
春草萌える船着場に 小糠雨が降っている
一万本の柳の木が 枝を垂らして波間にゆれる
蒲の根元で水は温み 雁はさっそく泳ぎはじめる
道ばたに梅の香淡く 蜜蜂も寄ってはこない
風に吹かれる詩人たち 小暗いなかで詩を吟じ
和州の刺史は馬を馳せ 旗を濡らして帰っていった
江南の張仲蔚よ 情緒ゆたかな詩心よ
どんより曇る春空を 見上げて幾首詠んだのか

 杜牧一行を乗せた舟は、水路を北にたどってまず長江に出ます。
 そして長江左岸の和州横江安徽省和県横江浦の渡津に舟泊りしました。
 横江おうこうの対岸には宣州の渡津である当塗県采石磯さいせききがあるのですが、横江に舟泊りしたのは、和州刺史の裴儔はいちゅうに会うためです。
 裴儔は杜牧の姉の夫で、小雨の降るなか李・趙という二人の若い詩人を連れて出迎えてくれました。李・趙は郷貢に及第している秀才進士受験資格者で、杜牧の詩風を慕っていたのでしょう。
 杜牧はこの七言律詩を許渾きょこんにも送っています。許渾は大和六年八三二に杜顗と同期で進士に及第し、このとき当塗県の県尉をしていました。
 つまり横江の対岸の町にいたわけです。許渾は四十歳を過ぎてから進士に及第したので、杜牧よりも十歳以上年長でした。だから詩人としては先輩格になるので、「江南の仲蔚」と呼びかけて詩を贈ったのです。
 仲蔚は後漢の張仲蔚のことで、詩文にすぐれ、清貧を好む高士として知られていました。
 だから許渾を張仲蔚に擬して、その高潔な人格を褒めたのです。
 本来なら、宣州の官吏は当塗県の渡津から長江へ船出するわけで、当然、許渾は見送ることでしょう。しかし、杜牧は姉婿に会うために横江に舟を泊めたので、許渾に会わずに通り過ぎました。
 その事情を説明し、あわせて留別の詩としたものと思われます。


     題烏江亭        烏江亭に題す 杜牧

   勝敗兵家事不期   勝敗は 兵家へいかも 事ことせず
   包羞忍恥是男児   羞はじを包み恥を忍ぶは 是れ男児だんじ
   江東子弟多才俊   江東こうとうの子弟 才俊さいしゅん多し
   卷土重来未可知   卷土重来けんどちょうらいいまだ知る可からず
兵家は勝敗に 一喜一憂せず
恥辱を忍ぶのは 男子の務め
江東の子弟に 俊才多く
卷土重来すれば 結果はわからない

 詩題の「烏江亭」うこうてい:安徽省和県烏江鎮は秦代の渡津で、横江の北、すぐ近くにあります。項羽が劉邦の兵に追い詰められて自刎した地で、『史記』に名高い古戦場です。
 杜牧は地もとの李・趙二秀才に案内されて、訪ねたものと思われます。
 歴史に「もし…」と想像を加えて描く詠史詩はこれまでになかったもので、杜牧は史書に詳しく、しばしば詠史詩を作りますが、歴史に仮定を持ちこんで詠う手法で歴史観と同時に計略の才もあることを示したかったのでしょう。杜牧は若い詩人に憂国の至情を披歴せずにはおれませんでした。
 「羞を包み恥を忍ぶは 是れ男児」と覚悟のほどを述べ、時勢の困難を乗り切ってゆく考えを示します。


      漢江           漢江 杜牧

  溶溶漾漾白鷗飛  溶溶ようよう 漾漾ようよう 白鷗はくおう飛ぶ
  緑浄春深好染衣  (みどり)(きよ)く春深くして (ころも)を染むるに()
  南去北来人自老  南去なんきょ 北来ほくらい 人自おのずから老ゆ
  夕陽長送釣船帰  夕陽せきようとおく送る 釣船ちょうせんの帰るを
水は揺らめいて流れ 白鷗は乱れ飛ぶ
春は深まり清らかな青 旅の衣も染まりそうだ
南へ北へ行っては帰り 人はいつしか老いていく
家路をたどる釣舟を 紅い夕陽が照らしていた

 杜牧は横江をあとにすると、長江を西へ遡ってゆきます。舒州での役目を終えて宣州に帰る裴坦と再会したのは、この前後のことでしょう。江州刺史の杜慥とぞうは従兄杜悰とそうの弟で、杜牧はかねてから親しくしていました。
 杜慥は杜牧一家をこころよく迎え、杜顗を預かってくれました。
 江州潯陽の渡津で別れるとき、杜牧は弟杜顗の手を取って、きっと治るから望みを失わずに療養するようにと、涙を流して励ましました。
 弟と医師を江州に残して、杜牧は春二月の江南を長江から漢水へと遡ってゆきます。漢水の春景色のなか、杜牧は「南去 北来」のうちに老いてゆく自分に憐れみの目をそそぐのでした。


 李甘詩       李甘の詩 杜牧

太和八九年    太和たいわ八九はちく
訓注極虓虎    訓注くんちゅう 虓虎こうこを極きわ
潜身九地底    身を九地きゅうちの底に潜ひそ
転上青天去    転じて青天せいてんに上りて去る
四海鏡清澄    四海しかい 鏡 清澄せいちょう
千官雲片縷    千官せんかんくも片縷へんるたり
公私各閒暇    公私こうし 各々おのおの閒暇かんかあり
追遊日相伍    追遊ついゆう 日に相伍あいご
太和の八九年
李訓と鄭注は咆虎の勢いを極める
地中深く 身をひそめたと思えば
一転して 青天に昇る勢い
天下は 鏡のように澄みわたり
官吏は すべて雲とつらなる
公私を問わず無事平穏で
互いに遊びまわる毎日だった

 杜牧が都に着いて内官勤務をはじめたころ、文宗は病の床に臥していました。大明宮思政殿の奥深くに閉じこもって、朝廷に出ることもありません。
 そのころ杜牧は、李甘が貶謫地の封州広東省封川県で死んだという報せを聞きました。李甘は四年前の甘露の変の直前、御史台の同僚でした。
 この硬骨の友が流謫のまま死んだことに、杜牧は悲憤して六十八句、三百四十字の五言古詩を書きます。杜牧は詩を甘露の変の首謀者李訓りくんと鄭注ていちゅうの急激な勢力拡大から詠い出します。天下の官吏は変事が近づいていることも知らずに、平穏に遊びまわっている毎日だったと詠います。

豈知禍乱根    豈に知らん 禍乱からんの根こん
枝葉潜滋莽    枝葉しようひそかに滋莽じもうするを
九年夏四月    九年夏四月
天誡若言語    天誡てんかい 言語げんぎょの若ごと
烈風駕地震    烈風れっぷう 地震に駕
獰雷駆猛雨    獰雷どうらい 猛雨を駆
知らない間に 禍乱の根は張り
枝葉がひそかに はびこっていた
大和九年の秋八月
天誡は人語のようにくだる
烈風が地震に加わり
雷は猛然と豪雨を駆り立てる

 このあと杜牧は大和九年八三五十一月の甘露の変にいたる経過を詳細に詠います。李訓と鄭注を批判し、鄭注の任用に反対を称えた李甘りかんの勇気を褒め称えます。原文に「夏四月」とあるのは、八月の誤りです。
 鄭注の宰相就任の噂を聞いて反対した李甘は、秋八月、封州の司馬にながされましす。杜牧はさらに、李甘の配流の旅の困難であったことを述べるのですが、以下四十句は甘露の変の記述が主ですので省略します。

其冬二兇敗    其の冬 二兇にきょう敗れ
渙汗開湯罟    渙汗かんかん 湯罟とうこを開く
賢者須喪亡    賢者けんじゃ 喪亡そうぼうを須
讒人尚堆堵    讒人ざんじん 尚お堆堵たいしょ
予於後四年    予のち四年に於いて
諌官事明主    諌官かんかん 明主めいしゅに事つか
その冬 二兇は敗れ去り
詔書が発せられて法令は整う
だが 賢者に危険はつきものだ
讒佞の徒はいまもはびこっている
わたしは事件後四年にして
諌官となって明主に仕える

 四十句を省略して最後の部分を二回に分けて掲げます。
 まずはじめの六句は李訓・鄭注の「二兇」が敗れ、世は平穏になりました。
 しかし、讒佞の徒はいまもはびこっていると詠います。甘露の変後四年たって、杜牧は諌官になって明主に仕えていると現在の状況を述べます。「諌官」とは左補闕のことですので、天子を諌める役目に就いたことを言うのです。

常欲雪幽寃    常に幽寃ゆうおんを雪そそがんと欲し
於時一裨補    時に於いて一裨補いちひほせんとす
拜章豈艱難    拜章はいしょうに艱難かんなんならんや
膽薄多憂懼    膽たん薄く 憂懼ゆうく多し
如何斗牛気    如何いかんぞ 斗牛とぎゅうの気
竟作炎荒土    竟ついに炎荒えんこうの土と作
題此涕滋筆    此れを題して涕なみだ筆を滋うるお
以代投湘賦    以て投湘賦とうしょうふに代えん
常に君の冤罪を雪ごうと思い
なんとかお役に立ちたいと念じた
上書が困難なわけではなかったが
勇気がなくて いつも懼れていた
北斗と牽牛をつらぬく君の勇気も
とうとう炎熱の地の土と化す
涙を筆ににじませてこの詩を書き
漢の賈誼の投湘賦の代わりとする

 結びの八句で、杜牧は常に友人の冤罪をそそごうと思ってきたが、勇気がなくて李甘の冤罪を晴らすことができなかったと、自分の臆病を嘆きます。
 そして、とうとう勇気のある李甘を南の流謫地でなくしてしまったと詠うのです。「投湘賦」は漢の賈誼かぎが長沙に左遷されたとき、屈原の死を悼んで作った賦のことです。自分にできることは、痛恨の思いを詩に書くことだけだと詠って杜牧は哀悼の詩を結ぶのでした。


  早行         早行 杜牧

垂鞭信馬行    鞭むちを垂れ 馬に信まかせて行く
数里未鶏鳴    数里 未いまだ鶏鳴けいめいならず
林下帯残夢    林下 残夢ざんむを帯び
葉飛時忽驚    葉飛びて 時に忽たちまち驚く
霜凝孤鶴迥    霜凝りて 孤鶴こかくはるかに
月暁遠山横    月暁あかつきにして 遠山えんざん横たわる
僮僕休辞険    僮僕どうぼくよ 険けんを辞するを休めよ
時平路復平    時とき平らかなれば 路も復た平らかなり
鞭を垂れ 馬にゆだねてゆっくり進む
数里を行き 夜明けの鶏の声もない
うとうとと 木立の路を行けば
散る落葉の かすかな音に驚かされる
霜は白く凍てつき 遥かかなたに鶴一羽
有明の月傾く辺り 遠くに山が横たわる
僮僕たちよ 路が険しいと嘆くでない
泰平の世に 路は当然 平らなはずだ

 翌開成五年八四〇に、杜牧は膳部員外郎・史館修撰に転任しました。
 やっと尚書省の員外郎従六品上になったわけですが、膳部は尚書省礼部に属し、陵廟の管理をつかさどる役目ですから、重要な部署ではありません。
 杜牧はこの異動をこころよく思わなかったようです。
 この年の正月、文宗が亡くなりました。
 文宗の弟武宗が宦官に擁立されて即位しますが、武宗は穆宗の五男で兄弟天子が三代つづくことになります。皇位の継承は政変をともないます。
 秋九月になると淮南節度副大使の李徳裕が門下侍郎・同中書門下平章事に復帰して宰相になり、牛党の給事中正五品上白敏中はくびんちゅうが婺州ぶしゅう:浙江省金華県に左遷されます。
 また、牛僧孺は東都洛陽留守に退き、李宗閔も閑職に追いやられました。
 その冬、杜牧は休暇をもらって弟杜顗を江州に見舞いに行きます。
 政変が身に及ぶのを避ける意味もあったかもしれません。
 また眼医の石公集は、前年の四月に杜顗に針を施し、九月にも再度手術をしましたが、効かなかったという報告を受けていました。
 だから、今後のことを相談する必要も生じていました。
 杜牧が江州へ発つとき、妻はみごもっていましたし、冬の旅でもあったので、妻は長安に残し、従者だけをつれて陸路武関を越えて南へ向かいます。
 詩は道中の作で、風景を描いて繊細です。「僮僕」は杜牧と主従関係にある使用人であり、杜家に隷属している者です。
 その従者へ「時平らかなれば 路も復た平らかなり」と諭していますが、自分自身に言い聞かせているような雰囲気があります。


 罷鐘陵幕吏十三年 来泊湓浦 感旧為詩 杜牧
  鐘陵の幕吏を罷めて十三年 来たりて湓浦に泊し 旧に感じて詩を為る

   青梅雨中熟    青梅せいばい 雨中うちゅうに熟し
   檣倚酒旗辺    檣しょうは倚る 酒旗しゅきの辺ほとり
   故国残春夢    故国 残春ざんしゅんの夢
   孤舟一褐眠    孤舟 一褐いっかつの眠り
   揺揺遠堤柳    揺揺ようようたり 遠堤えんていの柳
   暗暗十程煙    暗暗あんあんたり 十程じっていの煙
   南奏鐘陵道    南に奏はしる 鐘陵しょうりょうの道
   無因似昔年    昔年せきねんに似るに因よし無し
梅の実は 梅雨に打たれて熟し
帆柱が 酒楼のあたりに林立する
長安は 去りゆく春の夢
孤舟の旅 褐衣で寝た夜が懐かしい
連なる堤 柳は風にようようと揺れ
十程の彼方まで 小暗く靄は立ちこめる
南へつづく 鐘陵の道よ
青春の日は 二度ともどって来ないのだ

 杜牧は弟の目の治療がおもわしくないので、都へ連れて帰るつもりでした。
 ところが、杜顗は帰りたがりません。実は杜顗はそのころ両眼失明に近かったので、都の知人にみじめな姿をさらしたくなかったかも知れません。
 もうひとつの理由は、杜顗はそのころ侍女の介護なしには何事もできなくなっており、その侍女がとても気立てのよい娘でした。
 杜顗は娘の介護なしには生活できなくなっていたのです。
 明けて会昌元年841春、杜顗は三十五歳になります。杜牧は弟にも生涯の伴侶となる妻を考えてやってもよいと思うようになり、身分違いではありますが、弟の生涯を託すにはこの娘しかいないと思うようになりました。
 杜牧は二、三か月を費やして娘の家との婚約をととのえ、ふたりを結婚させて都へもどろうとしました。ところが春の終わり近くに、江州刺史の杜慥とぞうが蘄州きしゅう:湖北省蘄春県刺史に転任になりました。
 蘄州は江州の西北で、あまり離れていません。
 杜顗は新婚の妻のためにも住み慣れた江南にとどまりたいというので、杜牧はいっしょに蘄州まで送ってゆくことにしました。
 一行は出発の前に江州の渡津湓浦ほんぽで一夜を過ごします。
 詩はそのときのものです。詩題の「鐘陵」は洪州城を県名で呼んだもので、杜牧がはじめて洪州に赴任したときから十三年の歳月が流れていました。
 杜牧ははるか南へつづく鐘陵への道をのぞみながら、青春の日々を懐かしむのでした。


  入商山          商山に入る 杜牧

早入商山百里雲   早つとに入る 商山 百里の雲
藍渓橋下水声分   藍渓らんけいの橋下 水声すいせい分かる
流水旧声人旧耳   流水りゅうすいは旧声 人は旧耳きゅうじ
此廻嗚咽不堪聞   此の廻たびは嗚咽おえつして 聞くに堪えず
白雲なびく商山へ 早朝から分け入った
藍渓の橋下に 流れの音がはっきり聞こえる
流水に変わりなく 以前と同じ耳なのに
むせび泣く今度の声は 聞くに堪えない

 杜牧は蘄州でしばらく過ごしたあと、弟と別れて長安にもどります。その途中、友人の張文規ちょうぶんきと会うために、安州湖北省安陸県を訪ねました。
 張文規は安州刺史から湖州浙江省呉興県刺史に転勤するところでした。
 湖州は太湖の南岸の街ですから、僻遠の地への左遷といっていいでしょう。
 張文規は父親が宰相になったことのある名門の出で、尚書省の郎中も経験していますので、杜牧の先輩と言っていいでしょう。ふたりは酒を酌み交わしながら、李党の全盛となった中央の政局を慨歎したかもしれません。
 杜牧が長安に帰任したのは秋七月でした。
 妻はこの年、次男の柅柅じじ:幼名を生んでいます。
 杜牧が比部員外郎・史館修撰に転じたのは、帰任したあとでしょう。
 比部は尚書省刑部に属し、諸司百僚の経費を検査する部署です。
 会計検査官のような役目で、人の好む部署ではありません。
 杜牧の不満は鬱積してゆきます。
 杜牧は今度の人事に、宰相李徳裕の悪意を感じましたが、翌年正月になると今度は黄州刺史への転出を命ぜられたのです。
 黄州湖北省黄岡県は蘄州の西北百里約五六㌔㍍のところにあって、弟のいる地に近いのですが、このころの州刺史は品階は高いけれども、権限はすくない閑職とみなされていました。杜牧はこのまま都にとどまって、中央の要職、できれば中書舎人とか給事中になりたいと思っていたと思いますが、四十歳になっての州刺史への転出は、左遷に等しい挫折でした。
 杜牧は党派に偏せず、国家に尽くしたいと思っていましたが、その希望は形だけの栄転によって見事に裏切られたのです。
 杜牧は二月末か三月はじめに、妻子をともなって長安を発ちます。
 長安の東南に藍田の谷があり、その谷を藍谷水が北流しています。
 都から二日前後の行程で、藍橋の駅亭に到着できます。藍橋から商山へ向かう山路には、深い谷をまたいで橋が架かっており、杜牧は橋下の流水の音を聞いて「聞くに堪えず」と怒りをあらわにするのです。自然の姿に変わりはないけれども、今度の異動は腹に据えかねるものがあったのでしょう。


     商山麻澗        商山の麻澗 杜牧

   雲光嵐彩四面合  雲光うんこう 嵐彩らんさい 四面しめんより合し
   柔柔垂柳十余家  柔柔じゅうじゅうたる垂柳すいりゅう 十余家あり
   雉飛鹿過芳草遠  雉きじ飛び鹿しか過ぎて 芳草ほうそう遠く
   牛巷鶏塒春日斜  牛は巷ちまたに鶏は塒ねぐらに 春日しゅんじつ斜めなり
   秀眉老父対罇酒  秀眉しゅうびの老父 罇酒そんしゅに対むか
   蔳袖女児簪野花  蔳袖せんしゅうの女児 野花やかを簪かんざ
   征車自念塵土計  征車せいしゃ自ら念おもう 塵土じんどの計
   惆悵渓辺書細沙  惆悵ちゅうちょうして 渓辺けいへん 細沙さいさに書く
雲の光よ 靄の色 あたり一面に立ちこめて
柔らかに枝垂れる柳 十余軒の家がある
春草むらの続くなか 雉は飛び立ち鹿は去り
夕陽をあびて 鶏は塒に 牛は家路を辿りゆく
浄らかな眉の翁は ゆっくりと酒を飲み
茜色の服の少女は 野草の花を髪に挿す
旅の車に揺られつつ 世の生き方に思いをはせ
川の岸辺の砂浜に 無念の憶いを書きつける

 憤懣の思いを抱きながら、杜牧は秦嶺しんれいの山路へ分け入ります。峠を越えたところに商州陝西省商州市があり、あたりの山を商山といいます。
 商州の手前の山あいに十余軒の村商州市麻街があり、薄靄のなか、しだれ柳が揺れ、草むらから雉が飛び立ち、鹿が逃げてゆきます。
 山里の平穏な日暮れのなかで、杜牧は車に揺られながら人の世の生き方に思いをはせるのでした。
 村を流れる谷川を「麻澗」まかんといい、丹水の上流にあたります。
 杜牧は川原に下りて、岸辺の沙地に詩を書きつけました。
 その詩はすぐに消え去って、沙といっしょに丹水から漢水へ、さらには長江へと流れ去るでしょう。無念の思いはまだ消えませんが、「商山の麻澗」の詩は実に美しいと思います。
 山里の人々の無心な姿に、杜牧は心が洗われる思いであったのでしょう。


  村行         村行 杜牧

春半南陽西    春半なかばなり 南陽なんようの西
柔桑過村塢    柔桑じゅうそう 村塢そんおを過ぐ
娉娉垂柳風    娉娉ほうほうたり 垂柳すいりゅうの風
点点迴塘雨    点点てんてんたり 迴塘かいとうの雨
蓑唱牧牛児    蓑みのきて唱うは 牧牛ぼくぎゅうの児
籬窺蒨裙女    籬まがきより窺うは 蒨裙せいくんの女じょ
半湿解征衫    半ば湿うるおいて 征衫せいさんを解けば
主人饋鶏黍    主人 鶏黍けいしょを饋すす
春も半ば 南陽の西までやってきた
若葉の茂る桑畑 鄙びた村にさしかかる
春風に しだれ柳はなよなよと揺れ
春雨は 池の面にてんてんと降る
蓑をまとった少年は 唱いながら牛を飼い
籬の陰から覗いている 少女の服は茜色
濡れてしまった旅衣 脱げば主人は親切に
心づくしの鶏や黍御飯 暖かい料理でもてなした

 杜牧の一行は武関を過ぎて、「南陽」鄧州の郡名の平野に出ました。ひろがる野中を東南に進み、春の半ばに鄧州河南省鄧州市の西の村にやってきます。
 村々の長閑な風物、あふれる春のいぶき、働く少年や人見知りする少女の姿も杜牧の詩情をかき立てます。やがて春雨が降ってきました。
 一飯の宿を求めて濡れた旅衣を脱ぐと、宿の主人は暖かい田舎料理でもてなしてくれます。
 美しい自然や暖かい人情に触れて、杜牧は心も和んでくるのでした。


 途中作       途中にて作る 杜牧

緑樹南陽道    緑樹りょくじゅ 南陽の道
千峯勢遠随    千峰せんぽう 勢い遠く随したが
碧渓風澹態    碧渓へきけい 風澹しずまりし態さま
芳樹雨余姿    芳樹ほうじゅ 雨余みし姿
野渡雲初暖    野渡やとくも初めて暖かく
征人袖半垂    征人せいじんそでなかば垂る
残花不一酔    残花ざんか 一酔いっすいせずんば
行楽是何時    行楽こうらくは 是れ何いずれの時ぞ
南陽の道に 樹々は豊かな緑色
行っても行っても 山が遠くに見えている
澄んだ流れ 風も穏やかに吹き
花咲く樹々の 濡れた姿がみずみずしい
野原の渡場で 雲はようやく暖かになり
旅衣の袖は 濡れていささか垂れている
ゆく春よ 散りゆく花よ ここでひと酔いしなければ
人生いったい いつになったら楽しめるのか

 この詩は「村行」と同じ時期の作品でしょう。南陽の道の右手、遠くには秦嶺の南に横たわる武当山のやまやまがどこまでも続いています。
 小川の清い流れ、吹く風も穏やかで、花咲く樹々は雨に濡れて、みずみずしく照り映えています。旅装の袖は濡れましたが、暖かな春の陽気に包まれて、杜牧はひと酔いするのも人生の喜びではないかと思うのでした。


     春尽途中       春尽くる途中 杜牧

   田園不事来遊宦  田園 事こととせず 来たりて遊宦ゆうかん
   故国誰交爾別離  故国より 誰か爾なんじをして別離べつりせ交むる
   独倚関亭還把酒  独り関亭かんていに倚りて 還た酒を把
   一年春尽送春時  一年 春尽きて 春を送るの時
田園に隠れて住まず 地方まわりの役人ぐらし
どうした運命で おれは故郷から出てゆくのか
関亭の宿に坐し ひとり酒を飲む
春も終わって 春を見送る切なさよ

 杜牧は陽春の気にすこし浮かれ、村人の親切に心なごむときもあるが、地方勤めをくりかえす身のわびしさに嘆く日もある。
 宿舎の部屋にひとり坐して酒にまぎらす夜もあり、いつしか春は過ぎようとし、夏が近づいていた。

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