感諷五首 其三  感諷 五首 其の三 李賀

南山何其悲   南山なんざん 何ぞ其れ悲しき
鬼雨灑空草   鬼雨きう 空草くうそうに灑そそ
長安夜半秋   長安ちょうあん 夜半やはんの秋
風前幾人老   風前ふうぜん 幾人いくいひとか老ゆ
低迷黄昏径   低迷ていめい 黄昏こうこんの径
裊裊青櫟道   裊裊じょうじょうたり 青櫟せいれきの道
月午樹立影   月つきにして 樹じゅ 影を立て
一山唯白暁   一山いちざん 唯 白暁はくぎょう
漆炬迎新人   漆炬しつきょ 新人を迎え
幽壙蛍擾擾   幽壙ゆうこうほたる擾擾じょうじょうたり
終南山は どうしてこんなに悲しげなのか
幽魂のような雨が さびしい野原に降っている
長安の秋の夜更け
人々は風に吹かれて老いていく
黄昏の小径を歩いてゆけば
揺れ動く櫟くぬぎの並木道
月は頭上にあって 樹の影は直立し
全山は 夜明けのように白く明るい
鬼火が 新しい死者を迎えているのか
墓穴の暗いあたり 乱れ飛ぶ蛍の光

 「感諷 五首」も制作年不明の詩ですが、五首のうち其の一では官吏の堕落した姿を描き、其の二では漢の賈誼かぎのような賢臣も讒言に遇って左遷されたと詠っています。
 其の三の詩に描かれる「南山」終南山の夜更けの秋景色は淒愴です。「幽壙」は奥まったところにある墓穴のことで、あたりには蛍が乱れ飛んでいます。李賀はそれを「漆炬」墓前に掲げる灯火が新しい死者を迎えているとみるのです。
 蛍の光をを鬼火に喩えているのでしょう。


感諷五首 其四 感諷 五首 其の四 李賀

星尽四方高   星ほし尽きて 四方しほう高し
万物知天曙   万物ばんぶつ 天の曙くるを知る
己生須己養   己おのれが生は己れが養ようを須
荷担出門去   荷担かたんして門を出でて去る
君平久不反   君平くんぺい 久しく反かえらず
康伯遁国路   康伯こうはく 国路こくろを遁のが
暁思何鐃鐃   暁思ぎょうし 何ぞ鐃鐃どうどうたる
闤闠千人語   闤闠かんき 千人の語
星は消え 四方の空は高くなり
万物は 夜明けのときを知る
人は自分の人生を みずから養わねばならぬ
だから荷物を担いで 門を出てゆく
厳君平のような人は もはや世になく
韓伯休は 天子のお迎えから逃げ去った
朝から思う なんであんなに騒がしいのか
市場では 千人もの人がしゃべっている

 其の四の詩では、「己れが生は己れが養を須つ」と自分の人生にはみずから責任を負わなければならないと思うのですが、人生は苛酷です。
 「君平」は漢の厳遵げんじゅん、字は君平のことで、蜀の成都の市場で卜筮をして暮らしていました。易断をして人に法を説き善に導きましたが、みずからを養うに足るときは店を閉じたといいます。
 「康伯」は後漢の韓康かんこう、字は伯休のことで、韓康は名門の出でしたが、薬草を採って長安の市場で売っていました。
 常に正価をつけて三十年間値段を改めなかったので有名になると、有名であることを嫌って山中に隠れてしまいます。桓帝が迎えの車を出しましたが、途中から逃げ出してしまったといいます。李賀は今の世には厳遵や韓康のように出世に恬澹とした人物はいないと嘆いているのです。
 結びの二句では、市場で人が騒々しくしゃべっている姿に嫌悪感を示していますが、古代の市場は庶民の買い物の場であっただけではなく、士人たちの交流の場でもありました。李賀は士人たちが市場で人の出世の噂などをがやがやと取り沙汰していると言っているのです。


 傷心行       傷心行 李賀

咽咽学楚吟   咽咽えつえつ 楚吟そぎんを学び
病骨傷幽素   病骨びょうこつ 幽素ゆうそを傷いた
秋姿白髪生   秋姿しゅうし 白髪はくはつ生じ
木葉啼風雨   木葉もくよう 風雨に啼
燈青蘭膏歇   燈ともしび青くして蘭膏らんこう
落照飛蛾舞   落照らくしょう 飛蛾ひがは舞う
古壁生凝塵   古壁こへき 凝塵ぎょうじんを生じ
羇魂夢中語   羇魂きこん 夢中むちゅうに語る
むせび泣きつつ 楚辞の調べを学び
多病の身で ひそかに寂しさを噛みしめる
はや秋の姿で 白髪は生え
木の葉が 雨に打たれて啼いている
灯火は青く 香油はつき果て
飛んできた蛾が 消えかけた火を舞いめぐる
古びた壁に 塵が積もって凝り固まり
うらぶれた旅心 夢の中でのひとり言

 李賀はもともと、長安に永くとどまる心算はありませんでした。
 二か月ほど経って冬も近くなると、いつまでも都にとどまっていることは経済的にも苦しくなります。
 李賀は尾羽打ち枯らした心境で都を後にしました。「傷心行」しょうしんこうは、長安から洛陽を経て昌谷にもどる旅の一夜を描く作品と思われます。
 楚辞の調べは李賀のもっとも愛するものでしたが、それも今は寂しさを噛みしめる調べでした。病身のために年よりは老けてみえる李賀でした。
 その姿は秋の木の葉が風雨に打たれているようだと詠います。
 後半では旅の宿の寂れたうら淋しい情景が描かれますが、それは李賀の心境でもあると思われます。すべては夢です。
 詩は「羇魂 夢中に語る」と結ばれ、人生のすべてを費やした詩作は、夢の中のひとり言に過ぎないとまで言うのです。


洛陽城外別皇甫湜 洛陽城外 皇甫湜に別る 李賀

洛陽吹別風   洛陽らくよう 別風べっぷう吹き
龍門起断煙   龍門りゅうもん 断煙だんえん起こる
冬樹束生渋   冬樹とうじゅ 生渋せいじゅうを束つが
晩紫凝華天   晩紫ばんし 華天かてんに凝
単身野霜上   単身たんしん 野霜やそうの上
疲馬飛蓬間   疲馬ひば 飛蓬ひほうの間かん
凭軒一双涙   軒けんに凭る 一双いっそうの涙
奉堕緑衣前   堕おとし奉る 緑衣りょくいの前
洛陽の街に 別れの風が吹き
龍門には 途切れ途切れの雲が湧く
冬の並木は うらぶれて佇み
夕焼け雲は 紫色に暮れてゆく
私はひとり 疲れた馬に乗って
霜の野原 枯れた蓬の間に立っている
緑衣の前で あなたの車に縋りつき
両の目から 溢れ出る涙を捧げます

 李賀が洛陽で皇甫湜と別れるのは、帰郷の旅の途中であるとも考えられますが、昌谷から洛陽まではさほど遠くありませんので、李賀はいったん故郷に帰ってから、皇甫湜が洛陽に来ていることを知って会いに行ったとも考えられます。
 皇甫湜はすでに侍御史従四品上になり、緑衣を着る身分になっていました。
 洛陽郊外の野に冬の風が吹き、李賀は「疲馬」に乗って「飛蓬」枯れて地を転げる蓬の間に立っています。孤独でうらぶれた姿、寄る辺もない李賀です。
 「軒に凭る 一双の涙 堕し奉る 緑衣の前」と、詩中で李賀がこのように悲痛に率直に自分の感情を訴えたことはありません。
 「軒」は軒車のことで、高官の車です。「緑衣」は位階七品の者の官服であり、李賀は出世をした皇甫湜の前で「一双の涙」を流すのです。
 皇甫湜は李賀をもっともよく理解してくれた先輩で、この別れが最後の別れになることを、李賀は感じていたのかもしれません。「堕し奉る」という丁寧な言い方が、最後の別れになることを示しているように思われます。
 李賀は元和十一年八一六の冬、皇甫湜と会うために洛陽に行き、そしてその年のうちに昌谷の家で亡くなりました。享年二十七歳です。
 南北に遊歴した旅も詩人の胸中の欝屈を癒すことはできず、かえって体力を消耗させることになってしまいました。
 早過ぎる死が、詩人を永遠の彼方に運び去ってしまいました。

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