出城寄権璩楊敬之  城を出でて権璩・楊敬之に寄す 李賀

   草暖雲昏万里春   草は暖かに雲は昏くらし 万里の春
   宮花払面送行人   宮花きゅうかおもてを払って行人こうじんを送る
   自言漢剣当飛去   自ら言う 漢剣かんけんまさに飛び去るべしと
   何事還車載病身   何事ぞ 還車かんしゃに病身を載するとは
草は暖か曇り空 みわたす限りの春景色
宮城の花びらが 顔をかすめて俺を見送る
漢剣のように 世間に出ると自負した俺だが
何ということだ 病身を車に載せて都を去るとは
 沈亜之に再度の挑戦を期待すると励ました李賀ですが、それからほどなく、李賀は奉礼郎の職を辞して故郷に帰ることになります。
 病身のために長安でのひとり暮らしに堪えられなかったという面もあったと思いますが、奉礼郎という職務がいかにも屈辱的で、李賀の繊細な感性では堪え難い面があったのかもしれません。友人の権璩けんきょと楊敬之ようけいしが城外まで見送ってくれましたので、李賀は留別の詩を贈っています。
 この詩によって、李賀が長安を去ったのは晩春のころと分かります。
 転句に「自ら言う 漢剣 当に飛び去るべしと」とありますが、この句は故事を踏まえています。晋の武帝の太康五年二八四、恵帝の永康元年とする異説ありに、宮廷の宝物を入れておく武器庫が炎上し、そのとき中にあった漢の高祖劉邦の剣が屋根を突き破って飛び去ったといいます。
 李賀は「漢剣」のように世に突き出ようと都に出てきましたが、立身出世の志を果たせずに故郷にもどることになるのです。
 春帰昌谷     春 昌谷に帰る 李賀

束髪方読書   束髪そくはつまさに書を読み
謀身苦不早   身を謀はかる 早からざる苦しむ
終軍未乗伝   終軍しゅうぐん 未だ伝でんに乗らず
顔子鬢先老   顔子がんしびんず老ゆ
天網信崇大   天網てんもうまことに崇大すうだいなれど
矯士常掻掻   矯士きょうし 常に掻掻そうそうたり
逸目駢甘華   逸目いつもくには甘華かんかならぶも
羇心如荼蓼   羇心きしん 荼蓼とりょうの如し
髪を束ねる年になって 書を読みはじめたが
生涯の計を立てるには やや遅すぎた
終軍であるべき自分は いまだ伝車に乗らず
顔回であるべき自分は はやくも鬢に白髪が生えた
天子の御心は まことに広大だが
志のある者は つねに憂えている
暢気者の目に ご馳走が並ぶとみえても
旅人の心には 苦菜か蓼のようだ

 病身を車にゆだねて都を去ると言っていますが、李賀は帰途の車のなかで五言五十二句の長詩を書き、これまでの人生を顧みています。
 また、沿道の風景を描いて感懐を述べています。
 長い詩ですので全詩を六回に分けて掲げます。はじめの八句は、学問を始める時期が遅かったのを残念がる言葉からはじまります。「終軍」は漢の武帝のとき、十八歳にして長安に上り、武帝に用いられました。
 謁者給事中になって伝車に乗り、郡国に使者となりましたが、自分はそのような身分になれなかったというのです。「顔子」は孔子の弟子顔回のことで、弟子のうち第一の人材と認められましたが、「年二十九にして髪白く、三十一にして死す」『孔子家語』とあります。李賀は自分は顔回ほどの学問もないのに、はやくも白髪になってしまったと嘆くのです。「天網」は天子が天下の賢才を洩れなく集めることの喩えですが、いまの世は志のある者が用いられず、ご馳走が並んでいるように見えても、「旅人」李賀自身でしょうの目には「荼蓼」「にがな」か「たで」のように苦く見えるというのです。

旱雲二三月   旱雲かんうん 二三月にさんがつ
岑岫相顛倒   岑岫しんしゅうあい顛倒てんとう
誰掲赬玉盤   誰か赬玉ていぎょくの盤を掲かかぐるや
東方発紅照   東方に紅照こうしょうおこ
春熱張鶴蓋   春熱しゅんねつに鶴蓋かくがいを張り
兎目官槐小   兎目ともく 官槐かんかい小なり
思焦面如病   思いは焦げて 面おもては病めるが如く
嘗胆腸似絞   胆きもを嘗めて 腸はらわたしぼるに似たり
京国心爛熳   京国けいこく 心 爛熳らんまんとして
夜夢帰家少   夜夢やむ 家に帰ること少まれなり
二月と三月は 日照りの日がつづき
山のほら穴が ひっくり返ったようだった
赤い太陽を 誰が掲げて持っているのか
東の方から 紅い光が射してくる
春の酷暑に 白い蓋きぬがさを車に張り
槐の並木には 兎の目ほどの芽が吹いている
思いは熱いが 顔は病人のようで
胆を舐めて 腸を絞る思いである
都の生活で 心はばらばらになり
夜にみる夢も 帰郷の夢は稀である

 今日の十句は、都の最近のようすです。
 二月、三月と日照りがつづき、春というのに暑かったようです。
 「岑岫 相顛倒す」というのは大袈裟な表現のようですが、当時は雲は山の洞穴から生ずると考えられていましたので、それが顛倒して雨雲が出なくなったという意味です。
 「鶴蓋」は車に白い覆いを張ることで、暑さを防ぐためです。
 「官槐」は役所が植えた槐えんじゅで、普通は並木のことです。
 「兎目」は槐の新芽のことと思われますが、それが「小なり」というのは兎の目よりも小さいという意味でしょう。兎の目は大きいですから、槐の新芽はそれよりも小さいと言っているのでしょう。
 最後の四句は、志を果たせずに都を去る李賀の思いです。
 「嘗胆」が春秋呉越戦争の臥薪嘗胆の故事を借りるものであることは言うまでもありません。

発靭東門外   靭じんを発す 東門とうもんの外
天地皆浩浩   天地 皆 浩浩こうこうたり
青樹驪山頭   青樹せいじゅ 驪山りざんの頭とう
花風満蓁道   花風かふう 蓁道しんどうに満つ
宮台光錯落   宮台きゅうだい 光 錯落さくらくたり
装画遍峰嶠   装画そうが 峰嶠ほうきょうに遍あまね
細緑及団紅   細緑さいりょく 及び団紅だんこう
当路雑啼笑   路に当たって啼笑ていしょうを雑まじ
香気下高広   香気こうき 高広こうこうより下くだ
鞍馬正華耀   鞍馬あんばまさに華耀かようたり
都の東門から 車で出発し
天地はみな 広々としている
驪山の頂には 青々と樹が茂り
花を吹く風が 蓁地の街道に満ちている
華清宮には 宮殿台閣がひかり輝き
まるで画幅が 峰々に張り巡らされているようだ
細やかな緑色 群れて咲く花の紅は
路に照り映え 啼きかつ笑うように混じり合う
高い広場から 香ばしい香りが降りてきて
鞍つきの馬が 華やかに輝いている

 つづく十句は、都を東へ去るところです。
 車は長安の東門から出発します。
 「発靭」は車の止め木をはずすことです。
 李賀はほどなく驪山の麓にさしかかり、華清宮が描かれます。
 当時今でも有名であった玄宗と楊貴妃の栄華には直接に触れることなく、宮殿や群れて咲く花々、鞍つきの馬などが幻想的に比喩的に描かれます。

独乗鶏棲車   独り 鶏棲車けいせいしゃに乗り
自覚少風調   自おのずから風調ふうちょうの少なきを覚おぼ
心曲語形影   心曲しんきょく 形影けいえいに語るも
秖身焉足楽   秖々ただ 身 焉いずくんぞ楽しむに足らんや
豈能脱負坦   豈に能く負坦を脱せんとし
刻鵠曾無兆   刻鵠こくこくかつて兆ちょう無し
私ひとりが 鳥籠のような車に乗って
われながら 体裁の悪い思いをしている
こころの奥で わが身の姿かたちに語りかけても
そんなことが 何の楽しみになるだろう
世の重みから 逃れ出ようとして
鵠を彫るが 家鴨すらできる兆しはないのだ

 華清宮を受けてのつづく六句は、自分のみすぼらしい帰郷姿を恥じるくだりです。「刻鵠 曾て兆無し」は後漢の馬援ばえんが兄の子をいさめて「鵠くぐいを刻して成らざるも尚、鷔家鴨に類する者也」と言ったという故事を引くもので、志成らずして帰郷する李賀の複雑な心境を述べるものです。

幽幽太華側   幽幽ゆうゆうたる太華たいかの側かたわ
老柏如建纛   老柏ろうはく 建纛けんどうの如し
龍皮相排戛   龍皮りゅうひあい排戛はいかつ
翠羽更蕩掉   翠羽すいう 更に蕩掉とうとう
駆趨委憔悴   駆趨くすう 憔悴しょうすいに委まか
眺覧強笑貌   眺覧ちょうらんいて笑貌しょうぼう
花蔓閡行輈   花蔓かまん 行輈こうしゅうを閡さまた
縠煙暝深徼   縠煙こくえん 深徼しんきょうに暝くら
ほの暗く佇む 太華山のほとりには
柏の老樹が 並べた旗のように立っている
幹の皮には 龍の鱗のようなひびがはしり
その上の葉は 翡翠の羽根のように揺れ動く
旅の速さは 体調のやつれに合わせているが
珍しい眺めに 思わず笑顔がこぼれ出る
花咲く藤蔓が 車の轅ながえの邪魔になり
うす暗い靄が 小路を紗のように包みこむ

 車はさらに東に進んで、東岳華山太華山の麓にさしかかります。
 八句は華山のたたずまいを描いていますが、古寂びた華山の風景に「眺覧 強いて笑貌す」と言っており、故郷に錦を飾るわけではない帰郷にためらている気分も感ぜられます

少健無所就   少健しょうけんる所無し
入門愧家老   門もんに入りて 家老かろうに愧
聴講依大樹   講こうを聴いて 大樹だいじゅに依
観書臨曲沼   書を観て 曲沼きょくしょうに臨のぞ
知非出柙虎   柙おりを出ずる虎に非あらざるを知り
甘作蔵霧豹   霧に蔵かくるる豹作るに甘んず
韓鳥処繒繳   韓鳥かんちょうは繒繳そうしゃくに処
湘鯈在籠罩   湘鯈しょうゆうは籠罩ろうとうに在
狭行無廊路   狭行きょうこうに廊路かくろ無く
壮士徒軽躁   壮士そうしいたずらに軽躁けいそうたり
健全な若者が 何事も成し得ずに
家に帰っても 年寄りに恥ずかしい
大木の陰で 講釈を聞き
池の岸辺で 書物を読む
檻を破って 跳び出す虎でないと知り
霧に隠れる 豹であるのに甘んずる
韓にいる鳥は いぐるみにかけられ
湘水の鮠は 魚捕りの籠に落ちる
狭い道をゆけば 広い路はなく
壮士もあせって 空騒ぎするだけだ

 最後の十句は全体の結びですが、帰郷した自分の姿を想像するものです。「家老」は一家の長老のことであり、ここでは母親でしょう。
 「霧に蔵るる豹」は『列女伝』にある「南山に玄豹有り、霧雨七日にして下り食せざるは何ぞや。以って其の毛を沢し文章を成さんと欲するなり。
 故に蔵れて害に遠ざかる」という話を引くものです。
 李賀は自分が失敗者として故郷に帰り、「繒繳」いぐるにに捕らえられた「韓鳥」や「籠罩」やなにかかった「湘鯈」湘水の鮠のように窮屈な肩身の狭い生活を送らなければならないことを予感します。
 しかし、結びの二句では、そうは思うものの狭い道をゆけば広い道に出ることはできないと思い直しながら、それでもあせれば空騒ぎになるだけだと、将来について迷う心情を細やかに述べています。

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