朝の太鼓が鳴りわたり 日の出を促し
日暮れの太鼓は 月の出を促す
長安の柳の新芽は 新しい簾に影を映すが
宮城の妃嬪たちは 柏の陵墓で骨となる
太鼓を打って千年 太陽はいつまでも白いが
始皇帝も孝武帝も 聞きつづけることはできないのだ
みどりの黒髪は 薄の花のように白くなるが
太鼓の音だけは 終南山とともに中国を守る
幾たびか天上界に 神仙を葬ってきたが
漏刻の滴る音は 絶え間なくつづいている
元和五年八一〇、李賀は長安での生活二年目を迎えます。
そのころ白居易は「新楽府」五十篇、「蓁中吟」十篇を書いて、政事批判の大作をつぎつぎと発表しますが、李賀は白居易の政事的社会的な詩の影響をほとんど受けていません。強いて言えば、李賀の嗜好に合うように転換して若干の影響がみられる程度です。李賀は政事問題にはほとんど関心がなく、職務に不満を抱きながら勤務をつづけていました。その間に幾人かの友人もでき、こうした友人との交遊を通じて李賀の詩は磨かれてゆきます。
「官街の鼓つずみ」は春の詩ですが、元和五年の詩か六年の詩か分かりません。
内容的には白居易の新楽府「上陽白髪人」と似たところがあります。「上陽白髪人」については、前に掲げていますので、参照してほしいと思います。
「官街の鼓」では「柏陵の飛燕 香骨を埋む」と宮廷の有名な妃嬪たちも、いまは柏の茂る陵墓の地下で白骨になっていると、時の経過の無常を詠っています。「飛燕」は漢の成帝の皇后張飛燕のことですが、ここでは有名な美女のひとりを挙げて、幾多の妃嬪を代表させるものでしょう。
蓁の始皇帝や漢の武帝は不老長生を願ったけれども、永遠の生命が得られるはずもなく、朝晩の時刻を告げる太鼓の音や漏刻の滴る音だけが、絶えることなくつづいていると詠います。
子蛇 孫蛇 鱗がうねうねとつづく
幾つかの新芽は 仙人洪崖の飯となる
葉は濃い光を放ち 緑の波に浸したようだ
葉先は揃っていて 龍の髯を束ねて切ったようだ
主人の家の壁には 州の地図が張ってあり
屋敷の堂前には 俗人どもが集まっている
明月の夜に白露が宿り 秋の涙が滴る
山頂の岩や谷間の雲は 慰めの便りを寄こすだろうか
この詩も春の作品です。詩に付されている序によると、この詩は友人の謝秀才しゃしゅうさいと杜雲卿とうんけいの求めによって作ったが、他の書きものが忙しくて、十日経ってから八句の詩を書いたと述べています。
詩題の「五粒小松」ごりゅうしょうしょうは五葉の松の若木のことで、前半四句の松の描写には、松を龍に喩えて李賀特有の凝った表現がみられます。
後半四句の冒頭に「主人」とあり、「壁上 州図を鋪く」とありますので、どこかの知州事の長安の邸に招かれたとき、同席の謝と杜から求められて、壁に掛けてあった絵を題材に詩を書いたものと思われます。
詩中の「俗儒」は必ずしも儒者を意味せず、俗っぽい人間のことですが、松には勁松けいしょうの語があるように忠貞の臣下の意味があります。
だから、高官の堂前に俗人が集まっているのをみて、五粒の松が涙を滴らせるが、松が本来在るべき山頂や谷間の雲は同情の便りを寄せるだろうかと、松の心情に思いを馳せるのです。
李賀は五粒の松に託して、反俗の思想を述べていることになります。