後園鑿井歌       後園井を鑿る歌 李賀

   井上轆轤牀上転   井上せいじょうの轆轤ろくろ 牀上しょうじょうに転ず
   水声繁  絃声浅   水声すいせいしげく 絃声げんせい浅し
   情若何  荀奉倩   情じょうは若何いかん 荀奉倩じゅんほうせん
   城頭日          城頭じょうとうの日
   長向城頭住       長く城頭に住とどまれ
   一日作千秋       一日を千秋せんしゅうと作さん
   不須流下去       須もちいず 流下りゅうかし去るを
井戸の井桁で 轆轤がまわる
水汲む音は高く 縄の音は細い
その情こころは どんなだろうか かわいそうな荀奉倩よ
城の上に太陽
長く城頭にとどまってくれ
一日を千年に引きのばし
どうか 沈むことのないように

 そのうちに妻の病気が重いとの報せが昌谷から届きます。
 しかし、勤めのある身の李賀は故郷にもどることができません。
 そのころ、家の裏庭で井戸を掘る工事が行われていました。
 井戸の轆轤の音は、妻との楽しい生活を思い出させます。
 「荀奉倩」は晋の荀粲じゅんさんのことで、荀粲は妻を愛し、妻が熱を出すと、庭に出て自分の体を冷やし、熱に苦しむ妻を冷やしてやったといいます。
 必死の看病にもかかわらず荀粲の妻は亡くなり、あとを追うように荀粲も亡くなりました。「一日を千秋と作さん」というのは、日本でいう待ち遠しいという意味ではなく、一日がすこしでも長くなってほしいという意味です。
 一日が長ければ、妻はそれだけ長く生きられるという思いを込めるものでしょう。


 題帰夢       帰夢に題す 李賀

長安風雨夜    長安ちょうあん 風雨の夜
書客夢昌谷    書客しょかく 昌谷しょうこくを夢む
怡怡中堂笑    怡怡いいたる中堂ちゅうどうの笑い
小弟裁澗菉    小弟しょうてい 澗菉かんろくを裁
家門厚重意    家門かもん 厚重こうちょうの意
望我飽飢腹    我が飢腹きふくを飽かしむるを望む
労労一寸心    労労たり 一寸いっすんの心
燈花照魚目    燈花とうか魚目ぎょもくを照らす
長安の風雨あらしの夜
旅の書生は 昌谷の夢をみる
なごやかな 母上の笑い声
小さな弟は 谷間の菉竹かりやすを摘んでいる
家の者は 私を鄭重に迎え
腹一杯に食べて ひもじい思いをしないようにという
苦しみ悩むわが心
消えかかる灯火 鰥夫の男の目は冴える

 李賀の願いもむなしく、妻はほどなく亡くなりました。
 時期は不明ですが、李賀が長安に出てきてまもないころのことでしょう。
 そんなある風雨の夜に、李賀は昌谷に帰った夢をみました。
 「風雨」ふううは嵐のことですが、嵐は和製漢字ですので中国では嵐のことを風雨といいます。「書客」は他所から来た書生のことで、李賀自身のことです。
 「中堂」は堂主部屋の中央のことで、一家の主人を意味します。
 ここでは李賀の留守宅を束ねる母親のことでしょう。
 この詩のポイントは結びの「魚目」で、魚の目は夜でも閉じず、魚は寝ないと考えられていました。また妻を亡くした夫を「鰥夫」やもめというのは、悲しみのために目を見開いて夜も寝ないからです。
 夢とはいえ、詩中に出てくるのは母と弟だけで、妻の姿はありません。
 このことから詩は妻を亡くした後の作品と考えられます。

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