始為奉礼憶昌谷山居 始めて奉礼と為り 昌谷の山居を憶う 李賀

   捜断馬蹄痕   捜断そうだんす 馬蹄ばていの痕あと
   衙回自閉門   衙より回かえって自ら門を閉ず
   長鎗江米熟   長鎗ちょうそう 江米こうべい熟し
   小樹棗花春   小樹しょうじゅ 棗花そうか春なり
   向壁懸如意   壁かべに向かって 如意にょいを懸
   当簾閲角巾   簾れんに当たって 角巾かくきんを閲けみ
馬蹄の痕を掃き清め
役所から帰って門を閉める
鍋にはやがて 江南の米が煮え
小枝には 棗の花が咲いている
壁には 如意が掛けてあり
簾のところで 頭巾の具合を確かめる

 長安に着いた李賀は、恩蔭おんいんによって職を求めます。進士に及第していなくても、李賀は遠い末裔とはいえ宗族の一員ですので、しかるべき親戚の推薦があれば先祖の功績によって流入官吏になることができるのです。元和四年八〇四の春、二十歳の李賀は太常寺の奉礼郎従九品上に任ぜられました。
 太常寺は九寺筆頭の実務官庁で、国家の祭祀を担当する部局です。
 奉礼郎は『新唐書』百官志によると「君臣の版位を掌り、以って朝会祭祀の礼を奉ずる」となっていますが、実態は公卿が諸陵に参拝するようなときに、儀仗隊伍を率いて儀礼をととのえ、奉仕をするような仕事で、李賀の自尊心を傷つけるものでした。
 李賀は長安に出てきて以来、崇義里に住んでいました。
 崇義里は皇城のすぐ南にあり、東隣りの宣陽里には万年県長安の東半分を占める県の県衙が置かれていましたので、繁華街にも近い高級住宅地です。
 おそらく親族の家の一室を借りたのでしょう。
 李賀がひとりで自炊生活をしていたことは、掲げた詩から推察できます。
 部屋の壁にかけてある「如意」は指揮や護身用の短い棒で、「角巾」は自宅で用いる頭巾です。頭巾にちょっと触ってみるという感じで、さりげない仕種がうまく描かれています。

犬書曾去洛   犬書けんしょかつて洛らくを去り
鶴病悔遊蓁   鶴病かくびょうしんに遊びしを悔
土甑封茶葉   土甑どしょう 茶葉ちゃばを封じ
山盃鎖竹根   山盃さんぱい 竹根ちくこんを鎖とざさん
不知船上月   知らず 船上の月
誰棹満渓雲   誰たれか 満渓まんけいの雲に棹さおさすや
かつて陸機は 犬に託して洛陽から便りを送った
妻の病を知り 長安に出てきたことを後悔する
土瓶の茶葉は はいったままであろうか
竹の根の盃は しまったままであろうか
舟の上には月 谷を覆って拡がる雲
舟に乗って 雲に棹さす者は誰であろうか

 「犬書 曾て洛を去り」は故事を踏まえています。
 晋の陸機りくきが洛陽に旅寓していたとき、飼っていた黄耳こうじという犬に託して故郷の呉に便りを送りました。黄耳は返事を持って帰ってきましたが、往復に半月しかかからなかったといいます。
 だから「犬書」は故郷への手紙のことです。
 つぎの「鶴病」は難解ですが、古詩に白鶴がつがいで西北から飛んできたのを見て、妻の病を知るという句があるそうです。
 このことから故郷の妻の病気のことと解されています。李賀は棗の花咲く五月に妻の病を知り、都に出てきたことを後悔するのです。
 「土甑」「山盃」の二句は自分が昌谷にいないことを示しており、故郷での生活を懐かしむ気持ちをあらわしています。
 最後の二句は、不安の形象でしょう。
 昌谷に漂っている暗雲、妻の病気を治す者は誰であろうかと問いかけることによって、自分が病気の妻の傍にいないことを詫びるのです。

目次