美人梳頭歌       美人 頭を梳るの歌 李賀

   西施暁夢綃帳寒   西施せいしの暁夢ぎょうむ 綃帳しょうちょう寒し
   香鬟堕髻半沈檀   香鬟こうかん 堕髻だけいなかば沈檀ちんだん
   轆轤咿唖転鳴玉   轆轤ろくろ 咿唖いあ 鳴玉めいぎょく転じ
   驚起芙蓉睡新足   驚起きょうきせし芙蓉ふようねむり新たに足る
   双鸞開鏡秋水光   双鸞そうらん 鏡を開けば 秋水しゅうすいの光
   解鬟臨鏡立象牀   鬟まげを解き 鏡に臨み 象牀ぞうしょうに立つ
   一編香糸雲撒地   一編の香糸こうし 雲 地に撒
   玉鎞落処無声膩   玉鎞ぎょくへい 落つる処 声無くして膩なり
美しい人の朝の夢 薄絹の帳は寒く
香しい髷 崩れた髻 沈香檀香半ばただよう
井戸の轆轤がまわり 滑車の音がする
音で目覚める蓮の花 眠りはたっぷり足りている
双鸞の鏡を開くと 澄み切った光
髷を解き鏡に向かい 寝台の前に立つ
一束の香しい糸は 雲のように床に散らばり
玉の櫛は落ちても 膩あぶらで音を立てずに滑る

 李賀の結婚の時期は不明ですが、昌谷に帰った李賀は新婚の妻と暮らすか、かねて婚約していた女性と結婚したようです。この詩の冒頭に「西施」とあり、越の美女西施を描いたとも解されますが、詩題は「美人 頭かしらを梳くしけずるの歌」となっており、美人を西施と呼んだのかもしれません。
 「鬟」は双鬟望仙髻そうかんぼうせんけいなど高く結い上げた唐代の貴婦人の髪形として当時流行しており、詩では女性が朝起きて髪を梳くさまが逐一描かれています。「美人」は多分、李賀の新婚の妻であり、その証拠として挙げられるのは「轆轤 咿唖 鳴玉転じ」の一句です。後の詩で井戸の轆轤の音が回想され、それは亡くなった妻の回想として詠われているからです。
 「一編の香糸」は美人の黒髪と思われますが、このあたりの描写は非常に繊細で濃艶です。唐代では妻とか身近な女性の描き方が確立しておらず、妻であっても宮女のように描くのは、杜甫にも見られます。

   纎手却盤老鴉色   纎手せんしゅ 却って盤わがぬ 老鴉ろうあの色
   翠滑宝釵簪不得   翠みどり滑らかにして 宝釵ほうさかざし得ず
   春風爛熳悩驕慵   春風しゅんぷう 爛熳として 驕慵きょうように悩み
   十八鬟多無気力   十八じゅうはちまげ多くして 気力無し
   粧成髷鬌欹不斜   粧しょう成りて 髷鬌わだそばだてど斜めならず
   雲裾数歩踏雁沙   雲裾うんきょ   数歩 雁沙がんさを踏む
   背人不語向何処   人に背そむいて語らず 何いずれの処にか向かう
   下階自折桜桃花   階かいを下りて自ら折る 桜桃花おうとうか
細い手で 鴉の濡れ羽色の輪金を直すが
緑の黒髪は滑らかで 簪も挿せないほどだ
春風は満ちわたり なまめかしい思いに堪えかねて
年は十八 高髷の髪の多さにぐったりしている
化粧も出来あがり そばだつ髷にゆがみはなく
雲のような裾で数歩 砂地をゆく雁のように歩く
人に背を向けて語らず 何処へ行くのか
庭の階段を下りて桜桃 花の一枝を折り取った

 詩は全体として、身辺の女性の朝の化粧のようすを愛情深く描いた作品と思われます。新婚の妻の美しさを西施になぞらえて詠ったものでしょう。
 「十八」は女性の実際の年齢かも知れませんが、年ごろの女性のことを歳十八というのは常套の表現です。最後は化粧もできあがり、若い妻が庭の階段きざはしを下りて桜桃ゆずらうめの花の咲いている一枝を折り取る場面です。
 黙って下りてゆく女性のしぐさが美しく描かれて結びとなっています。

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