昌谷詩      昌谷の詩 李賀

昌谷五月稲   昌谷しょうこく 五月の稲
細青満平水   細青せいせい 平水へいすいに満つ
遥巒相圧畳   遥巒ようらんあい圧畳あつじょう
頽緑愁堕地   頽緑たいりょく 地に堕ちるかと愁う
光潔無秋思   光潔こうけつ 秋思しゅうし無く
涼曠吹浮媚   涼曠りょうこう 浮媚ふびを吹く
竹香満淒寂   竹香ちくこう 淒寂せいせきに満ち
紛節塗生翠   紛節ふんせつ 生翠せいすいを塗
昌谷の五月の稲田
細くて青い苗が 水面に満ちている
遥かな山は 重なり合って連なり
樹々の緑は 地に垂れて落ちそうだ
清らかな光を浴びて 秋のような暗さはなく
広い野をゆく涼風は 艶めくものを吹いてゆく
竹の香は 冷えびえと静かななかに満ちわたり
竹の節目の白い粉は 緑に映えてあざやかだ

 李賀は河南府福昌県河南省宜陽市昌谷で育ちました。昌谷は父祖の地と思われますので、生まれたのも昌谷と考えていいかもしれません。福昌県は洛陽から西南に三二㌔㍍ほど洛水を遡ったところにありますが、昌谷は福昌県の城内ではなく、洛水の北岸、県城の西郊に位置しています。
 北の山間から流れ出る谷川が洛水に合流する地点の東側に昌谷はあり、近くに山をひかえた山紫水明の地です。
 李賀は故郷の山野をこよなく愛し、幾つかの詩を残しています。
 「昌谷の詩」には「作五月二十七日」の題注があり、元和七年八一二の暮春に長安の職を辞して故郷に帰って来た翌々月、李賀二十三歳のときの作品とみられます。
 李賀はこの詩で昌谷の自然を詳しく詠っていますので、九十八句に及ぶ長篇の五言古詩ですが、十三回に区切って全部を掲げたいと思います。
 まず、はじめの八句は、夏五月の昌谷、田植えが終わったところで、稲の新芽が稲田を満たしています。遠くには重なり合った「巒」円みのある山がなだらかな起伏を描き、「涼風」すずかぜが吹いています。
 竹林の竹の節目に白い粉が吹き出ていて、竹の幹の緑色に映えてあざやかというのは、李賀らしい細やかな観察です。

草髪垂恨鬢   草髪そうはつ 恨鬢こんびん垂れ
光露泣幽涙   光露こうろ 幽涙ゆうるいに泣く
層囲爛洞曲   層囲そうい 洞曲どうきょくらんたり
芳径老紅酔   芳径ほうけい 老紅ろうこう酔う
攅虫鋟古柳   攅虫さんちゅう 古柳こりゅうを鋟きざ
蝉子鳴高     蝉子せんしこうすいに鳴く
大帯委黄葛   大帯だいたい 黄葛こうかつに委ゆだ
紫蒲交狹涘   紫蒲しほ 狹涘きょうしに交わる
草の葉は 恨めしそうに鬢を垂れ
光る露は ひっそりと涙をながす
大きな洞や山の隈が 幾重にも四方を囲み
美しい小径をゆけば 花は真っ赤に咲いている
群がる虫は 古い柳の木をむしばみ
蝉は隠れて 梢の奥で鳴いている
蔦かずらが 太い帯のように垂れさがり
狭い水辺で 紫の蒲の新芽が入りまじる

 李賀は馬に乗って故郷の山野を散策します。
 五言の短い詩句の各所に、微妙な意味合いの修飾語が配され、昌谷の美しい自然がきめ細かく描き出されています。
 水辺の小径を往きながら、李賀は柳の木をむしばむ虫や隠れて鳴いている蝉、紫の蒲の新芽が伸びているのも見逃しません。

石銭差復藉   石銭せきせん 差 復た藉しゃ
厚葉皆蟠膩   厚葉こうよう 皆 蟠膩はんじたり
汰沙好平白   汰沙たさ   好はなはだ平白へいはく
立馬印青字   立馬りゅうば 青字せいじを印いん
晩鱗自遨遊   晩鱗ばんりんおのずから遨遊ごうゆう
痩鵠瞑単峙   痩鵠そうこくひぐれに単峙たんじ
嘹嘹湿蛄声   嘹嘹りょうりょう 湿蛄しっこの声
咽源驚濺起   咽源えつげんに驚濺きょうせん起こる
石の上には あちらこちらに銭苔が生え
厚い葉は どれも大きく肥えている
流れの砂は 白く平らかに伸びて
乗馬の影が 波間に揺れて文様を描く
日暮れには 魚が出てきて自由に泳ぎ
痩せた鶴が 暮れゆく岸辺に立っている
湿っぽい声 鳴いているのは土中の螻蛄おけら
泉源の咽ぶ流れが 岩に当たって飛沫となる

 李賀は小川の流れに目を移します。その中で「立馬 青字を印す」の解釈には幾つかの説がありますが、中国では白馬もしくは黒馬のことを青馬と言いますので、李賀の乗っていた馬の影が小川の波に映って、文字のような文様を描いて揺れていると解しました。
 最後の二句には、この詩を書いたころ後に詳述の李賀の鬱屈した心情が隠されているように思われますが、きっぱりした簡潔な表現になっています。

紆緩玉真路   紆緩うかんなり 玉真ぎょくしんの路
神娥蕙花裏   神娥しんが 蕙花けいかの裏うち
苔絮縈澗礫   苔絮たいじょ 澗礫かんれきに縈まと
山実垂赬紫   山実さんじつ 赬紫ていしを垂る
小柏儼重扇   小柏しょうはく 重扇ちょうせんげんたり
肥松突丹髄   肥松ひしょう 丹髄たんずいとつたり
鳴流走響韻   鳴流めいりゅう 響韻きょういんを走らし
壠秋拖光穟   壠秋ろうしゅう 光穟こうすいを拖
緩やかに巡る 玉真祠への路
神女の廟は 蕙蘭の花咲く中にある
柔らかな藻が 谷川の小石にまといつき
山の木には 熟れた赤紫の実が垂れている
小柏の木は 重ねた葉を扇のようにひろげ
松の幹からは 松脂が丹髄のように吹き出ている
せせらぎは 音高く流れ
麦秋の穂先は 垂れて黄色に光る

 昌谷の南には女几山じょきさんが聳え、山頂に蘭香神女が祀られています。
 李賀は女几山に向かいますが、はじめに「玉真の路」とあるのは、神女廟とは別に途中に玉真祠があったからです。女几山へ行くには玉真祠への路をたどって行き、さらに谷川に沿った山道を進むのです。
 「神娥」は蘭香神女のことで、帝堯の二人の娘のことです。
 二妃は帝舜の妃になり、湘水に身を投げて夫の死に殉じました。
 このことから湘妃しょうひとも呼ばれ、神女として祭られていました。
 神女廟は蕙蘭の花咲く中にあって、そこは清らかな場所でした。
 以下十四句にわたって神女廟にいたる道筋のようすが描かれます。
 「肥松 丹髄 突たり」というのは、太った松の幹から吹き出ている松やにが、丹砂の液が流れ出ているように見えたということで、神仙の地へ向かう雰囲気を出しているのでしょう。

鶯唱閔女歌   鶯おうは唱う 閔女びんじょの歌
瀑懸楚練帔   瀑ばくは懸く 楚練それんの帔
風露満笑眼   風露ふうろ 笑眼しょうがんに満ち
駢巌雑舒墜   駢巌べんがん 舒墜じょついを雑まじ
乱篠迸石嶺   乱篠らんじょう 石嶺せきれいに迸ほとばし
細頚喧島毖   細頚さいけい 島毖とうひに喧かまびす
日脚掃昏翳   日脚にっきゃく 昏翳こんえいを掃はら
新雲啓華閟   新雲しんうん 華閟かひを啓ひら
謐謐厭夏光   謐謐ひつひつとして夏光かこうを厭いと
商風道清気   商風しょうふう 清気せいきを道みちび
鶯の囀る声は 閔女の歌声のようで
崖に懸る瀧は 楚の錬り絹のようだ
風に吹かれて 露はほほ笑む目のようで
山のほら穴に 結んでは落ち落ちては結ぶ
嶺の岩から 篠竹が乱れて顔を出し
細頸の鳥が 川中の島の泉で騒いでいる
陽のひかりが 暗いかげりに差しこみ
新しい雲に 美しい彩りを映し出す
夏の光を避け 清く静かな場所
西からの風が 清らかな気を送ってくる

 女几山への路の描写がつずきます。
 鶯や瀧や岩穴の露が、直喩を使って多彩な印象を醸しだします。
 鶯の鳴き声を「閔女の歌」に例えていますが、閔女は閩女の誤記とする説があります。閩人福建省の原住民の言葉は漢語と違って鳥の囀りのようで何を言っているのか分からないという指摘は唐代の詩によくある例です。
 結びの二句は神女廟に到着したところで、静かな木陰に「商風」が吹いて、別天地にいるような気分であると詠っています。
 商風は秋風のことですが、秋風は西から吹く風ですので、ここでは西から涼しい風が吹いてくるという意味でしょう。

高明展玉容   高明こうめい 玉容ぎょくようを展ひら
焼桂祀天几   桂かつらを焼いて 天几てんきを祀まつ
霧衣夜披払   霧衣むい 夜 披払ひふつ
眠壇夢真粋   壇だんに眠りて 真粋しんすいを夢む
待駕棲鸞老   駕を待ちて 棲鸞せいらん老い
故宮椒壁圮   故宮こきゅう 椒壁しょうへきくず
鴻瓏数鈴響   鴻瓏こうろうとして 数鈴すうれい響き
羇臣発涼思   羇臣きしん 涼思りょうしを発す
高い山の廟堂に 神女は玉容をひらき
桂の香を焚いて 遺愛の脇息を祀る
霧の衣を靡かせて神女は夜に天下り
壇上で眠れば 夢に神霊が現われる
天子の駕を待ち 鸞鳥は老いて
福昌宮の椒壁は いつの間にか崩れている
軒端の鈴が 涼しい音を立てると
流浪の臣下は 淋しい思いに沈みこむ

 この八句のはじめ四句は、神女廟の描写です。「天几」は神女が遺したという脇息で、神女は天几山から昇天したとされています。
 だから「壇に眠りて 真粋を夢む」といっているのです。
 李賀の元註によると、「故宮」は福昌宮のことで、この宮殿は福昌県城の西坊郭保にあったといいます。
 だから後半の四句は、いきなり福昌宮のことになります。その「椒壁」が崩れ、荒れているようすを見て、「羇臣」は淋しい思いになります。
 「椒壁」は泥に椒をまぜて塗った壁のことで、主として皇后の居室に用いられたようです。
 「羇臣」は旅にある臣下のことで、李賀自身のことを指します。

陰藤束朱鍵   陰藤いんとう 朱鍵しゅけんを束つが
龍帳着魈魅   龍帳りょうちょう 魈魅しょうみを着く
碧錦帖花檉   碧錦へききん 花檉かていを帖ちょう
香衾事残貴   香衾こうきん 残貴ざんきに事つか
歌塵蠧木在   歌塵かじん 蠧木とぼく在り
舞綵長雲似   舞綵ぶさい 長雲ちょううんに似たり
藤蔓が伸びて 門扉の朱の錠前に捲きつき
龍を描いた帳は 魑魅魍魎の棲家となっている
みどりの錦に 河柳の花を織り出した
臥所も香ばしく 貴人に仕えるように残っている
歌声に顫えた塵 塵を乗せた梁も虫蝕いになり
五色の舞の衣が 雲のように垂れさがる

 前につづいて、福昌宮の荒れたようすが李賀独特の筆致で描かれます。
 福昌宮は隋の煬帝ようだいが建てた宮殿で、唐代にいちど復興されたそうですが、元和のころは荒れ果てた廃宮になっていました。

珍壌割繍段   珍壌ちんじょう 繍段しゅうだんを割
里俗祖風義   里俗りぞく 風義ふうぎを祖とする
隣凶不相杵   隣凶りんきょうしょを相そうせず
疫病無邪祀   疫病えきびょう 邪祀じゃし無し
鮐皮識仁恵   鮐皮たいひ 仁恵じんけいを識
丱角知靦恥   丱角かんかく 靦恥てんちを知る
県省司刑官   県けんは 司刑しけいの官を省はぶ
戸乏詬租吏   戸に 詬租こうその吏とぼ
貴重な土地は 刺繍の敷物のように区画され
里人の風俗は 義理固いことを第一とする
隣に不幸があれば 杵を搗くときも歌わず
疫病がはやっても 邪教の神に祈ったりはしない
しみの出た老人も 仁愛の心をわきまえ
あげまきの童子も 恥ということを知っている
県の役所では 刑罰の役人を置かず
どこの家でも 税吏の督促の声を聞かない

 この八句は、一転して昌谷の村と村人のようすが描かれます。
 村は秩序正しく運営され、村人は老人も子供も礼儀をわきまえ、事件もなく平和な村であることが述べられます。
 風景や農作業のようすではなく、村人の公序良俗や治安の状況について語るわけですが、詩中で歌われる題材としては珍しく、李賀が昌谷の全体像を描こうとしていることが読み取れます。

竹藪添堕簡   竹藪ちくそう 堕簡だかんを添え
石磯引鉤餌   石磯せきき 鉤餌こうじを引く
渓湾転水帯   渓湾けいわん 水帯すいたいを転じ
芭蕉傾蜀紙   芭蕉ばしょう 蜀紙しょくしを傾く
岑光晃縠襟   岑光しんこう 縠襟こくきんこうたり
孤景払繁事   孤景こけい 繁事はんじを払う
泉樽陶宰酒   泉樽せんそん 陶宰とうさいの酒
月眉謝郎妓   月眉げつび 謝郎しゃろうの妓
竹薮が多いので 竹簡の修理には都合がよく
岸辺の磯では 釣り針を投げて魚を釣る
谷の入江では 水が帯のように曲流し
芭蕉の葉には 蜀紙と同様に字が書ける
山々の峰の光は 縮緬の襟のように輝き
日暮れの景色は うるさい俗事を払いのけてくれる
樽に満ちた酒は 陶淵明が飲むにふさわしく
三日月眉の女は 謝安の妓女にふさわしい

 前の八句で村の総括をしたあと、このはじめの四句では村の産物に触れます。竹林、川魚、芭蕉も茂っていたようですが、芭蕉の葉に字を書くことがあったのでしょうか。あとは夕刻から夜にかけての昌谷の風光が、李賀の人生観もまじえて描かれます。

丁丁幽鍾遠   丁丁とうとうとして幽鍾ゆうしょう遠く
矯矯単飛至   矯矯きょうきょうとして単飛たんひ至る
霞巘殷嵯峨   霞巘かけんあんとして嵯峨さが
危溜声争次   危溜きりゅう 声 次を争う
淡蛾流平碧   淡蛾たんが 平碧へいへきに流れ
薄月眇陰悴   薄月はくげつ 陰悴いんすいに眇びょうたり
涼光入澗岸   涼光りょうこう 澗岸かんがんに入り
廓尽山中意   廓尽かくじんす 山中さんちゅうの意
微かな鐘の音が 遠くから聞こえ
一羽の鳥が 高く挙がって飛んでくる
夕焼けに映えて 峰は赤黒く聳え立ち
流れ落ちる泉は 重なり合って響き合う
眉のような月が 平らな水に映って流れ
くらい雲間から 三日月がほんのり覗いている
涼しい風が 谷間の岸にさしこんで
山住みの心を ひろびろと解きはなつ

 前の後半四句につづく昌谷の夕刻から夜にかけての風光です。
 陶淵明的な境地がみられますが、描写はいっそう細やかです。
 結びの「廓尽す 山中の意」の廓尽は広く大きくする意味で、山住みの境地を肯定しています。

漁童下宵網   漁童ぎょどうは宵よいに網を下し
霜禽竦煙翅   霜禽そうきんは煙翅えんしを竦そばだ
潭鏡滑蛟涎   潭鏡たんきょう 蛟涎こうえん滑らかに
浮珠噞魚戲   浮珠ふしゅ 噞魚けんぎょたわむ
風桐瑤匣瑟   風桐ふうどう 瑤匣ようこうの瑟しつ
蛍星錦城使   蛍星けいせい 錦城きんじょうの使
漁をする童子は 日暮れに網をかけ
白い羽根の鳥が 靄のなかで翼をひろげる
鏡のような淵は 蛟が涎をたらしたように滑らかで
浮かび出た魚が 口から泡を出して遊んでいる
桐の木立を吹く風は 瑤匣の瑟を奏でるようで
舞い飛ぶ蛍は 錦城へ使者を導く星のようだ

 以下、村のようすが細かに描き出されますが、川の淵は蛟みずちが涎よだれをたらしたように滑らかなど、比喩に李賀独特の工夫が凝らされています。
 「蛍星 錦城の使」は故事を踏まえていますので難解ですが、「錦城」は蜀の成都の雅称です。
 成都へ赴く使者が自分を星になぞらえて身分を明かさなかったという故事があり、その故事によって蛍を錦城へ赴く星のようだと言っているのです。

柳綴長縹帯   柳は綴つづる 長縹ちょうひょうの帯おび
篁棹短笛吹   篁たけは棹ふるう 短笛たんてきの吹すい
石根縁緑蘚   石根せきこん 緑蘚りょくせんを縁まと
蘆筍抽丹漬   蘆筍りじゅん 丹漬たんしを抽きんず
漂旋弄天影   漂旋ひょうせん 天を弄ろうする影
古檜拏雲臂   古檜こかい   雲を拏つかむ臂ひじ
柳はもつれて 萌黄の帯をつないだよう
竹は揺れ動いて 短笛を吹くように鳴る
石の根もとには 緑の苔がまといつき
芦の新芽は紅の 濡れたような葉先を伸ばす
渦巻く水落ちは 天空の影をくるくる回し
檜の古木は 雲をつかむ臂のように聳えている

 前につづいて、村の描写です。
 李賀は柳や竹、小川の石、芦の新芽、水落ち、檜といったさまざまなものを描くのに、ひとつひとつ的確な比喩を駆使しています。

秋月薇張紅   秋月しゅうげつ 薇張びちょうくれない
罥雲香蔓刺   罥雲けんうん 香蔓こうまんの刺とげ
芒麦平百井   芒麦ぼうばく 百井ひゃくせいに平らかに
間乗列千肆   間乗かんじょう 千肆せんしを列れつ
刺促成紀人   刺促せきそくたり 成紀せいきの人
好学鴟夷子   好し 鴟夷子しいしを学ばん
仄暗い月の下で 薔薇の茂みは紅の帳となり
刺のある蔓が 雲のように拡がっている
芒のある麦は 十里四方で平らにみのり
村の広場には 千軒もの店がならぶ
こせこせと 宗孫としての生き方をしてきたが
范蠡にならって 田舎暮らしをよしとしようか

 「間乗 千肆を列す」で村の描写は終わります。
 結びの二句は、この詩が書かれたときの李賀の心境を反映するものです。
 「成紀の人」と言っているのは、隴西ろうせいの天水郡成紀甘粛省泰安県の北の人という意味で、成紀は唐の宗室李氏の先祖の地とされていました。
 つまり李賀は唐の宗室の末裔として、唐の役人になることを当然の生き方としてきたけれども、そのことを反省しているのです。
 そして「鴟夷子を学ばん」と言っています。鴟夷子は戦国越の功臣范蠡はんれいのことで、敵国呉を滅ぼすと越を去って斉にゆき、商人になりました。
 名も鴟夷子しいしと変えています。李賀はそうした范蠡の生き方を「好し」と言っていますので、官途をあきらめる心境を述べていることになります。

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