瑠璃の杯に 琥珀色の豊潤な酒
小さな桶に滴る酒は くれないの真珠のようだ
龍を煮 鳳を焼けば 脂はじゅうじゅうと弾け
繡羅しゅうらの帳に かぐわしい香りが立ちこめる
龍笛を吹き 鼉鼓を打ち
皓歯の美女は歌い 細腰の美姫は舞う
ああ 春はたけなわ 日はまさに暮れようとし
桃花は乱れ落ちて 真紅の雨のようだ
君よ 日がな一日 飲み明かして酩酊したまえ
酒は劉伶というが 死んだら墓に酒の届くことはない
李賀字は長吉は、中国詩の史上、鬼才と言われています。生年には二説があって確定していませんが、ここでは貞元六年790の生まれとします。
没年齢が二十七歳であることは諸書が一致していますので、夭折の詩人ということにまります。活躍したのは憲宗の元和年間、十年ほどです。
李賀の鬼才は「奇峭瑰麗」きしょうかいれいとか、「鏤玉雕瓊」ろうぎょくちょうけいとか、さまざまな言葉で称賛されていますが、よく知られている作品をまず掲げてみます。詩題の「将進酒」しょうしんしゅは漢の「鼓吹鐃歌十八曲」中の楽府題を借りるもので、もとの曲は銅鑼を用いた軍楽の一種と言われています。
詩はまず宴会の模様を豪快に描きます。
句の字数が自由奔放であるのも唐代の詩にないものです。
最後の四句は絶唱と言っていいでしょう。
結びの二句は李賀のこのときの人生観を示しており、生きているあいだに大いに酒を飲もうと友人に勧めています。
「劉伶」は晋の文人で竹林の七賢のひとりでした。酒豪として有名で、自分が死んだら酒甕といっしょに埋めてくれと遺言した伝説があります。
風に鳴る桐の葉音に驚いて 壮士は苦しむ
灯はまさに消えようとし 寒々と啼く虫の声
誰が読むのか この一編の書
虫に食われて 空しく粉々にはしたくない
断腸の思いに苛まれ はらわたも硬直する
雨は冷たく降り注ぎ 詩人の魂魄はおれを弔う
墓のほとりで亡霊は 鮑照の詩を唱い
恨血は土中に凝って千年の後 碧となるのだ
この詩も鬼才の名にふさわしいと思います。李賀の詩は制作年不明の詩が多いのですが、この詩には死の影が忍び寄っているのを感じます。
「衰燈」とあるので、夜更けの部屋でしょう。李賀は消え入るような秋虫の声を聞きながら、自分の詩の運命を考えます。
無駄にはしたくない苦心の作品ですが、自分の詩が認められていないことを思うと「腸応に直なるべし」です。
秋雨が降って来て、雨の中から「香魂」古代のすぐれた詩人の魂が現われます。
「書客」は読書人である李賀自身のことで、いつの間にか死者になっている李賀を弔いに来るのです。墓場から出てきた死者の魂は、李賀の墓のほとりで「鮑家」南朝宋の詩人鮑照の詩を歌います。
最後の一句は『荘子』外物篇の「萇弘ちょうこう蜀に死し、その血を蔵するに三年にして化して碧となる」を引くもので、死者の恨みのこもった血は凝り固まって、千年の後、土中で碧玉になっているであろうと詠うのです。