又復戲答        又た復た戲れに答う 白居易

   柳老春深日又斜   柳老い春深くして 日又た斜ななめなり
   任地飛向別人家   任地さもあらばあれ 飛んで別人の家に向かうを
   誰能更学孩童戲   誰か能く更に孩童がいどうの戲を学び
   尋逐春風捉柳花   春風しゅんぷうを尋ね逐いて柳花りゅうかを捉えん
老いた柳に夕日が射し 春も深まり
柳絮が飛んで よそへ行っても仕方がない
いっそ 子供らの遊びを真似て
春風を追いながら 柳絮を捉まえるといたそうか

 「別柳枝」の詩を読んだ劉禹錫は、柳絮りゅうじょは「風に随って好んで去り 誰が家にか落つる」と詩を返し、笑って白居易の未練をたしなめます。
 その詩に白居易が再度答えます。二人の老人の楽しげな交流です。


 喜入新年自詠     新年に入るを喜び自ら詠ず 白居易

白鬚如雪五朝臣   白鬚はくしゅ雪の如し 五朝ごちょうの臣
又値新正第七旬   又た値う新正 第七旬だいしちじゅん
老過占他藍尾酒   老い過ぎて占む 他の藍尾らんびの酒
病余收得到頭身   病余びょうよ 收め得たり 到頭とうとうの身
銷磨歳月成高位   歳月を銷磨しょうまして高位と成る
比類時流是幸人   時流に比類すれば是れ幸人こうじん
大暦年中騎竹馬   大暦たいれき年中 竹馬ちくばに騎
幾人得見会昌春   幾人か見るを得たる 会昌かいしょうの春
顎鬚も雪のように白い 五帝に仕えた臣
今日は 七十回目の新年を迎えた
長老だから 屠蘇の杯を最後に傾け
病も癒えて 晩年の身を保ち得る
歳月を費やして 高位に昇ったことは
世の人に比べて 幸運といえる
大暦年中 竹馬に乗って遊んだ者で
会昌の春に会えた者は 幾人いるであろうか

 開成五年八四〇正月に、文宗が崩じました。
 文宗には後嗣がいましたが、宦官たちは文宗の弟の李炎りえんを擁立して、二十六歳の新帝武宗が即位します。四月になると、武宗は淮南節度使として地方にいた李徳裕を呼びもどし、宰相に任じました。
 李党政権の復活です。
 この年、白居易の娘阿羅に長男閣童かくどうが生まれました。
 白居易は六十九歳にしてやっと自分の血を引く男の孫に恵まれたのです。
 白居易はこの子が無事に育っことを神仏に祈らずにはいられません。
 白居易は香山寺の経蔵の増修改飾に力を注ぎます。
 翌会昌元年八四一は武宗の治政二年目です。
 白居易は七十歳になり、古稀を迎えました。しかし、この年から武宗の宮廷には、これまでと違った色合いが出はじめます。
 武宗はこの年、道士を宮中に入れ、祖父の憲宗が仏教を敬ったのとは逆に、道教に帰依するようになります。そんな年末、白居易は再び病を得て百日の休暇を願い出たあと、太子少傅分司東都の辞職を申し出ました。
 詩は明けて会昌二年八四二正月になり、七十一歳の新年を迎えたときの作品です。官途に就くために刻苦勉励して、憲宗、穆宗、敬宗、文宗、武宗の五代に仕え、七十回目の誕生日を正月二十日に迎えることになります。
 白居易はそれを幸せと感じ、国運衰退のときに生まれて、国運隆昌の時に会えたことを無邪気に喜びます。
 前年末に出してあった辞職願はほどなく受理され、白居易は最後の肩書として刑部尚書正三品を拝して致仕しました。
 致仕とは官吏としての身分を終了することです。

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