香山寺避暑      香山寺に暑を避く 白居易

   六月灘声如猛雨  六月 灘声たんせい 猛雨の如し
   香山楼北暢師房  香山の楼北ろうほく 暢師ちょうしの房ぼう
   夜深起凭闌干立  夜深くして 起ちて闌干らんかんに凭りて立てば
   満耳潺湲満面涼  耳に満つる潺湲せんかんめんに満つる涼りょう
六月の早瀬の音が 豪雨のように響く
香山寺の楼閣の北 暢禅師の僧房だ
夜更けに起きて 欄干にもたれて立つと
流れの音が耳に満ち 涼しい風が顔に満つ

 李訓は党派に属さず、単独で皇帝に近づき事を成そうとしていましたので、宰相になると専権の邪魔になる牛党の排除を企てます。
 七月には李宗閔を失脚させて虔州江西省贛州市長史に貶し、八月にはさらに潮州広東省潮安市の司戸に再貶しました。
 これは流罪に等しい過酷な異動です。
 李訓は同志の鄭注ていちゅうを鳳翔陝西省宝鶏県節度使に任じて兵力を確保し、宦官を一網打尽にする計画を立てました。
 十一月二十二日の早朝、李訓は大明宮の金吾左仗の中庭にある柘榴の木に甘露が降ったと奏上し、その瑞祥を検分にやってくる高位の宦官たちを、金吾左仗の幔幕の陰に伏せておいた兵で打ち取る計画でした。
 ところが宦官たちは武装した兵が隠れているのに気づき、宮中に駆けもどって文宗を擁し、大明宮の奥へ逃げ込みます。
 李訓は金吾衛の兵を宮中に入れて宦官を追いますが、逃げ遅れた宦官数人を殺しただけで計画は失敗に終わります。
 宦官たちは自分の配下にある神策軍を出動させ、李訓をはじめ多くの政府高官を捕らえて処刑しました。簡単に要点だけを書きましたが、史上この事件を「甘露の変」と称しています。文宗は二度も宦官制圧に失敗し、勝利した宦官は大きな権力を手にしました。
 白居易の親しい友人の幾人かが側杖を食って死に追いやられましたが、白居易は洛陽にいて政事から遠ざかっていましたので無事でした。
 文宗は改元を宣言して、翌年は開成元年八三六になります。
 この年、和州刺史の劉禹錫は同州刺史に任命され、洛陽から西へ二三〇㌔㍍のところに赴任してきました。潼関の西北、関中の東端に住むようになったので、白居易と劉禹錫との交流はいっそう密になります。白居易はこの年、『白氏文集』六十五巻を編集し、閏五月に完成しました。
 この文集は洛陽の聖善寺に納めます。そうした仕事のあいまに、白居易は香山寺の僧から仏教の教えを聴くこともあり、夏には避暑を兼ねて香山寺の自室に泊まることもあったようです。
 詩中の「暢師」というのは香山寺の長老文暢ぶんちょうのことです。伊水は龍門のところで両岸に山が迫っていますので、流れは急になります。
 丸く削られた石が川底を埋め、瀬音は高く響きます。
 白居易は僧房で夜更けまで眠れずに、何を思っていたのでしょうか。
 「灘声 猛雨の如し」というのは時代の激変でもあり、国の将来のことを思って眠れなかったのかもしれません。
 しかし、結句の「耳に満つる潺湲 面に満つる涼」からは、政争から離れて山寺の深夜の涼しい風に吹かれている自分に安堵している姿も想像できます。


      別柳枝         柳枝に別る 白居易

   両枝楊柳小楼中   両枝りょうしの楊柳 小楼の中うち
   嫋娜多年伴酔翁   嫋娜じょうだとして 多年 酔翁すいおうに伴う
   明日放帰帰去後   明日みょうにち放ち帰すも 帰り去りて後のち
   世間応不要春風   世間に応まさに春風しゅんぷうを要もとめざるべし
二本の楊柳は 多年小さな家のなかで
たおやかに美しく 酔翁の世話をしてきた
明日は暇を出すが 去ってからも
世間で春風などを 求めてはならないよ

 開成二年八三七に、阿羅に長女引珠いんじゅが生まれます。
 外孫ですが、白居易にとってははじめての孫です。淮南節度使として揚州にいた牛僧孺が、五月に東都留守洛陽の長官として洛陽に赴任してきました。
 牛僧孺も詩人でしたので、白居易は政事を抜きにして牛僧孺とも交流を深めます。開成三年八三八には劉禹錫が太子賓客正三品分司東都に任ぜられ、洛陽に赴任してきました。
 白居易の周囲は賑やかになり、白居易はこの年、自伝である『酔吟先生伝』を書いて、自分の人生に一区切りつける心境になっていました。
 詩人として晩年の栄光に包まれた白居易でしたが、開成四年八三九の十月五日に風痺ふうひの疾にかかりました。これは過度の飲酒による動脈硬化のため、右脳に出血が起こったもののようです。
 左足が不自由になりましたが、さいわい思考、記憶、言語には障害が生じませんでした。しかし、この機会に白居易は、自家に置いていた二人の妓女、樊素はんそと小蛮しょうばんを自由の身にしてやることにしました。
 樊素は歌がうまく、小蛮は舞いが得意であったので、白居易が家妓として好んでいた女性です。白居易は二人の多年の労をねぎらったあと、自由の身になっても悪い春風になびかないようにと注意を与えます。

目次