併失鵷鸞侶 併せて失う 鵷鸞えんらんの侶りょ
空留麋鹿身 空しく留む 麋鹿びろくの身み
只応嵩洛下 只だ応まさに嵩洛すうらくの下もとにて
長作独遊人 長とこしえに独遊どくゆうの人と作なるべけん
鴛鴦の伴侶を 一度に亡くしたようなもの
群れを離れた鹿のように 空しく生きている
いまはただ 嵩山の麓の洛陽で
孤独の遊びをする人となるほかはない
友を失った白居易の悲しみは秋になってもやまず、三人の友の死を悼む詩を作っています。中隠の生活など人生哲学を論じてはいても、白居易の精神を支えていたのは、友人の存在であったのかも知れません。
微之敦詩晦叔相次長逝巋然自傷因成二絶 其二 白居易
微之 敦詩 晦叔 相次いで長逝し 巋然として自ら傷む 因りて二絶を成す 其の二
長夜君先去 長夜ちょうや 君 先ず去り
残年我幾何 残年ざんねん 我 幾何いくばく
秋風満衫涙 秋風しゅうふう 満衫まんさんの涙
泉下故人多 泉下せんか 故人こじん多し
永遠の夜へ 君は先に旅立ち
私の歳月は あと幾年か
秋風のなか 衣を濡らす多くの涙
あの世には 親友たちが沢山いる
白居易はひたすら友の死を悲しんでいますが、そのころ洛陽では、ひそかに反宦官の陰謀が進められていました。舒元輿じょげんよは崔元亮さいげんりょうと結んで宋申錫そうしんしゃくの弁護に努めた人物ですが、その結果、刑部員外郎従六品上から著作郎従五品上分司東都に左遷されていました。舒元輿は洛陽に来てから、母の喪に服して洛陽にいた李訓りくんとしきりに会っていました。
李訓は粛宗の時代に宰相を勤めた李揆りきの孫で、進士にも及第していた若手官僚でした。李訓はかねてから宦官撲滅を策しており、舒元輿も計画に関与していた疑いがあります。一方、舒元輿は白居易の若い友人でもあり、洛陽に来てから白居易とも交際していました。
しかし、白居易は李訓とは交わっておらず、李訓の宦官撲滅の陰謀とは無関係であったようです。