寄劉蘇州        劉蘇州に寄す 白居易

   去年八月哭微之   去年八月 微之びしを哭こく
   今年八月哭敦詩   今年八月 敦詩とんしを哭す
   何堪老涙交流日   何ぞ堪えん 老涙ろうるい交流の日
   多是秋風揺落時   多くは是れ秋風しゅうふう揺落ようらくの時なるを
   泣罷幾回深自念   泣き罷んで幾回か深く自ら念おも
   情来一倍苦相思   情じょう来たりて一倍苦ねんごろに相思う
   同年同病同心事   同年 同病 同心事どうしんじ
   除却蘇州更是誰   蘇州を除却じょきゃくすれば更に是れ誰ぞ
去年の八月 元稹の死を悼み
今年の八月 崔羣の死を嘆く
老いの涙が流れる日を どうして堪えてゆけようか
いつも秋風が吹き 木の葉が落ちる季節なのだ
泣きやんで 幾度も深くわが身を思い
情がわいて しきりに君のことを思いやる
年も同じ 病も同じ 考えも同じ人
劉禹錫よ 君を除いてはもう誰もいない

 香山寺に生活の半ばを移して平穏な生活を過ごしているときに、同年生まれの崔羣さいぐんが亡くなりました。白居易はあいつぐ友の死に涙を流し、悲しみの思いを蘇州の劉禹錫に書き送ります。劉禹錫との詩の交流は累積して、この年に『劉白唱和集』三巻が成りました。


   嘗新酒憶晦叔 其一 新酒を嘗め晦叔を憶う 其の一 白居易

   樽裏看無色    樽裏そんりるに色無し
   盃中動有光    盃中はいちゅう 動きて光有り
   自君抛我去    君の我われを抛なげうち去りてより
   此物共誰嘗    此の物 誰と共に嘗めん
樽の酒を見ても 色はなく
盃のなかの酒は 動くと光がある
君が私を見棄てて死んでから
この新酒を 誰と味合えばよいのだろうか

 長安では相変わらず牛李の党争がつづいていました。
 そのころ牛僧孺は吐蕃対策について西川節度使の李徳裕と対立し、そうしたことが原因で牛僧孺は太和六年の十一月に宰相を免じられます。
 牛僧孺は十二月に淮南節度使揚州大都督府長史に左遷され、翌太和七年八三三二月に李徳裕が都に復帰して宰相になります。
 白居易はこうした長安の政争とは関係なく、三月に河南尹の任期がきて、四月からもとの太子賓客分司東都の職にもどりました。
 再び中隠閑居の生活です。長安では六月に牛党の李宗閔も宰相をやめさせられ、両派は交替します。
 この年、友人の崔玄亮が長安で亡くなりました。
 白居易は三人目の親友を失ったことになります。
 劉禹錫はそのころ蘇州刺史から汝州河南省臨汝県刺史に転勤になり、洛陽の南六五㌔㍍の街に移ってきていました。掲げた五言絶句は新酒の詩ですので、翌太和八年八三四の春になってからの作品でしょう。
 題中の「晦叔」かいしゅくは崔玄亮の字あざなです。


   嘗新酒憶晦叔 其二 新酒を嘗め晦叔を憶う 其の二 白居易

   世上強欺弱     世上せじょう 強きは弱きを欺(あざむ)き
   人間酔勝醒     人間じんかん 酔うは醒むるに勝まさ
   自君抛我去     君の我を抛なげうち去りてより
   此語更誰聴     此の語さらに誰か聴かん
この世では 強い者が弱い者をだます
人の世は 酔っているほうが醒めているよりはいい
君が私を 見棄てて死んでから
この言葉を 誰が聞いてくれるのか

 其の一の詩にも其の二の詩にも、「君の我を抛ち去りてより」という同じ句が用いられていますが、これは魏の徐幹の「自君之出矣」君の出でしよりの句を借りたものと言われています。

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