中隠        中隠 白居易

大隠住朝市   大隠だいいんは朝市ちょうしに住み
小隠入丘樊   小隠しょういんは丘樊きゅうはんに入る
丘樊太冷落   丘樊は太はなはだ冷落れいらく
朝市太囂諠   朝市は太だ囂諠ごうけん
不如作中隠   如かず 中隠ちゅういんと作りて
隠在留司官   隠れて留司りゅうしの官かんに在るに
似出復似処   出ずるに似て復た処るに似る
非忙復非閑   忙ぼうに非あらずして復た閑かんに非ず
大隠は街中に住み
小隠は山中に隠れる
山中は寂しすぎるし
街中はうるさすぎる
それよりは中隠となって
分司東都の閑職にあるがよい
出仕のようでもあり 隠棲のようでもある
忙しくもなく 暇でもない

 白居易が太子賓客分司東都になって洛陽に退いた年の秋七月、牛党の李宗閔が宰相になって、文宗の即位以来くすぶりつづけていた党争は牛党の勝利に帰しました。そんななかで越州刺史の元稹は尚書省都省の尚書左丞正四品上に任ぜられ、都にもどることになりました。元稹は帰京の途中、九月に洛陽を通り、久し振りに白居易と面会します。白居易は党争に巻き込まれないように注意したでしょうが、元稹は白居易よりも七歳若い五十一歳であり、政事に立ち向かっていく姿勢を崩してはいません。二人のあいだに、知識人としての生き方について意見の相違があったかもしれません。
 白居易は五十八歳、職務は隠退同然ですが、自分の生き方について、ひとつの理念を持ちはじめていました。それは「中隠」という生き方ですが、詩に書いたのはあるいは元稹と会って論争をしたからかもしれません。
 三十二句の長詩ですので四回に分けて掲げますが、この詩は白居易晩年の思想として重要なものと考えています。

不労心与力   心と力を労せずして
又免飢与寒   又た飢えと寒さを免まぬが
終歳無公事   終歳しゅうさい 公事こうじ無く
随月有俸銭   月に随いて俸銭ほうせん有り
君若好登臨   君若し登臨とうりんを好めば
城南有秋山   城南に秋山しゅうざん有り
君若愛遊蕩   君若し遊蕩ゆうとうを愛せば
城東有春園   城東に春園しゅんえん有り
心と体を煩わすこともなく
飢えも凍えもしない
一年中 役所の仕事はないのに
月々の俸給はいただける
君がもし 山登りが好きならば
城の南に秋山がある
君がもし 遊びが好きならば
城の東に春園がある

 中国にはそれまで、隠者の生活を尊ぶ知識人の精神風土がありましたが、白居易は俗塵を離れて山中に住む隠者の生活を「小隠」と規定します。白居易も隠者の生活にあこがれの気持ちを抱いたことはありますが、家族と一族の期待を担う身としては選択できない在り方でした。
 白居易が到達した処世観は俸禄を受けながらも束縛がなく、自分の好む生き方を存分に享受できる「中隠」の生き方でした。そうした安穏な生活の陰に、税金を負担する庶民の苦しい生活があると批判するのは容易ですが、当時の知識人の多くは官吏になるしか生活の道がなく、心の底では官途で出世して「大隠」の老後を送ることを夢みていました。
 それが現実でした。


君若欲一酔   君若し一酔いっすいを欲ほっせば
時出赴賓筵   時に出でて賓筵ひんえんに赴おもむかん
洛中多君子   洛中らくちゅうには君子くんし多く
可以恣歓言   以て歓言かんげんを恣ほしいままにすべし
君若欲高臥   君若し高臥こうがせんと欲せば
但自深掩関   但だ自ら深く関かんを掩おおうのみ
亦無車馬客   亦た車馬しゃばの客かく
造次到門前   造次ぞうじ 門前もんぜんに到る無し
一杯飲みたくなったら
ときおり宴席に出たらよい
洛中には紳士が揃っていて
いつでも楽しく歓談できる
君がもし ゆっくり寝そべっていたいなら
自分でしっかり門を閉ざせばよい
馬車に乗った客が
やたらと門前に来ることもない

 「大隠」とは功成り名遂げて都長安の一等地に居宅を構え、世間や家族・一族の敬意と羨望を受けながら、悠悠自適、経済的にも豊かな老後を過ごすことです。当時の知識人の多くは官吏として成功し、「大隠」の生活を送ることを目指していました。白居易はそうした成功を望める立場にいましたが、足るを知ることを処世訓とし、「中隠」の生活をよしとしたのです。

人生処一世   人ひと生まれて一世に処
其道難両全   其の道 両ふたつながら全うし難し
賤即苦凍餒   賤せんなれば即ち凍餒とうだいに苦しみ
貴則多憂患   貴なれば則ち憂患ゆうかん多し
唯此中隠士   唯だ此の中隠ちゅういんの士のみ
致身吉且安   身を致すこと吉きつ且つ安あん
窮通与豊約   窮通きゅうつうと豊約ほうやく
正在四者間   正まさに四者ししゃの間あいだに在り
人は生まれて 一生のあいだに
二つのことを 全うできるわけはない
貧乏であれば 飢えや寒さに苦しみ
貴顕であれば 心労がつきまとう
ただ中隠の者だけが
めでたく安らかな人生を送れるのだ
窮迫と栄達 富裕と貧困
中隠はまさに四者の中間にあるのだから

 こうした処世観は、白居易のいう閑適の詩の行きつくところにあるもので、諷諭の詩によって社会の変革をめざした白居易も、人生の挫折や個人の力の限界を知って、過分な望みを抱かずに人生の最後の時期を安穏に過ごす道を選んだといえます。「中隠」の詩が作られた時期は明確ではありませんが、白居易が分司東都として洛陽に住むようになったこの時期に作られたとみるのが妥当でしょう。

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