秋夜独坐     秋夜独坐    王 維
独坐悲双鬢   独坐どくざして双鬢そうびんを悲しみ
空堂欲二更   空堂 二更にこうならんと欲す
雨中山果落   雨中 山果さんか落ち
灯火草虫鳴   灯火 草虫そうちゅう鳴く
白髪終難変   白髪はくはつは終ついに変じ難く
黄金不可成   黄金おうごんは成す可からず
欲知除老病   老病を除くを知らんと欲せば
惟有学無生   惟だ無生むしょうを学ぶ有るのみ
ひとり居れば 鬢の白髪が悲しまれ
何もない部屋で 二更の夜がふける
雨のなかで 山の木の実の落ちる音
灯火の下で すすり鳴く虫の声がする
白髪頭は 変えようがなく
錬金術は 不可能だ
生老病死の苦を除こうと思うなら
無生の真理を学ぶほかはない

 この年、夏の盛りを過ぎるころから、王維は病気がちになってきました。南山の別業でひとり病に臥しながら、王維が考えるのは仏教の説く「無生」むしょうの理です。人を含めすべての存在は本質的に存在しないものであり、単なる現象にすぎない。だから発生することも消滅することもないという悟りの世界ですが、無生の境地に至りたいと念じても、それは言うはやさしく、悟達するのは難しい世界でした。
 ひとりでいるのが淋しくなったのでしょう。王維は上書して弟の王縉おうしんを近くに呼び寄せるように願い出ます。
 王縉はそのころ蜀州刺史の任にあって都を遠く離れていました。
 王維の願いは聴き入れられ、弟は門下省左散騎常侍従三品に任ぜられ、都に帰って来ることになりました。


 終南山      終南山    王 維
太一近天都   太一たいいつは天都てんとに近く
連山到海隅   山を連ねて海隅かいぐうに到る
白雲廻望合   白雲は望ぼうを廻めぐらせば合し
青靄入看無   青靄せいあいは入りて看れば無し
分野中峰変   分野ぶんやは中峰ちゅうほうに変じ
陰晴衆壑殊   陰晴いんせい 衆壑しゅうがくに殊なれり
欲投人処宿   人処じんしょに投じて宿しゅくせんと欲し
隔水問樵夫   水を隔てて樵夫しょうふに問えり
太一の峰は 天帝の都にせまり
やまなみは 海のほとりに至る
振り向くと 雲は連なって視界を遮り
青い靄は なかへ入れば見えなくなる
峰ごとに 星の分野は異なり
谷ごとに 曇りもあれば晴れもある
ひと里に 泊るところはないかと
谷川ごしに 樵夫きこりに尋ねる

 信頼する弟王縉が帰ってくるのを待ちながら、病床の王維の頭に去来するのは、元気なころに作った「終南山」の詩であったかもしれません。ここには終南山という存在そのものの思想と意義が述べられています。山の姿を人生に例えると、過去は白雲に閉ざされて見えず、前途は漠として青い靄が立ち込めているようですが、あえて靄のなかに踏み込んでみると、靄は消えてなくなっています。
 天空の星の分野と地上に起こる現象は照応していると言われていますが、終南山の峰ごとに星の分野は異なっており、峰ごとに晴れもあれば曇りもあります。人生は終南山のようなものだと、王維は自然と人生を一体的なものとして捉えるのです。
 しかし、王維が行きつくところは、やはり人々の間です。
 詩は「人処に投じて宿せんと欲し 水を隔てて樵夫に問えり」と結ばれていますが、この結びの句からは、自然と自然のなかで暮らす素朴な人々に限りない愛情を注いできた王維の姿が一幅の絵画のように親しみ深く浮かび上がってきます。王縉が長安の西の鳳翔までもどってきていた秋七月のある日、王維は弟に別れの書をかき、また平生親しかった人々へ数篇の別れの書をかいている途中、にわかに筆を落として息絶えたと伝えられています。
 享年六十三歳、王維は弟に会えないまま、また彼の人生の最後を襲った安史の乱の終息を見ないまま亡くなりました。

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