哭殷遥二首 其一 殷遥を哭す二首 其の一 王 維 
人生能幾何   人生 能く幾何いくばく
畢竟帰無形   畢竟ひっきょう 無形むけいに帰す
念君等為死   君を念おもえば為に死するに等しく
万事傷人情   万事 人の情を傷いたましむ
慈母未及葬   慈母じぼを未だ葬るに及ばざるに
一女纔十齢   一女は纔わずかに十齢じゅうれいなり
泱漭寒郊外   泱漭おうもうとして 郊外寒く
蕭条聞哭声   蕭条しょうじょうとして 哭声こくせいを聞く
浮雲為蒼茫   浮雲ふうんは 為に蒼茫そうぼうたり
飛鳥不能鳴   飛鳥ひちょうは 鳴くこと能あたわず
人生はいつまでつづくのか
つまりは 形のないものに帰してしまう
君を思えば死ぬほどつらく
すべてが 心を悲しませる
優しい母をまだ葬っていないのに
残された一人娘は やっと十歳だ
がらんとした郊外は寒く
さめざめと泣き声が聞こえる
空の雲は そのために青ざめ
飛ぶ鳥も 鳴き声を立てずにいる

 王維は世の中の姿と政事の現状に失望していましたが、自然と人への愛情を失ってはいませんでした。
 殷遥いんようは天宝年間に忠王府倉曹参軍事(正八品下)という微官にいましたが、王維に師事して教えを請うようになっていました。
 ところが妻を亡くして貧しいために葬式も出せずにいるところに、あとを追うように殷遥自身が亡くなってしまいました。
 あとに残されたのは十歳になる娘ひとりです。
 全二十句の五言古詩で、前半十句は、長安の郊外にあったらしい殷遥の家のあたりの寒々としたようすが描かれています。

行人何寂莫   行人こうじんの 何ぞ寂莫せきばくたる
白日自淒清   白日は 自おのずから淒清せいせいたり
憶昔君在時   憶う昔 君在りし時
問我学無生   我に問うて 無生むしょうを学ばんとす
勧君苦不早   君に勧すすむること苦はなはだ早からずして
令君無所成   君をして成る所ところ無からしむ
故人各有贈   故人こじんは各々贈る有れども
又不及平生   又た平生へいぜいに及ばず
負爾非一途   爾なんじに負くこと一途いっとに非あら
痛哭返柴門   痛哭つうこくして 柴門しばもんに返る
行く人は もの寂しげに歩み去り
真昼の太陽も なんとなく冷えびえとしている
思えば昔 君が元気でいたころ
無生の理について尋ねたことがある
私がぐずぐずしていたために
成すところなく逝かせてしまった
旧友たちは それぞれ贈り物をしたが
私は生きているうちに間に合わなかった
そなたには 心からすまないと思っている
泣きながら 柴門のわが家に帰る

 殷遥の生前、殷遥から「無生」の境地について教えを請われていましたが、そのことについて充分に説明してやれなかったことを、王維はひどく後悔しています。また官途の昇進についても力になれないまま死なせてしまったことを「爾に負くこと一途に非ず」と心に詫びながら、泣き叫びつつ家に帰るのです。
 心のなかで「痛哭」しながら歩いていったのでしょうが、結句の誇張した表現には真実がこもっていると思います。


 哭殷遥二首 其二   殷遥を哭二首 其の二  王 維
 送君返葬石楼山
  君の石楼山に返葬へんそうさるるを送れば
 松柏蒼蒼賓馭還  松柏しょうはく蒼蒼として 賓馭ひんぎょ還る
 埋骨白雲長已矣  骨を白雲に埋めて長とこしえに已みぬ
 空余流水向人間  空しく余す 流水の人間じんかんに向かえるを
石楼山に 葬られる君を見送ると
松柏蒼蒼と茂るなか 人々は帰っていく
骨を白雲の山に埋めて すべては終わる
あとには空しく 水がこの世へ流れている

 其の二は七言絶句で、殷遥の埋葬を詠います。
 埋葬は石楼山せきろうざんというところの墓地で行われたらしく、「埋骨」とありますので、火葬したのでしょうか。中国では土葬するのが習慣ですので、火葬したのは仏教の信者だったからでしょう。
 埋葬が終わると人々は足早に帰ってゆきます。
 山からは一筋の細流が麓のほうへ流れていたようです。
 王維は人生の無常をかみ締めながら山を下りてゆきます。

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