答張五弟 雑言    張五弟に答う 雑言   王 維
 終南有茅屋       終南しゅうなんに茅屋ぼうおく有り
 前対終南山       前に対す終南山しゅうなんざん
 終年無客長閉関   終年客無くして 長く関かんを閉じ
 終日無心長自閑   終日無心にして 長く自ら閑かんなり
 不妨飲酒復垂釣   酒を飲み復た釣つりを垂るるを妨げず
 君但能来相往還   君 但だ能く来らば 相あい往還せよ
人生の終わり方 南の地に茅屋があり
前は終南山に対している
年中 客はなくて 長らく門を閉じ
終日 何も思わず のんびり過ごしている
酒を飲み 釣り糸を垂れるのはかまわない
君さえよかったら いつでもいらっしゃい

 乾元二年(七六〇)は閏四月に改元があり、上元元年となります。
 洛陽は史思明軍に占領されたままです。そのころ王維は給事中から尚書右丞(正四品上)に昇進しています。
 三品階あがったことになりますが、仕事はむしろ実権のない閑職に移ったと言っていいでしょう。
 そのころ旧友の張五弟が訪ねてきたいと言って来ました。
 張五は王維と兄弟の契りを結んでいましたので、弟と言っています。
 張五(五は排行)は天宝年間に刑部員外郎(従六品上)になりましたが、すでに官を辞して郷里に隠退していました。その郷里というのが宜城(河南省宜陽県)で、史思明軍の支配下にある城市です。
 張氏は敵中の街に住んでいたくないので、王維のところに世話になれないか尋ねて来たのかもしれません。
 冒頭の「終南」は終南山の略ではなく、「終・南」と区切って読むべきであるという説に従って訳しました。


夏日過青龍寺謁操禅師
         夏日青龍寺を過いて操禅師に謁す 王 維
龍鐘一老翁   龍鐘りょうしょうたる一老翁
除歩謁禅宮   除歩じょほして禅宮ぜんきゅうに謁す
欲問義心義   問わんと欲するは義心ぎしんの義
遥知空病空   遥かに知る 空病くうびょうの空なることを
山河天眼裏   山河さんがは天眼てんげんの裏うち
世界法身中   世界は法身ほっしんの中うち
莫恠銷炎熱   恠あやしむ莫なかれ 炎熱銷ゆれば
能生大地風   能く大地だいちの風を生ずることを
年老いてうらぶれ果てたひとりの翁
とぼとぼ歩き 禅寺を訪れる
尋ねたいのは 仏道の第一義
空にこだわるのも空 そのことは朧気ながら知っている
わが目は天眼と化して 山河はその内にあり
わが身は法身と化して 宇宙はその中にある
まして怪しむまでもない 大地に涼しい風が吹けば
夏の炎暑と内面の苦悩が消えてゆくのは

 上元二年(七六一)の春三月、史思明軍に異変が起きました。
 後嗣のもつれから、大燕皇帝史思明が息子の史朝義によって殺害されたのです。史朝義は帝位を奪って洛陽に入ります。
 唐としては反撃の好機ですが、この年、長安では大雨のために飢饉となり、有効な反撃ができませんでした。飢饉に際して、王維は天子の許しを得て自分の禄米のほとんどを窮民に施しました。そんな夏のある日、王維は裴迪をともなって青龍寺の操禅師を訪れました。
 青龍寺は楽遊原の一角にあって、日本の空海が真言密教を学ぶことになる寺ですが、それはこのときから四十三年後のことになります。
 詩中にある「義心義」は『法華経』方便品にあって、仏道の第一義という意味、究極の真理をさす言葉と解説にあります。
 つぎの句の「空病空」は空に拘泥するのも空の病であって、そのことも空であるということのようです。王維はこの詩で禅の極意を詩に盛り込もうとしていますが、これは唐代の詩では珍しいことです。

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