芙蓉楼送辛漸    芙蓉楼にて辛漸を送る 王昌齢
寒雨連江夜入呉    寒雨 江に連なって 夜 呉に入る
平明送客楚山孤    平明 客を送れば 楚山 孤なり
洛陽親友如相問    洛陽の親友 如し相問わば
一片冰心在玉壺    一片の冰心 玉壺に在りと
つめたい雨が夜半には 江から呉へと降ってきた
あけがた君を見送ると 楚山がぽつんと見えている
洛陽の友がたずねたら 心があると伝えてくれ
玉壺の内のひとかけの 氷のように清らかに

 王昌齢は唐の役人でしたが、都の長安から今の南京に左遷されていました。辛漸という友人が訪ねてきて、都にもどることになり、今の鎮江の渡し場まで見送りました。一夜、酒を酌み交わして別れを惜しみ、翌朝はやく渡船場にきて詩を贈ったのです。
 都にいる友人に、自分の心は壺の中の一片の氷のように清く澄んでいると伝えてくれと詠っていますが、昨夜の夜の雨といい、長江の対岸に見えている楚(今の揚州のあたり)の山といい、淋しい気持ちが胸に溢れているのを感じます。


  折楊柳         折楊柳   楊巨源
水辺楊柳麹塵糸 水辺の楊柳 麹塵の糸
立馬煩君折一枝 馬を立て 君を煩わして一枝を折る
惟有春風最相惜 惟だ春風の最も相惜しむ有り
殷勤更向手中吹 殷勤に更に手中に向かって吹く
岸の柳が 萌黄の枝をたらしている
馬を停め 「すまぬが友よ ひと枝折ってくれないか」
おりしも風がさわさわと 枝を持つ手に吹き入って
ただひたすらに 別れを惜しむかのようだ

 楊巨源は杜甫が亡くなったころに生まれ、二十年後の貞元五年(七八九)、徳宗の時代に進士に合格していますので、安史の乱後の混乱も収まりかけたころ官途についたことになります。
 「折楊柳」は旅の別れの詩につけるきまりの題で、中国では道端の柳の枝を折って輪に丸め、旅の無事と再会を祈ったことから似たような詩はいくつもあります。この詩は後半の二句に特色があり、繊細な感情を詠い出しています。


  除夜作         除夜の作  高 適
旅館寒燈独不眠   旅館の寒灯 独り眠らず
客心何事転凄然   客心 何事ぞ 転た凄然たる
故郷今夜思千里   故郷 今夜 千里を思う
霜鬢明朝又一年   霜鬢 明朝 又一年
寒々とした旅館の灯り ひとり眠れないでいると
凄然として ものさびしい旅心が湧いてくる
大晦日の夜は はるか千里の故郷を思い
明日には鬢の白髪もふえて また一歳を重ねるのだ

 高適こうせきは杜甫より十歳ほど年長で、李白と同年くらいです。
 若いころには各地を放浪し、李白や杜甫と三人で今の商丘の街で一時過ごしましたことがあります。酒を飲んだり、詩を論じたり、郊外で狩りを楽しんだりして大いに友情を深めました。安史の乱のとき功績をあげて政府に登用され、粛宗朝では高官でした。
 だから、老年になってからの旅は若い時のような寄る辺のない旅ではなかったでしょう。この詩は老年になってからの詩です。

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