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水魅戯 1923年(大正12)
 芋の好きな真乗院盛親僧都の悠々として銭に拘らない心徳にひかれ、
また描いた絵が芋を買う銭にでもなれば良いということで芋銭と号した。
 会津磐梯山噴火の新聞挿し絵を描いた頃から著名となるが金銭に拘らず、
菩提寺の焼失後の復興やよく利用した人力車夫のためには描いたという。
 芋は里芋を茹で皮をとり串に刺し味噌をつけて焼いたお八つ。