防衛大学校第六期生卒業式における槙校長先生の式辞
改めて読みかえしても、まさに今の世にこそ必要なモラルを述べられているようです。

 本日、防衛大学校第六期生の卒業式を挙行するに際し、池田内閣総聖大臣、藤枝防衛庁長官、佐藤尚武来賓総代、林統合幕僚会議議長、大森陸上幕僚長、中山海上幕僚長、源田航空幕僚長、ヨーマンズ在日米海軍司令官、ロジャーズ在日米国軍事顧問団長、東京駐在各国武官、来賓各位並びに卒業生父兄諸氏の臨席を得ましたことは、ひとり卒業生のみならず、本校職員の無上の光栄といたすところであります。
 一同衷心より謝意を表す次第であります。

 なお、この機会に父兄諸氏の遠路の御来会と日頃の御協力を厚く御礼を申し上げます。
 以下卒業生に対し少しく所感を述べまして本日の式辞と致したいと存じます。

 輝かしい今日の卒業式に臨み、防衛大学校職員一同は諸君本日の事業を心より祝うことの切なものがあります。
 学業と、規律と、品生の陶冶と指導力の養成の四年を、ここに終えて四七〇余名の諸君の門出を送る、その力強い感激であります。

 我が国は現在、波乱の多い世界の情勢の中に、独立と平和を堅持固守して、その将来に一切の希望を託して困難な途を開いているのであります。
 諸君の前途を祝し、その健在と奮闘を祈る心の禁じ得ないものがあります。

 言うまでもなく、卒業とともに諸君は、国民の一員として、また、防衛任務につく者の一員として、国民に対して、義務を負い、責任を持つに至ったのであります。
 国民という言葉が意味するものは、殊更、説くまでもないかも知れません。

 しかし、国防の任を生涯の職業として選び、その献身的な誠実が要望され、諸君もまた、これをこの上なき名誉と心得るに当っては、諸君の尽くさんとする、その対象である国民なる言葉を考えることも徒事ではなかろうかと思うのであります。

 国民及び国民性を知るために、大切なことは、国民はこれを構成する人々以外の何者でもないことであります。
 構成員を外にして、その上に特別の人格も観念も存していないことであります。
 国民はこれを構成する人々の、その意思、その人格によって動き、かつ、統一されているのでありまして、この事実は各人が共通に感ずるものを持つことを証しているのであります。

 ここに国民の共通の意思が生れ、共通の努力と行為となって現れるのであります。
 国民と国民性を描写するために、一応は、人種の構成の要件や、領域風土のような地理的条件、または、人口産業のごとき経済的要因の上に試みられるのを常としております。

 これらの点を描くことも大切でありますが、同時に精神的要因を描かないでは、真の国民の画像を眺めることは出来ないのであります。
 人間生活のある部局では、ただ見えるものだけではなく、見えないものが強く動いておるのであります。

 その主なものとして、信仰、文芸、思想や、習慣、法典、制度や、あるいは政府、教育等を挙げることが出来るのでありましょう。
 人は初めその心の安住を求めて、心がこれらのここに揚げたものを造ったのであります。
 しかしやがて、これら心の住居は、かえって、これに住む心に影響を与え、感化を及ぼすことともなるのであります。

 心の造ったこれらのものが、時代から時代へ、心から心へと受け継がれ、継がれる度にその深さを増したのであります。
 すなわち、過去の人の持った心であり、また、未来の人の持つ心でもあります。
 見えないが、見えるものと同様に実在するものであり、過去よりの蓄積であり、伝統であり、共同の相続財産であります。
 国民はその総合したものといえるでありましょう。

 この過去より現在へ、現在から将来へと継がれて行く共同の相続財産は、ただいま述べましたように、自然の要因の上に、個人の心によって造られた精神的の存在であります。
 常にその価値は国民構成員の努力によって遂げられた成果なのであり、また、将来もこの努力は継続されるでありましょう。

 いうまでもなく、この共同の相続財産は構成員にとっては、ただに過去現在のみならず、その将来に託する希望の一切を含むものであって、その安泰と繁栄を願い、独立と平和のうちに、恒久の生命の続くことを祈らずにはいられないものであります。

 しかし、現在の世界情勢は、必ずしもこの安泰と繁栄、独立と平和を無条件に保証してくれるものではなく、破壊をもたらし冷酷な力の前に服従する危険から、その安全を保障しているものではありません。
 この保証について多く語られていますが、他国民への絶対信頼が可能でない限り、結局は自ら守る以外に方策はないのであります。

 また、自ら守らずして、他に援助の手を延ばすもののあるべきはずなきは勿論でありましょう。
 古くより「安にいて危を忘れず。存にして亡を忘れず。治にして乱を忘れず。」という言葉があります。
 安存平治の時といえども、危亡敗乱を忘れるなとの戒めであります。

 平素の準備鍛練が、諸君の国民の一員として、また国民に対しての義務であり、責任であると考えるのはこのためであります。
 かって、人は人生に対して消極的であり、現世は幻想に過ぎないとしてこれを否定し、隠遁的厭世的でもありました。
 現世より遠ざかり、禁欲、難行苦行のみが魂を済度する道であるとして諦観するの風がありました。
 従って無抵抗はすべてこれを徳と見る傾きがあったのであります。

 しかし、近代の人生に対する態度はこれに反して肯定的であり、ここに無限の積極の世界が開け、思慮行動は現世を是認して創造力に溢れ、芸術、学問、倫理に対する視野と態度は著しく拡大強化され今日の文明を築きあげたことは周知のとおりであります。

 物心両面の世界を開拓する個人の力、集団の力、国民国家の力に対する自信であり、人間行為の価値の再評価であったのであります。
 国民もまた、この陣営の一員であり、その重要な本体は精神であり、精神存するが故に統一及び性格が生れ、その運命を切り開き築きあげることはすでに述べたとおりあります。

 自治の賛美、秩序の尊重、正義の遵守、順法の精神は近代社会の人の積極性を肯定する倫理導徳であり、ひとり扉を閉じておのれに終始するを退け、崇高なものとされるに至ったのであります。
 ここに防衛の義務とその勝利があるとかんがえております。
 かって「正義なくしては空虚なのもであり、力も正義なくしては暴力に過ぎない」と言うパスカルの言について述べたことがあります。
 この言葉の意味もこの辺にあるのではないかと考える次第であります。

 防衛任務は貴いものであります。同時にこれを貴からしめるのも、防衛の任にあるものの心懸けいかんによるのであります。
 心懸けについて二つのことが思われるのであります。その一つは身を挺して国法に従う義務があり精神であります。

 他の一つは任意自発的である道義の念に徹することであります。
 法は民主国家においては、国民総意の結集であり、この総意は理論的には倫理とも、正しい風習伝統とも一致し、また、一致するように努められなければならぬものであります。
 時には法はこれらに伴わぬこともあり、時勢にとり残されることもあります。

 立法者である国民も、またその機関も遅滞なくその一致に努めるべきは固よりであります。
 しかし、大切なことは法はいかなる場合にも遵守されねば、民主国家はその秩序を保つことは不可能であり、その存在すら危殆に陥るのであります。
 殊に軍律に徹する覚悟はこの精神より起るのであります。

 法は遵守されねばなりません。同時に同じく遵守されねばならぬ、道義と呼ぶ倫理上の規範があります。
 法は国の定めるもので強制的でありますが、道義はその本質から言うて、任意自発的のものであります。
 法が守られずして、国家秩序が維持出来ないように、道義が守られずして社会の貴い生命、高い秩序の維持は困難であります。

 防衛の組織また、この両者に満つるものでなければその力を発揮することは出来ないのであります。
 法は人に過ちなき道程の最小限を示しますが、道義は人に伸び行く無限の広がりを示してくれるのであります。

 道義は人の自発心であり、自主であり、この故に人の誇りの本源でもあります。
 われわれが遵法の精神を語る時は、人の法的進路に過ちなきを言うのであり、道義を口にする時は、人の尊い価値を語っているのであります。

 防衛の責任を考える時、法はわれわれの進路を明確に指示し、道義はその任務の倫理上の価値を教え、人の自由の天地の広大なることを啓示するとともに秩序と服従のカを与えるものであります。
 防衛の任務に心魂を傾ける源流もここにあるということが出来ましょう。

 以上を以って第六期生卒業式の式辞といたします。
 式辞を終るに臨み、もう一度繰り返えしまして、来賓各位今日の御臨席により、限りない栄誉をこの卒業式にお与え下さいましたことを深く感謝いたします。

昭和三七年三月一七日 防衛大学校長  槙 智雄

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