頭変僕回想録
随 想(その1)
 小生の高校以来の友人が「ときの風景」と題して地方版だが随筆本を出した。
 その本の第3章高校時代の所々に小生の名も出てくるので、遠き昔の思春期時代の小生の行動の一端を披露する。
 つれづれなるままに御笑読あれ。
 以下原文のまま。 

第3章 高校時代
○社交場
 (略)--
 高校に入学できた私にも多くの友達が出来た。(略)、(略)、齋藤龍男といった諸氏で--(略)--かれこれ45年ほどの付き合いということになる。
 --(略)--
 そのころの風呂賃は15円ぐらいだったし、長湯をすることもできたから我々の格好の社交場になった。
 南川端町、百石町、下町、蔵主町、土手町などにあったいろいろ風呂屋に出かけたことを思い出す。
 長湯といっても我々の長湯は半端ではなっかた。
 2時間、3時間はザラである。
 時には話に花が咲いて終業時間までねばったこともあった。--(略)
   注:このときの祟りか、小生今あまり風呂(除く:温泉)は好きではない。

○映画評論家
 (略)我々の仲間はほとんどが映画少年であった。--(略)--
 1年間に180本観たというのが最高記録である。--(略)--
 映画館に出かけては「ポスタ−を下さい」とか「チラシありませんか」とお願いをする。
 それを頂戴したあとまっすぐに戻らずに、こっそり映画を観てしまうわけである。
 また友人の齋藤龍男氏のお姉さんが映画館に勤めていたので、ただで観せてもらうということも度々あった。
 こんなことでもしなければ、とても180本など観られるわけがない。

 注:今話題になっている「バトルロワイアル」の監督の深作欣二など当時3本立のうちの1本担当のお粗末な監督だった。
   いまさら社会性だ芸術作品だのとはおこがましい。

○美人投票
 --(略)--
 授業が佳境に入るころ、ノ−トを細かくちぎって周囲の悪友にコッソリ渡す。
 悪友は自分の好みの女生徒の名前を書いて返してよこす。
 それを集計して第1位A子、第2位B子と一覧表を作り、また悪友たちに回してやる。
 当然、将来の女優長内美那子さんがトップになることが多かった。--(略)
   注:小生は長内美那子ではなかった。誰!ヒ・ミ・ツ。

○マ−ジャン
 --(略)--
 考えてみれば、このマ−ジャン力のアップには、もう一つの理由があったようだ。
 友人の齋藤龍男氏のご父君の薫陶(?)が大きい。
 齋藤虎男というお方で、親子の名前を合わせると「龍虎相討つ」ことになるのだが、マ−ジャンでも「龍虎相討って」いた。
 我々は齋藤家にたむろしてマ−ジャン修業に励み、上手なあがり方からパイの切り方、果ては口三味線の弾き方(?)まで伝授していただいたものだ。--(略)--
   注:実は我が家の先駆者はお袋。時とともに全員師匠を追い越した。

○ジプシ−ロ−ズ
 --(略)--
 私の高校時代の友人は根は真面目な人間(?)たちで、道を踏み外した人物は一人も居ないが、さりとて石部金吉というわけでもない。
 マ−ジャンはやるし、酒は飲むし、女性には十分過ぎるほどの関心は持つし、付き合いやすく楽しい仲間である。
 このメンバ−は結構「ストリップ」を観るのが好きだった。
 なにしろ高校を卒業して東京へ遊びに行ったときには、弘高の学生証を見せて、「学割」でストリップ劇場に入ったくらいである。
 日劇ミュ−ジックホ−ル、新宿フランス座、浅草ロック座なんて名前はスラスラ出てくるし、この間飲んだときには、40年以上も前のストリッパ−の名前を、澱みなく並べ立てていたのだからたいしたものだ。--(略)--
 注:防大1年の最初の外出に行ったのが新宿フランス座(同行は同室の中川、伴両学生)。勿論制服。
   このときは学割は使わなかったと記憶する。

○解説
 その他にもあるが割愛。
 この友人である著者は最後、小学校の校長を勤めた関係で立場上書くに書けないけないことも在り、凡そ85%ぐらいの吐露に終わっている。
 他人の昔話など聞いても面白くもないが、ご容赦あれ。
 尚、注書きは小生の手によるもの。

平成13年1月31日

随想(その2) 松葉杖のひとりごと
 俺が今の主人に仕えたのは平成十四年五月二十六日の日曜日の午前のことだった。
 病院のベットの下で仲間と一緒に眠っていた俺を看護婦がいきなり、引きずりだし、貸し料が付くとも知らぬ今の主人に預けられたのだったっけ。

 なんでもゴルフをしていてカ−トに乗って土手でひっくり返ったのだそうだ。
 いい歳をして粗忽な奴よ。
 俺を使うのが始めてだったのか、杖運びがへたくそで障害物も無いのに、やたらずっこけていたっけ。

 この主人の歩行の安全を保つには こりゃ大変だなと初手に思ったものだ。
 この前の主人は若かったから、近くの移動はぴよんぴよん 跳ねてほとんど俺を必要としなかったが、今度の主人はとうに還暦を過ぎたじじいなので、 反射神経、瞬発力、筋力ともに乏しく、おまけにダルマ型と来ているため、じゅうたんの境目、 およそ5ミリに満たない段差でも危険を感じ俺を必要としている。

 俺の存在感を認識してもらって、 いささか誇らしさを感じる瞬間でもあるのだが。
 俺を必要としないときは、いわゆる、「はいはい」歩行、 みっともなさを通り越して哀れを感じる。
 病院への移動は、幸い病院で患者のオ−ダ−にもとずき送迎車を出してくれるので、俺も同乗。

 車に乗って居る間はお役目ごめんでよいのだが、相乗りする人たちが、なんと80過ぎのヨレヨレばあさんばっかり、一度でもよいから、そこそこ年齢の、ほどよい美人にでも出くわしたら、俺にも活力がでるのに。
 しかし病院の患者を見てみると、ばあさんの割合が8〜9割なのだから、望むべくもないか。

 治療してくれる看護婦に望みを託したいが、この願望も如何ともし難し。
 医者の話を聞くと全治およそ1ヶ月とかいっていたが、プラスαがあると覚悟しなけりゃいかんな。
 また自分で好きなことをやって起こしたことだからと、家族の同情感が希薄なことを考えると、主人の味方は俺一人。

 この気概を持って、しっかりと主人を支えねば。
 医者に酒は慎むように言われているのに、聞く耳を持たぬらしい。
 まずいまずいと毎晩焼酎を飲んでいるが、そのご本人も身体不自由とも成ればやることなく、早寝して既に高いびき。
 これでは俺の出番も無いので、明日に備えて、この辺でやすむとするか。

 あっそうだ、主人に言うのを忘れていた。
 俺を使う期間中は決してお腹をこわさないようにしろということを。
 何故って、俺を使うには意外に、下腹と肛門の力が必要なのだ。
 それと目的地まで行くスピ−ドを考えれば、嫌な結果が想像できると思うのだが。
 明日にでも言っておこう。
 ではおやすみ。

平成14年6月初旬

(松葉つゑ女を想う歌)
 ある夏のこと

一、緑の風に さそわれて
   その身われにと 寄り添いぬ
   しばしのことと 知りつつも
   はかなき恋に まどろみし
   みじかき夏の 夢の跡

二、ともに過ごせし この月日
   熱きみ胸に 抱かれて
   わが身こころも 癒されぬ
   身をもて尽くす その心
   想い一途な 夏の恋

三、かぼそき君の 肩抱え
   通うた小道の 懐かしさ
   風また流れ 君は去る
   この恋みどりの 彼方へと
   送りて戻らぬ 夏の風

平成十四年七月十二日

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