湯沢温泉スキー旅行 西川

湯沢温泉スキー旅紀行 H16.2.27
 松功、斎龍、早瀬、西爺の4名は、2月24日から27日まで、3泊4日でスキーと温泉の旅に出た。
 但し、骨折リハビリ中の末尾1名は、温泉湯治のみに専念、同行記者として川柳旅紀行の収録を担当。
 宿泊は元ちゃん御夫妻のご好意に甘え湯沢町にある社員用保養所、温泉付きリゾートマンションの部屋を借用。

 24日所沢発夜8時、関東から一路湯沢へ、関越トンネルを抜けるとそこは信じられないくらいの雪景色だった。
 速度違反気味の松功車で2時間弱で10時前に目的地到着。一同早速、大きな付属設備の温泉にて身体を温める。
 外には雪に囲まれた露天風呂まであるではないか。
 龍と松功、いざ入浴せんと暗い戸外に出て足を入れるも、「冷めて〜、今日は沸いてないや」と引き返す。
 翌朝良く見たらそこには何と錦鯉が泳いでいるではないか。露天風呂にあらずお庭の池だったわけ。
 「驚いた 露天風呂には 錦鯉」 T(頭変僕)

 部屋は8畳1DK、おそらくは社長夫人が作ったであろう木目細かな使用手順に基づき宿泊態勢の整備。
 一杯やりながらの川柳唄談義。この頃はメールで昼行灯とか俊爺とか豚珍漢とか楽しい連中が積極的に
 投句していい事だね〜などと云いながら。

 「出藍の 誉れか日高の昼行灯」
 「孫取れば 生きて行けない俊爺じい」
 「何するの 4つの布団に8つの枕」   N(男爺)
 「枕1つを小脇に抱いてわたしゃ眠れぬ夢を見た」   M(松功) 
 「貴方の鼾が気にならぬ遠いあの日が懐かしい」   H(早瀬)妻達の代読

 サラリーマン川柳の「恋いがたき譲れば良かった今の妻」なんてのはとんでもない句だ、
 俺たち4人にはあてはまらないねとしきりに相槌を打ち合った。

 次の日早朝、「朝ボケの 起床ラッパか龍男の屁」   N
 好天に恵まれ純白のゲレンデにも人影まばら、いざ行け白銀の王ならぬ白銀の翁(オキナ)達!

 「ゲレンデの 張り切り爺様ボケトリオ」   N
 「シニア券 この連中じゃ元とれぬ」   H
 「リフト待ち 彼より一寸前に立ち」   M

  解説:後ろから迫るリフト座席の衝撃を避けるため、他人の隣の彼に痛さを受けてもらうための自分のわずかな動作の句。

 携帯電話にて本官に対し「本日の訓練無事終了、人員器材異常なし、ただいまより帰途につく」との報告入る。

 入浴後4人で町まで夕食に出かける。
 元ちゃんお勧めの豚カツ屋にて、「隣り合う ギャルとの歳の差45」若いねえ、吾等総計260歳なのだ。
 「食べきれぬ 店の銀シャリ持ち帰り」           N
 解説:豚カツキャベツの量過大にして4人ともご飯までは食べきれず、世帯じみてるとは思いながら、
 捨てるにはあまりにも勿体なかったので店からサランラップをもらって持ち帰った次第。明朝のためにも。

 次の日も元気で起床、山頂あたりやや雨模様なるも各馬出動意欲満々。
  「戦利米 4人で分け合う朝ごはん」   N
  「春雨じゃ 濡れてスキーもおつなもの」   T
  「白銀は 今日も翁を待っている」   H
  「リフト券 買うとき歳を思いだし」   M
  「遊びには 停年なしのろくでなし」   H

 私個人は、
  「スキー三昧3じ爺 私や留守番お風呂だけ」
  「足湯治 食前食後日に6度」
  「足治療 温泉三昧ふやけ気味」
  「スキー組 俺に気遣い卓囲み」

  寝る前に、「連日の 鼾合戦早寝勝ち」
  朝起きて、「あら不思議 鼾がないと眠れない」   N

 26日夜から数十センチの新雪が積もる。
 明けて3爺嬉々として雪山に再々出動、山は間欠的に吹雪なるも鍛えた根性で難関に挑戦、・・・よくやるものよ寒いのに。

 27日、正午過ぎ、打ち合わせのどおり、成果確認のためマンション正面のゲレンデを3名が本官に対し観閲滑走、
 部屋の窓から検閲し、携帯にて合格と伝達す。3日間お元気爺さんお3方、おん歳ものともせず異常なく訓練終了。

 入浴後皆で部屋を片付け帰路につく、同行記者入浴訓練回数全合計16回、
 温泉治療効能大、リハビリ促進、心身爽快にして早期回復の予感あり。

 まず早瀬宅到着荷物を下ろす、忘れ物ないか?本人確認異常なし。
 ところが別れて数分も立たぬ内に再電話、やはり大きな忘れ物車内に残りてあり。

 「念押すも あてにならない老期生」とMさんの最終追加句

 以上、皆様本当にご苦労様、またこの場を与えていただいた松本社長、及び面倒なのに私を同行させてくれた同期諸兄(何故か皆電池の5班)にただ感謝あるのみ。有難うございました。

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