筑波稲敷台地から見た歴史年表 (色文字は筑波稲敷関係事項)
地球誕生 46億年
先カンブリア期
バクテリア 藍藻類 酸素少量 酸素やや増加
35億年 32億年 16億年 10億年


カンブリア紀 5億9千万年
・英国カンブリア山脈の化石からの名
・温和な海洋性気候
・海綿、クラゲ、珊瑚、三葉虫
オルドビス紀 5億万年
・古代ケルト族「オルドビス」からの名
・日本最古の化石(貝類)
・頭足類、軟体動物、甲冑魚
シルル紀 4億3千万年
・ケルト族「シルル」からの名
・海サソリ、シダ植物・ヤスデ・サソリ上陸
デボン紀 4億年
・英国「デボン州」からの名
・魚類(鮫)の時代、アンモナイト出現、ダニ、蜘蛛、線形植物-ライニア
石炭紀 3億5千万年
・シベリア大陸とユーラアメリア大陸衝突→ローラシア大陸
・両生類、昆虫、シダ植物、年輪(四季)無し
3億年
・日本列島の位置は浅い海であり、海底下は厚さ1万メートルの土砂が積もりつつある。
ペルム紀
(二畳紀)
2億8千万年
・ローラシア大陸とゴンドワナ大陸衝突
・ロシアの「ペルム王国」からの名
・哺乳類型爬虫類、ディメトロドン、エダホザウルス
・原始的シダ類→裸子植物、年輪(四季)あり
・パンゲア大陸の形成、海嶺の縮小・海底の沈下→海面の低下、
・気候変化(大陸性気候・乾燥・砂漠・寒冷化)、海水の塩度低下(内海→海水湖→岩塩形成)
2億4千万年
・海底の土砂中でマグマが冷え固まり筑波山の原型形成
・浅海生物の全滅(全動物種の50%) アンモナイト第一次危機


三畳紀 2億3千万年
・原始的恐竜 爬虫類の出現
・「三つの層」からの名
1億9千万年
・海底が隆起し古筑波山が出現(黒い斑糲(はんれい)岩が出現)
・アンモナイト第二次危機
ジュラ紀 1億8千万年
・「スイス・ジュラ山脈」からの名
・パンゲア大陸→ローラシア・ゴンドワナ大陸に分裂
・恐竜、始祖鳥出現→恐竜大型化
1億4千万年
・古筑波山が海底に沈む。
白亜紀 前期 1億3千5百万年
・英国ドーバー「チョーク層」からの名
・ゴンドワナ大陸→アフリカ大陸、南アメリカ大陸に分裂
・古筑波山に花崗岩が貫入する。
・哺乳類(食虫目-トガリ鼠、エンドテリウム-もぐら)出現
中期 1億2千万年
・海底が再隆起し筑波山が誕生する。
後期 9千万年
・被子植物(柳、クルミ、楓、蓮)
・那珂湊 平磯海岸の地層(アンモナイト)
マーストリヒト期 7千5百万年
・アンモナイト衰退
・東北日本中央構造線(大断層)ができる(筑波山南)
・石灰質藻類の繁栄、推積→炭酸ガス固定→温室効果減少による低温化
 (5百万年で5度低下)
・隕石物質≒地球内部物質→通常の100倍、百万年間にピーク5回、
 デカン高原を作っている火山岩噴出(富士山の250倍)
・アルプス・中近東高地隆起始まる。
・海面低下→インドヒマラヤ海・ウラル海消滅、
・北米内陸西部海路の閉鎖、ベーリング海峡一時閉鎖
・恐竜の絶滅、アンモナイトの絶滅、70%の動物絶滅
6千5百万年






・第三紀は、古生代を「第一紀」中生代を「第二紀」と呼んだ名残
・霊長類(木鼠)誕生


5千5百万年
・石炭植物 メリテリウム-象、狐猿


3千8百万年
・太平洋深海の温度10度(現代2度)
・常磐炭田の入り江ができる。
・大型哺乳類デスモスチルス、アンキテリウム(馬)出現
・パラピテクス(リス猿)、プロピリオピテクス(手長猿)
・サバンナ、ステップ、プレーリー、パンパス出現


2千5百万年
・日本列島の骨格完成、フォッサマグナ生ずる。
・陥没で筑波山は「筑波島」になる。
・地中海が出現


1千2百万年
1千万年
・デスモスチルス、アンキテリウム滅ぶ バルキテリウム-犀(肩高6メートル)
8百万年
・英国南部ピルトダウンの地層(英人-人骨と類人猿の骨を埋めて掘り返し世界に発見を発表した地層)
・海退で「筑波島」筑波山になる。関東平野出現
・ドリオピテクス(プロコンスル)、ラマピテクス、ケニヤピテクス、オレオピテクス








2百万年
・「更新世」は新生代の最後の意
・エチオピア北東−オーストラロピテクス・アフリカヌス ホモ・ハビリス
・パラントロプス(南アフリカ)、ジンジャントロプス・ボイセイ(東アフリカ・タンガニカ)−
 オルドヴァイ文明化(礫器)
・寒冷化−メタセコイア衰える
・草原-ヒッパリオン→エクウス、マストドン→エレファヌス、牛科発展
百万年 ・氷河時代(第1氷期)始まる。
80万年 ・初代富士山(小御岳火山)噴火始まる。
55万年 ・第1氷期終わる。ジャワ原人・北京原人・ハイデルベルグ人
50万年 ・旧石器の出現(丹生)
45万年 ・第2氷期→38万年前まで
40万年 ・古東京湾できる。
24万年 ・第3氷期始まる。
20万年 ・筑波山断層で二つの峰になる。
15万年 ・第3氷期終わる。ネアンデルタール人、牛川人(豊橋)
・リス間氷期、ナウマン象生息
6万年 ・早水台(大分)、岩宿(群馬)の石器。第4氷期(ウルム氷期)始まる。
3万5千年 ・古東京湾の水ひく。
・二代富士山(古富士火山)の噴火始まる。
3万年 ・クロマニヨン人・葛生人・三ヶ日人・浜北人(岩水寺)
2万5千年 ・打製石器
・マンモス、毛犀、大角鹿滅びる。
1万2千年 ・第4氷期が終わる。気候が温暖化して照葉樹の植生広がる。
・先土器時代の遺跡、茨城県で80ヶ所、竜ヶ崎市沖餅遺跡
1万年 ・古富士火山の噴火止まる。
沖積世・完新世
 ・ネス湖できる(英人-潜水玩具(アヒル)写真で恐竜発見を世界に発表した湖)



・茨城県の遺跡数3千ヶ所           
早期 9千年
・筑波−台湾並の暖かさ。 縄文海進 有楽海できる。
・尖底土器、数戸単位の掘り下げ住居、利根町花輪台貝塚、茨城県内遺跡約300ヶ所
8千年
・富士山噴火止まる。
前期 6千年
・水戸の南東に大串貝塚形成、海水の進入最高潮
・平底土器 〆切遺跡 小茎遺跡
 三内丸山遺跡、県内遺跡約450ヶ所
中期 5千年
・富士山噴火止む。海退始まる。
・厚手の大きな土器、立体装飾 美浦村陸平貝塚、県内遺跡約1,300ヶ所
後期 4千年
・竜ヶ崎市の馴馬廻り地遺跡、馬蹄型貝塚
・土瓶など使い道に応じた土器、土偶の製造増す。県内遺跡約800ヶ所
晩期 3千年
・漁労活発、霞ヶ浦で土器による製塩、桜川村広畑貝塚、上高津貝塚(土浦市)
−1,100年
・倭人、香草を貢す。



−300 ・西日本弥生文化 低地集落の出現、北九州−稲・織物
−100 ・青銅器・鉄器が使われ始める。
・有楽海ほとんど退く。・茨城県に弥生文化が伝わる。稲作農業・機織り
・赤褐色で文様が少ない薄手の土器 若栗 宝陽台
・楽浪海中に倭人有り分かれて百余国となる 歳時を以て来たり献見す(漢書)
  14 ・王莽−天鳳元年貨泉鋳造 津島・壱岐・福岡・熊本・大阪・京都出土
  57 ・倭の奴国貢を奉じて朝賀す使人自ら大夫と称す 倭国の極南界なり 賜うに印綬を以てす(後漢書)
 「漢委奴国王印」
  90 ・倭国 男子を統一王とする。
 104 ・中国、太初暦採用、南北の子午線を基準とする。
 107 ・倭の国王帥升等 生口160人を献じ請見を願う(後漢書)
 122 ・夏四月 大風東来 都人訛言 争遁山谷(新羅本紀)
 167 ・倭国大いに乱れ 相攻伐し歴年主なし(後漢書)・卑弥呼女王になる(倭人伝)
 220 ・中国 魏・呉・蜀の三国時代が始まる。





239 ・倭の女王魏に遣使 生口・斑布を献し「親魏倭王」の金印を仮授され
 錦毛織・絳茜・紺青白の絹・刀・銅鏡・真珠・鉛丹を賜る。
243 ・倭王 イセキ・イェヤコ等8人を遣使 生口・錦・絹・綿衣・丹・弓・矢を献す
245 ・魏 詔して難升米に黄旗を賜い郡に付して仮授せしむ。
247 ・太守官に到る。張政等を遣使し詔書・黄旗を齎して難升米に拝仮し檄を作って告諭す。
・卑弥呼死せるを以て径百歩の塚を作る 殉葬の奴婢百人。
・更に男王を立てるも国中服せず 相互に誅殺し当時千余人死亡。
・卑弥呼の宗女 豊 13歳を王とし遂に定まる。
・魏使等檄を以て豊を告諭す。
 豊はイェヤコ等20人を遣し魏使の帰りを送らせ生口・白珠・青大曲玉・錦を献貢せり。
266 ・倭の女王、豊が晋王朝へ遣使(晋−起居注)
300 ・土師器 方形周溝墓と底部穿孔土器 泊崎城遺跡 廻り地遺跡
  ・熊本県玉名市柳町遺跡に文字あり。
・ハツクニ王、北陸・東海・丹波に和平の使いをだす。
・筑波地方に「紀(木・城)の国(集落の連合・郡)」の名がある。
筑箪の命(つくはこのみこと)が「城の国」を治める。筑波の名の起源(別-角毛(つく)
双耳山)
318 ・ハツクニ王没し、ハツクニシラスミマキ王(崇神天皇)の名を贈られる。
・阿閉色の命が筑波の国造になる。他に新治・仲・久自・高・茨城(茨の城)の国の名がある。

355 ・百済(ふだらく(観音の地)→ふだら→くだら)がおこる。
366 ・倭の使者が百済を訪問(百済記)(神功紀46年)
367 ・百済から使いが来る。百済・倭の連合軍が新羅と交戦。(百済記・神功紀)
369 ・任那に日本府ができる。(神功紀49年)
371 ・百済・倭の連合軍が高句麗と交戦(神功紀51年・三国史記)
372 ・百済王が倭に七支刀を贈る(与える)(神功記52年)
391 ・倭人海を渡り百済・加羅・新羅と交戦(広開土王碑)
399 ・倭・百済の連合軍が新羅と交戦(広開土王碑)
404 ・倭と高句麗終戦(広開土王碑)
413 ・倭王、讃(○○天皇)430年までに4回、東晋・宋へ使いを送る。
・太刀に漢字を彫る。

・応神天皇陵造られる。
438 ・倭王、珍(讃の弟、□□天皇)宋へ使いを送る。
・仁徳天皇陵造られる。
・つくば市山木古墳他大洗・玉造・八郷・岩瀬などの前方後円墳
・船塚山古墳築かれる(茨城国造、筑紫刀禰の墓)
・石岡市西方の波付岩付近で製鉄が行われる。
443 ・倭王、済(允恭天皇)451年までに3回、宋へ使いを送る。
462 ・倭王、興(済の世子、安康天皇)477年までに2回、宋へ使いを送る。
478 ・倭王、武(興の弟、雄略天皇)宋への文「祖先 東征毛人55国 西服衆夷66 国渡平海北95国」
500 ・須恵器、屋内竈、埴輪(岩間、茨城町に土師の地名)

・継体天皇代、箭括 氏麻多智 行方郡北に水田を開く
・帝記(系譜)、旧辞(物語)できる。



552 ・任那の日本府滅ぶ。
645 (大化 1)初めて年号が定められる。
646 ・新治・筑波・茨城・那賀・久慈・多珂の6国を統合して常陸(陸続きの直道)の国とし国府を石岡に置く。
648 ・大和朝廷から国司が派遣されてくる。国造は郡司になる。
・公地(農地改革)公民(奴隷解放)条理(口分田の耕地整理)の制。
 租(稲3%)、庸(10日〜20日の徴用、米3〜6斗)、調(特産品−布・貝等の徴発−絹、麻、綿2〜3丈)、
 雑徭、防人、衛士の制度が布かれる。
・筑波各地の神社を統合して六所神社とし筑波山南に祭る。
663 ・白村江の戦い 百済が滅び、王族日本へ亡命。
670 ・庚午年籍(戸籍)作りが始まり、翌年完成。
672 ・天武天皇、稗田阿礼に帝記と旧辞(紀記元本)を暗記させる。
700 ・百済王遠宝が常陸の国司となる。
709 ・常陸国の人口19万人を越す。



710 (和銅 3)奈良平城京に遷都
712 ・古事記献進 古事記 甲斐にて倭建 命と御火焚 翁の連歌
 「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる 日々並べて夜には九夜日には十日を」
713 ・風土記撰進の詔(国、郡、郷に良い名をつけ・・・)
714 ・常陸国は、多珂・久慈・那賀・鹿島・行方・新治・白壁(真壁)・筑波・河内・信太の11郡、
 下総国の茨城県域は結城・豊田・猿島・相馬の4郡からなる。
719 ・藤原宇合が常陸の国司になる。
720 ・「日本書紀」撰上。
723 ・「常陸風土記」編纂される。
741 (天平13) 常陸国国分寺(四天王護国寺、法華寺)着工(全国66ヶ所)
・那珂・茨城・新治・結城の各郡に郡の寺が建立される。
755 ・万葉集編纂される。(筑波山の歌25首、富士山の歌9首)
782 ・奈良の僧徳一が筑波山の中腹に知足院中禅寺を建てる。
788 (延暦 7) 最澄が比叡山寺(後の延暦寺)を建てる。



794 (延暦13) 平安京へ遷都石岡の鹿ノ子工房(漆紙)
796 (延暦15) 宝鏡山麓に東城寺が建てられる。後小田氏の保護
801 坂上田村麻呂が東夷を鎮圧。帰途、六所神社へ石の鳥居を寄贈
805 ・最澄(伝教大師)が延暦寺で天台宗を開く。
806 ・空海(弘法大師)が真言宗を開く。十年後高野山に金剛峯寺を建立
・若栗に念向寺が建てられる。
812 ・天宝喜・弁財天堂が建てられる。
823 ・常陸国の田積4万町歩、陸奥の国(東北6県)合計に次ぎ全国2位。
842 ・徳一大師没、筑波山の知足院中禅寺は法相宗から真言宗になる。
889 ・平高望が上総介になる。私有地を開墾し、子供たちへ分配する。
・平高望の長男国香は常陸大掾に、次男良兼は下総介に、三男良将は鎮守府将軍になり、
 平家一族が筑波地方を支配する。
・平良将の長男将門、上京して藤原忠平に仕える。
935 (承平5) 平将門、真壁の豪族平真樹に誘われて明野南で国香、前常陸大掾源護の子等と合戦。
 常陸田積4万余町歩
937 (承平7) 将門の妻子良兼に殺される。将門、罪人の茨城郡豪族藤原玄明を(かくま)い常陸の国府を攻め取る。
939 (天慶2) 将門、興世王にそそのかされ下野と上野の国司を追い新皇を名乗り新たに国司を任命する。
 藤原純友の乱。
・将門、若栗の鹿島神社と念向寺に3百石を寄進。
940 ・藤原秀郷と国香の子平定盛の連合軍が、岩井で将門を滅ぼす。後、定盛の甥、維盛、常陸大掾となり
 水守を経、北条多気山へ移り城と宇治平等院鳳凰堂のような日向寺を建立。
945 ・樋の沢に月読神社がまつられる。
1025 ・常陸田積300町歩
・本地垂迹説(権現信仰−神仏習合)広まる。
1028 ・平忠常(将門の一族)の反乱
1051 ・前九年の役(阿倍頼時父子の反乱)
1052 ・仏法の末法時代始まる。(仏の教えが廃れ、教法のみ残る)
1083 ・後三年の役(清原家衡の反乱)
1167 ・平清盛が太政大臣になる。
1181 ・浮島(桜川村)で頼朝の叔父志田義弘反乱。八田知家、戦功により源頼朝から筑波山南小田の地を貰う。
1185 ・壇ノ浦の戦いで平家滅ぶ。源頼朝が諸国に守護・地頭を置く。
1186 ・八田知家が常陸の守護職に任ぜられる。
1187 ・源頼朝が六所神社を源氏の祈願所とする。



1192 ・鎌倉に幕府が開かれる。
1193 ・馬場資幹が常陸の大掾家を継ぐ。
1205 ・新古今和歌集ができる。
1217 ・親鸞上人が越後から下妻を経て笠間市稲田に住み「教行心証」を著し、17年後京都へ帰る。
1273 ・法身国師辞世
「一度経山に上がって風光を弄ぶ 帰り来たって天目道場に座す
 法身覚了すれば無一物 とつ是真壁の平四郎」
1274 (文永11) 蒙古軍の来襲(2万3千、9百艘)
1281 (弘安 4) 蒙古軍再び来襲(14万、4千3百艘)
「四百余州を挙る十万余騎の敵 国難ここに来る弘安四年夏のこと
 何ぞ恐れん我に鎌倉男児あり 正義武断の名一喝して世に示す」
1315 ・北条高時、執権となり悪政を重ねる。
1328 ・小田治久、小田城主になる。
1331 ・佐竹貞義が小田氏に代わって常陸の守護職になる。
1332 ・元弘の変により、藤原藤房、新治村(小田氏領)へ流される。
 隠岐に流された後醍醐天皇に児島孝徳が桜の幹に書いて示す。
 
「天 勾践を虚しうするなかれ 時に范蠡無きにしもあらず」
1332 ・新田義貞が後醍醐天皇の企てに応じて鎌倉の北条氏を滅ぼす。



1334 (建武 1) 建武の中興
1336 ・足利尊氏の反逆、南北朝時代、北畠顕家 東北勢を率いて南下。
・楠木正家が南朝勢力拡大のため瓜連に来るも佐竹氏に破れる。
・小田治久らの公家勢が佐竹貞義らの武家方を攻める。
1338 ・後醍醐天皇の側近、北畠親房が新利根村へ流れ着き、桜川村神宮寺城、東村阿波崎城を経て小田城へ入る。
・足利尊氏が征夷大将軍になり、幕府を開く。
・大井・香取神社が建てられる。
1339 ・高師冬が小田城を攻める。親房、城中で「神皇正統記」を書く。
・小田治久の2男、牛久市の岡見城に住み岡見氏を名乗る。
1441 ・小田城主 治久 高師冬と和睦する。親房は関城を経て吉野へ。
1387 ・治久の子、孝朝が岩間町、難台山城に南朝の兵を挙げ翌年落城。
1392 ・公家方と武家方の和解なる。南北朝の合一。
1394 ・岡見氏の支城 高崎城が城山・要害にできる。
1396 ・岡見氏の支城 岩崎城・泊崎城ができる。
・岩崎城主の子 岩崎勘解由が城の一角に貴船神社を建てる。
・上岩崎に日吉神社が建てられる。
1408 ・小田氏の命により岡見氏が高崎に延命地蔵尊をまつる。
1466 ・宗祇 男女川ほとりの草の庵に立ち寄る。庵に僧の残した3首あり。
 「草の戸に住む甲斐ありと見えながら 木の間の月ぞ影曇りける」
 「松にだに慣るれば慕う想いあり 奥より奥の山を訪ねん」
 「限り有れば泊まりの磯に住み果てず 霞の浦も今日は暮れ行く」
1473 ・高崎の延命地蔵尊堂脇に成就院が建てられる。
1486 ・藤原道興 筑波に旅する。「渡り来て末たどたどし筑波川 伊佐々の橋にかかる夕暮れ」
1492 ・高崎の孝学院が高崎城内に建てられる。
1534 ・岩崎勘解由が岩崎城内に守徳寺を建てる。
1543 ・ポルトガル船が種子島へ漂着、鉄砲を伝える。
1549 ・フランシスコ・ザビエルの書
「日本につきては・・・。
 俗人の間には罪悪少なく、また道理に従うことは坊主と称するパードレ及び祭司に勝れり」
1556 ・佐竹・結城らの連合軍と小田氏治が真壁郡関城町黒子で戦う。
1559 (永禄 2) 上杉謙信が小田城を攻め取る。
1560 (永禄 3) 足高城を本城とする岡見氏の全盛 桶狭間の戦い。
1561 (永禄 4) 川中島の戦い。
1572 ・八郷町片野の太田三楽(佐竹派)が大晦日に小田城を襲う。
1573 (天正 1) 湯袋峠(筑波北東)の合戦後、鉄砲で小田城落ちる。





・足利幕府滅ぶ。
1574 ・大井・聖天堂が建てられる。高崎に牛頭天王堂が建てられる。
1575 ・長篠の合戦
1587 ・岡見氏下妻の多賀谷修理(佐竹派)と戦い勢力を失う。
1590 ・豊臣秀吉が全国を統一 徳川家康を静岡から江戸へ移す。
・若栗の鹿島神社・念向寺が多賀谷修理の放火で焼失
・岡見氏滅ぶ。若栗・高崎・小茎(東林寺)・岩崎の各城は廃される。
・小田家滅ぶ。
1591 ・由良国繁が秀吉から牛久に7千石の領地を貰い元岡見氏の牛久城を修築し城主になる。
1595 ・若栗の鹿島神社・念向寺再建
1600 (慶長 5) 関ヶ原の合戦
1602 ・家康、筑波山の中禅寺を徳川家の鬼門を護る祈願所にする。



1603 ・徳川家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を開く。
1614 (慶長19) 大阪冬の陣 翌年大阪夏の陣
・筑波山中禅寺の光誉上人、大阪夏の陣に従軍し蝦蟇の油を配る。
1616 ・細川興元は大阪夏の陣の功により茂木1万石に谷田部6千石を加増される。
1623 ・房内・若栗・樋の沢新田・大井は谷田部領となる。
1626 ・由良氏は千石(菅間22石を含む)になり牛久城は廃される。
1629 ・伊那忠治、福岡堰を設け、常陸谷和原3万石の新田を開く。
・山口重政、大阪夏の陣の功により遠江と常陸河内に1万5千石を回復され牛久山口藩主になる。
 小茎・高崎・天宝喜は牛久領になる。
1630 ・伊那忠治、岡堰を設け、相馬谷和原2万石の新田を開く。
1634 ・伊那忠治、牛久沼2千間堤を築き新八間堀を完成させる。
1635 ・参勤交代の制度が布かれる。
1637 ・島原の乱起こる。
1653 ・山口家2代弘隆、元由良氏の牛久廃城の近くに陣屋を構える。
1687 ・水戸光圀第2代水戸藩主になる。
1687 ・「筑波山恋明書」が出版される。
 「咲き出でてまだ人慣れぬ山桜 主なき花は手折り易きに」
 「折る人に誓いもあらんふげん草 つぼみし花の心開けて」
・筑波御幸ヶ原 「前は男体後ろは女体 中で餅焼く五家の茶屋」
・光誉上人以来江戸にあった知足院中禅寺の住職隆光の助言により5代将軍綱吉「生類(あわれ)みの令」をだす
1688 (元禄1) 隆光の中禅寺は「常陸山元禄寺護持院」と号する。
1709 (宝永6) 将軍綱吉没し「生類あわれみの令」が廃止される。
1725 ・桜井庄兵衛、牛久沼干拓を幕府に願い出、39年後未完成に終わる。
1772 ・信楽の職人から学び笠間焼が始まる。
1786 (天明6) 大水害 天明の大飢饉
1794 ・幕府の代官岡田寒泉の善政
1804 ・牛久助郷一揆起こる。
(助郷夫役増を画策した宿場の3家を打ち壊し(女化に6千人集結)頭取3人の碑は荒川沖駅東2qにある)
1809 ・間宮林蔵が、間宮海峡を確認(生前の墓、生家の縮小家屋伊奈町にあり)
1809 ・谷田部の飯塚伊賀七 40歳を過ぎて名主を引退してから和時計を作る。
 (五角堂、酒買い人形等を作る。からくり伊賀七といわれる)
 「谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木に広瀬周度、飯塚伊賀七」
1835 ・谷田部藩、二宮尊徳の復興仕法書による施策を8年間実施
1841 ・水戸斉昭(烈公)弘道館創設、翌年偕楽園創設
1842 ・牛久藩、農馬貸付仕法を始める。
1846 (弘化3) 牛久の弘化新田開発。
1851 ・幕府は日露和親条約に調印し択捉島とウルップ島間を国境に、樺太を両国の雑居地と定める。
1853 ・アメリカの黒船浦賀に来航。
1855 (安政2) 安政の大地震で江戸にいた藤田東湖ら圧死。
1858 (安政6) 安政の大獄 2年後桜田門外の変 4年後坂下門外の変
1864 (元治1) 天狗党(尊皇攘夷過激派)が筑波山に集結、放火略奪。
1865 ・天狗党は徳川斉昭の子一橋慶喜(皇居守衛総督)を頼り西上中、
 慶喜が天狗党追討総督になったと聞き加賀藩に降伏
 慶喜は処分を幕府役人に任せ敦賀で352人打ち首、468人処罰。
・牛久山口藩(譜代)、谷田部細川藩(外様)は勤王派
1867 (慶応 3) 慶喜15代将軍になって1年後大政奉還

1868 (明治1) 神仏分離令
1869 (明治2) 版籍奉還で上岩崎・下岩崎・菅間の旗本領と天領は、宮谷県となる。
1871 (明治4) 廃藩置県で高崎・天宝喜・小茎は牛久県、房内・若栗・大井・菅間は茂木県、樋の沢は土浦県、
 庄兵衛新田は前橋県となり、後に宮谷県、若森県(県庁−つくば市若森城址)と併せて新治県となる。
1873 (明治6) 田宮生まれの木村安兵衛があんパンを銀座で売り出す。
1875 (明治8) 新治県が茨城県に合併する。
1875 (明治9) 地租軽減要求(3%→2.5%)の「真壁暴動」が起こる。「竹槍でチョット突き出す二分五厘」
1877 (明治10) 西南戦争が起こる。
1880 (明治13) 筑波山中腹の結束楼で県内自由民権団体の会議開催。
1884 (明治17) 自由民権団体の暗殺過激派16名による「加波山事件」
1894 (明治27) 日清戦争が起こる。翌年下関講和条約調印、三国干渉
1895 (明治28) 高見原の開墾始まる。筑波嶺詩人・横瀬夜雨「神も仏も」を発表。
1896 (明治29) 信太・河内郡は、境界近くにあった稲敷郷の名をとり稲敷郡に統一 される。
       稲敷←飯名喰(いいなじき)稲喰(いなじき)

・田端・土浦間鉄道開通、
牛久駅できる。(翌年 日暮里−岩沼 間開通)
1903 (明治36) 蜂葡萄酒販売元三河屋の神谷氏「牛久シャトー」を創立。
1904 (明治37) 日露戦争始まる。翌年ポーツマス講和条約調印
1914 (大正3) 第一時世界大戦に参戦
1922 (大正11) 霞ヶ浦海軍航空隊設置される。
1923 (大正12) 関東大震災
1929 (昭和4) ドイツの飛行船ツェッペリン伯号世界一周の途中霞ヶ浦へ。
1937 (昭和12) 日華事変が始まる。
1939 (昭和14) 霞ヶ浦海軍航空隊予科練習部設置される。
1940 (昭和15) 日独伊三国同盟が結ばれる。
1941 (昭和16) 太平洋戦争始まる。筑波山頂に防空監視所設置。
1945 (昭和20) 筑波山頂の測候所が米軍機の爆撃を受ける。

太平洋戦争終わる。