鉄道唱歌 山陽 九州
  夏なお寒き布引の 滝の響きを後にして
  神戸の里を立ちいずる 山陽線路の汽車の道

  兵庫 鷹取 須磨の浦 名所旧蹟かずおおし
  平家の若武者敦盛が 討たれし跡もここと聞く

  その最期まで携えし 青葉の笛は須磨寺に
  今も残りて宝物の 中にあるこそあわれなれ

  九郎判官義経が 敵陣めがけて落としたる
  鵯越や一ノ谷 皆この名所の内ぞかし

  舞子の松の木の間より 間近く見ゆる淡路島
  夜は岩屋の灯台も 手に取る如く影あかし

  明石の浦の風景を 歌に詠みたる人磨の
  社はこれか島がくれ 漕ぎ行く舟もおもしろや

  加古川おりて旅人の 立ちよる陰は高砂の
  松の嵐に伝えくる 鐘も名だかき尾上寺

  阿弥陀は寺の音に聞き 姫路は城の名に響く
  ここより支線に乗りかえて 行けば生野ば二時間余

  那波の駅から西南 一里はなれて赤穂あり
  四十七士が仕えたる 浅野内匠の城のあと

  播磨すぐれば焼物の 名に聞く備前の岡山に
  これも名物吉備団子 津山へ行くは乗りかえよ
十一
  水戸と金沢 岡山と 天下に三つの公園地
  後楽園も見てゆかん 国へ話のみやげには
十二
  霊験今にいちじるく 讃岐の国に鎮座ある
  金刀比羅宮に参るには 玉島港より汽船あり
十三
  畳おもての備後には 福山町ぞ賑わしき
  城の石垣むしのこす 苔にむかしの忍ばれて
十四
  武士が手に巻く鞆の浦 ここより行けば道三里
  仙酔島を前にして 煙にぎわう海士の里
十五
  浄土西国千光寺 寺の名たかき尾道の
  港を窓の下に見て 汽車の眠もさめにけり
十六
  糸崎 三原 海田市 過ぎて今つく広島は
  城のかたちもそのままに 今は師団をおかれたり
十七
  日清戦争はじまりて かたじけなくも大君の
  御旗を進めたまいたる 大本営のありし土地
十八
  北には饒津の公園地 西には宇品の新港
  内海波も静なり 呉軍港は近くして
十九
  己斐の松原 五日市 いつしか過ぎて厳島
  鳥居を前に眺めやる 宮島駅に着きにけり
二十
  汽笛ならして客を待つ 汽船に乗れば十五分
  早くもここぞ市杵島 姫のまします宮どころ
二一
  海にいでたる廻廊の 板を浮べてさす汐に
  うつる燈籠の火の影は 星か蛍か漁火か
二二
  毛利元就この島に 城をかまえて君の敵
  陶晴賢を誅せしは 残す武臣の鑑なり
二三
  岩国川の水上に かかれる橋は算盤の
  玉を並べし如くにて 錦帯橋と名づけたり
二四
  風に糸よる柳井津の 港に響く産物は
  甘露醤油に柳井縞 からき浮世の塩の味
二五
  出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は
  山陽線路の終わりにて 馬関に延ばす汽車のみち
二六
  少しくあとに立ちかえり 徳山港を船出して
  二十里ゆけば豊前なる 門司の港につきにけり
二七
  向の岸は馬関にて 海上わずか二十町
  瀬戸内海の咽首を 占めてあつむる船の数
二八
  朝の帆影夕烟 西北さしてゆく船は
  鳥も飛ばぬと音にきく 玄海洋や渡るらん
二九
  満ち引く汐も早鞆の 瀬戸と呼ばるる此海は
  源平両氏の古戦場 壇の浦とはこれぞかし
三十
  世界にその名いと高き 馬関条約結びたる
  春帆楼の跡といて 昔しのぶもおもしろや
三一
  門司よりおこる九州の 鉄道線路をはるばると
  行けば大里の里すぎて ここぞ小倉と人はよぶ
三二
  これより汽車を乗りかえて 東の浜に沿いゆかば
  城野 行橋 宇島を すぎて中津に至るべし
三三
  中津は豊後の繁華の地 頼山陽の筆により
  名だかくなりし耶馬渓を 見るには道も遠からず
三四
  白雲かかる彦山を 右にながめて猶ゆけば
  汽車は宇佐にて止まりたり 八幡の宮に詣でこん
三五
  歴史を読みて誰も知る 和気清麿が神勅を
  請い祀りたる宇佐の宮 仰がぬ人は世にあらじ
三六
  小倉に又も立ちもどり ゆけば折尾の右左
  若松線と直方の 道はここにて出あいたり
三七
  走る窓より打ち望む 海のけしきのおもしろさ
  磯に貝ほる少女あり 沖に帆かくる小舟あり
三八
  おとにききたる箱崎の 松かあらぬか一むらの
  みどり霞みて見えたるは 八幡の神の宮ならん
三九
  天の橋立 三保の浦 この箱崎を取りそえて
  三松原とよばれたる その名も千代の春のいろ
四十
  織物産地と知られたる 博多は黒田の城のあと
  川を隔てて福岡の 町も間近く続きたり
四一
  まだ一日と思いたる 旅路は早も二日市
  下りて見てこん名に聞きし 宰府の宮の飛梅を
四二
  千年のむかし太宰府を 置かれし跡は此処
  宮に祭れる菅公の 事蹟かたらんいざ来れ
四三
  醍醐の御代の其はじめ 惜しくも人にそねまれて
  身になき罪を負わせられ ついに左遷と定まりぬ
四四
  天に泣けども天言わず 地に叫べども地もきかず
  涙を呑みて辺土なる ここに月日を送りけり
四五
  身は枕めども忘れぬは 海より深き君の恩
  形見の御衣を朝毎に 捧げてしぼる袂かな
四六
  あわれ当時の御心を 思い祀ればいかならん
  御前の池に鯉を呼ぶ おとめよ子等よ旅人よ
四七
  一時栄えし都府楼の 跡を尋ねて分け入れば
  草葉をわたる春風に なびく菫の三つ五つ
四八
  鐘の音きくと菅公の 詩に作られて観音寺
  仏も知るや千代までも つきぬ恨の世がたりは
四九
  宰府わかれて鳥栖の駅 長崎行きの分かれ道
  久留米は有馬の旧城下 水天宮もほど近し
五十
  かの西南の戦争に その名ひびきし田原坂
  見にゆく人は木葉より おりて道きけ里人に
五一
  眠る間もなく熊本の 町に着きたり我汽車は
  九州一の大都会 人口五万四千あり
五二
  熊本城は西南の 役に名を得し無類の地
  細川氏の形見とて 今はおかるる六師団
五三
  町の名所は水前寺 公園きよく池ひろし
  宮は紅葉の錦山 寺は法華の本妙寺
五四
  誉れの花も咲き匂う 花岡山の招魂社
  雲か霞か夕空に みゆるは阿蘇の遠煙
五五
  渡る白川 緑川 川尻ゆけば宇土の里
  国の名に負う不知火の 見ゆるはここの海と聞く
五六
  線路分るる三角港 出で入る船は絶えまなし
  松橋すぎて八代と 聞くも心の楽しさよ
五七
  南は球磨の川の水 矢よりも早く流れたり
  西は天草洋の海 雲かとみゆる山もなし
五八
  再びかえる鳥栖の駅 線路を西に乗りかえて
  ゆけば間もなく佐賀の町 城には残る弾のあと
五九
  疲れて浴びる武雄の湯 みやげにするは有田焼
  めぐる車輪の早岐より 右にわかるる佐世保道
六十
  鎮西一の軍港と その名しられて大村の
  湾をしめたる佐世保には わが鎮守府を置かれたり
六一
  南の風をハエと読む 南風崎すぎて川棚の
  つぎは彼杵か松原の 松ふく風ものどかに
六二
  右にながむる鯛の浦 鯛つる舟も浮かびたり
  名も諌早の里ならぬ 旅の心や勇むらん
六三
  故郷のたより喜々津とて おちつく人の大草や
  春日長与の楽しみも 道尾にこそ着きにけれ
六四
  千代に八千代の末かけて 栄行く御代は長崎の
  港にぎわう百千船 夜は舷灯の美しさ
六五
  汽車よりおりて旅人の まず見にゆくは諏訪の山
  寺町すぎて居留地に 入れば昔ぞ忍ばるる
六六
  わが開港を導きし 阿蘭陀船のつどいたる
  港はここぞ長崎ぞ 長くわするな国民よ
六七
  前は海原はてもなく 外つ国までも続くらん
  あとは鉄道一すじに またたくひまよ青森も
六八
  あしたは花の嵐山 ゆうべは月の筑紫潟
  かしこも楽しここもよし いざ見てめぐれ汽車の友


    奥州・磐城編
  汽車は烟を噴き立てて 今ぞ上野を出でてゆく
  ゆくえは何く陸奥の 青森までも一飛に

  王子に着きて仰ぎみる 森は花見し飛鳥山
  土器なげて遊びたる 江戸の名所の其一つ

  赤羽すぎて打ちわたる 名も荒川の鉄の橋
  その水上は秩父より いでて墨田の川となる

  浦和に浦は無けれども 大宮駅に宮ありて
  公園ひろく池ふかく 夏のさかりも暑からず

  中山道と打ちわかれ ゆくや蓮田の花ざかり
  久喜 栗橋の橋かけて わたるはこれぞ利根の川

  末は銚子の海に入る 坂東太郎の名も高し
  みよや臼帆の絶間なく のぼればくだる賑を

  次に来るは古河 間々田 両手ひろげて我汽車を
  万歳と呼ぶ子供あり おもえば今日は日曜か

  小山をおりて右にゆく 水戸と友部の線路には
  紬産地の結城あり 桜名所の岩瀬あり

  左にゆかば前橋を 経て高崎に至るべし
  足利 桐生 伊勢崎は 音に聞えし養蚕地

  金と石との小金井や 石橋すぎて秋の田を
  立つや雀の宮鼓 宇都宮にもつきにけり
十一
  いざ乗り替えん日光の 線路これより分れたり
  二十五マイル走りなば 一時半にて着くという
十二
  日光見ずは結構と いうなといいし諺も
  おもいしらるる宮の様 花か紅葉か金襴か
十三
  東照宮の壮麗も 三代廟の高大も
  みるまに一日日ぐらしの 陽明門は是かとよ
十四
  滝は華厳の音たかく 百雷谷に吼え叫ぶ
  裏見霧降とりどりに 雲よりおつる物すごさ
十五
  又立ちかえる宇都宮 急げば早も西那須野
  ここよりゆけば塩原の 温泉わずか五里あまり
十六
  霰たばしる篠原と うたいし跡の狩場の野
  ただ見る薄女郎花 殺生石はいずかたぞ
十七
  東那須野の青嵐 ふくや黒磯 黒田原
  ここは何くと白河の 城の夕日は影赤し
十八
  秋風吹くと詠じたる 関所の跡は此ところ
  会津の兵を官軍の 討ちし維新の古戦場
十九
  岩もる水の泉崎 矢吹 須賀川冬の来て
  むすぶ氷は郡山 近き湖水は猪苗代
二十
  ここに起りて越後まで つづく磐越線路あり
  工事はいまだ半にて 今は若松会津まで
二一
  日和田 本宮 二本松 安達が原の黒塚を
  見にゆく人は下車せよと 案内記にもしるしたり
二二
  松川すぎてトンネルを いずれば来る福島の
  町は県庁所在の地 板倉氏の旧城下
二三
  しのぶもじずり摺り出だす 石の名所も程近く
  米沢ゆきの鉄道は 此町よりぞ分れたる
二四
  長岡おりて飯坂の 湯治にまわる人もあり
  越河こして白石は はや陸前の国と聞く
二五
  末は東の海に入る 阿武隈川も窓ちかく
  尽きぬ唱歌の声あげて 躍り来れる嬉しさよ
二六
  岩沼駅のにぎわいは 春と秋との馬の市
  千里の道に鞭うちて すすむは誰ぞ国のため
二七
  東北一の都会とて 其名しられし仙台市
  伊達政宗の築きたる 城に師団は置かれたり
二八
  阿武隈川の埋木も 仙台平の袴地も
  皆この土地の産物ぞ 見てゆけここも一日は
二九
  愛宕の山の木々青く 広瀬の川の水白し
  桜が岡の公園は 花も若葉も月雪も
三十
  多賀の碑ほどちかき 岩切おりて乗りかうる
  汽車は塩釜千賀の浦 いざ船よせよ松島に
三一
  汽車に乗りても松島の 話かしまし鹿島台
  小牛田は神の宮ちかく 新田は沼のけしきよし
三二
  水は川瀬の石こして さきちる波の花泉
  一の関より陸中と きけば南部の旧領地
三三
  阿部の貞任 義家の 戦ありし衣川
  金色堂を見る人は ここにておりよ平泉
三四
  過ぎ行く駅は七つ八つ 山おもしろく野は広し
  北上川を右にして 着くは何くぞ盛岡市
三五
  羽二重おりと鉄瓶は 市の産物と知られたり
  岩手の山の峰よりも 南部の馬の名ぞ高き
三六
  好摩 川口 沼宮内 中山 小鳥谷 一の戸と
  すぎゆくままに変りゆく 土地の言葉も面白や
三七
  尻内こせば打ちむれて 遊ぶ野馬の古間木や
  今日ぞ始めて陸奥の 海とは是かあの船は
三八
  野辺地の湾の左手に 立てる岬は夏泊
  とまらぬ汽車の進みよく 八甲田山も迎えたり
三九
  渚に近き湯野島を 見つつくぐれるトンネルの
  先は野内か浦町か 浦のけしきの晴れやかさ
四十
  勇む笛の音いそぐ人 汽車は着きけり青森に
  昔は陸路廿日道 今は鉄道一昼夜
四一
  津軽の瀬戸を中にして 函館までは二十四里
  ゆきかう船の煙にも 国のさかえは知られけり
四二
  汽車のりかえて弘前に あそぶも旅の楽しみよ
  店に並ぶは津軽塗 空に立てるは津軽富士
四三
  帰りは線路の道かえて 海際づたい進まんと
  仙台すぎて馬市の 岩沼よりぞ分れゆく
四四
  道は磐城をつらぬきて 常陸にかかる磐城線
  ながめはてなき海原は
  亜米利加までや続くらん
四五
  海にしばらく別れゆく 小田の緑の巾村は
  陶器産地と兼ねて聞く 相馬の町をひかえたり
四六
  中村いでて打ちわたる 川は真野川 新田川
  原の町より歩行して 妙見もうでや試みん
四七
  浪江なみうつ稲の穂の 長塚すぎて豊なる
  里の富岡 木戸 広野 広き海原みつつゆく
四八
  しばしばくぐるトンネルを 出てはながむる浦の波
  岩には休む鴎あり 沖には渡る白帆あり
四九
  君が八千代の久の浜 木奴美が浦の波ちかく
  おさまる国の平町 並が岡のけしきよし
五十
  綴 湯本をあとにして ゆくや泉の駅の傍
  しるべの札の文字みれば 小名浜までは道一里
五一
  道もせに散る花よりも 世に芳ばしき名を留めし
  八幡太郎が歌のあと 勿来の関も見てゆかん
五二
  関本おりて平潟の 港にやどる人もあり
  岩の中道ふみわけて 磯うつ波も聞きがてら
五三
  あいて別れて別れては またあう海と磯の松
  磯原すぎて高萩に 仮るや旅寝の高枕
五四
  助川さして潮あびに ゆけや下孫孫も子も
  駅夫の声に驚けば いつしか水戸は来りたり
五五
  三家の中に勤王の その名知られし水戸の藩
  わするな義公が撰びたる 大日本史のその功
五六
  文武の道を弘めたる 弘道館の跡とえば
  残る千本の梅が香は 雪の下より匂うなり
五七
  つれだつ旅の友部より わかるる道は小山線
  石岡よりは歌によむ 志筑の田井も程ちかし
五八
  間もなく来る土浦の 岸を浸せる水海は
  霞が浦の名も広く 汽船の笛の音たえず
五九
  雲井の空に耳二つ 立てたる駒の如くにて
  みゆる高嶺は男体と 女体そびゆる筑波山
六十
  峰にのぼれば地図一つ ひろげし如く見えわたる
  常陸の国のここかしこ 利根のながれの末までも
六一
  松戸をおりて国府の台 ゆけば一里に足らぬ道
  真間の手児名が跡という 寺も入江も残るなり
六二
  車輪のめぐり速に 千住大橋右に見て
  環の橋の限りなく 再び戻る田端駅
六三
  昔は鬼の住家とて 人の恐れし陸奥の
  果てまで行きて時の間に かえる事こそめでたけれ
六四
  いわえ人々鉄道の 開けし時に逢える身を
  上野の山も響くまで 鉄道唱歌の声立てて


    関西・参宮・南海編

  汽車をたよりに思い立つ 伊勢や大和の国めぐり
  網島いでて関西の 線路を旅の始にて

  造幣局の朝ざくら 桜の宮の夕すずみ
  なごりを跡に見かえれば 城の天主も霞みゆく

  咲くや菜種の放出も 過ぎて徳庵住の道
  窓より近き生駒山 手に取る如く聳えたり

  四條畷に仰ぎみる 小楠公の宮どころ
  流れも清き菊水の 旗風いまも香らせて

  心の花も桜井の 父の遺訓を身にしめて
  引きは返さぬ武士の 戦死のあとは此土地よ

  飯盛山を後にして 星田すぐれば津田の里
  倉治の桃の色ふかく 源氏の滝の音たかし

  柞の森と歌によむ 祝園すぎて新木津の
  左は京都右は奈良 奈良は帰りに残さまし

  京都の道に名を得たる 駅は玉水 宇治 木幡
  佐々木四郎の先陣に 知られし川も渡るなり

  恭仁の都の跡と聞く 加茂を出ずれば左には
  木津川しろく流れたり 晒せる布の如くにて

  川のあなたに眺めゆく 笠置の山は元弘の
  宮居の跡と聞くからに ふるは涙か村雨か
十一
  水をはなれて六丈の 高さをわたる鉄の橋
  すぐればここぞ大河原 河原の岩のけしきよさ
十二
  上野は伊賀の都会の地 春はここより汽車おりて
  影もおぼろの月が瀬に 梅みる人の数おおし
十三
  月は姨捨 須磨 明石 花はみよしの嵐山
  天下一つの梅林と きこえし名所はこの山ぞ
十四
  伊賀焼いずる佐那具の地 芭蕉うまれし柘植の駅
  線路左にわかるれば 迷わぬ道は草津まで
十五
  鈴鹿の山のトンネルを くぐれば早も伊勢の国
  筆捨山の風景を 見よや関より汽車おりて
十六
  愛知 逢坂 鈴鹿とて 三つの関所と呼ばれたる
  昔の跡は知らねども 関の地蔵は寺ふるし
十七
  巌にあそぶ亀山の 左は尾張名古屋線
  道にすぎゆく四日市 舟の煙や絶えざらん
十八
  万古の焼と蛤に 其名知られし桑名町
  日も長島の西東 揖斐と木曾との川長し
十九
  亀山城を後にして 一身田も夢のまに
  走ればきたる津の町は 参宮鉄道起点の地
二十
  町の社に祭らるる 神は結城の宗広と
  きこえし南朝忠義の士 まもるか今も君が代を
二一
  阿漕が浦に引く網の 名も高茶屋の雲出川
  渡りながらも眺めやる 桃の盛りやいかならん
二二
  木綿産地の松坂は 本居翁の墳墓の地
  国学界の泰斗とて あおがぬ人はよもあらじ
二三
  田丸の駅に程ちかき 斎宮村は斎王の
  むかし下りて此国に 住ませ給いし御所の跡
二四
  轟わたる宮川の 土手の桜の花ざかり
  雲か霞か白雪か におわぬ色の波もなし
二五
  伊勢の外宮のおわします 山田に汽車は着きにけり
  参詣いそげ吾友よ 五十鈴の川に御祓して
二六
  五十鈴の川の宇治橋を 渡ればここぞ天照す
  皇大神の宮どころ 千木たかしりて立ち給う
二七
  神路の山の木々あおく 御裳濯川の水きよし
  御威は尽きじ千代かけて いずる朝日ともろともに
二八
  伊勢と志摩とにまたがりて 雲井に立てる朝熊山
  登れば富士の高嶺まで 語り答うるばかりにて
二九
  下りは道を踏みかえて 見るや二見の二つ岩
  画に見しままの姿にて 立つもなつかし海原に
三十
  今ぞめでたく参宮を すまして跡に立ちかえる
  汽車は加茂より乗りかえて 奈良の都をめぐりみん
三一
  はや遠ざかる奈良の町 帯解寺も打ちすぎて
  渡るながれは布留の川 石の上とはここなれや
三二
  都のあとを教えよと いえど答えぬ賤の男が
  帰るそなたの丹波市 布留の社に道ちかし
三三
  三輪の杉むら過ぎがてに なくか昔のほととぎす
  今は青葉の桜井に 着きたる汽車の速かさ
三四
  ここよりおりて程ちかき 長谷の観音ふし拝み
  雄略帝が朝倉の 宮の遺跡もたずねみん
三五
  初瀬 列樹の宮のあと 問わんとすれば日は落ちて
  初瀬の川の夕波に 吹くや初瀬の山おろし
三六
  さぐる名所の楽しさに 思わず登る多武の峰
  峰に輝く鎌足の 社のあたり花おおし
三七
  桜井いでてわが汽車は 畝傍 耳無 香山の
  鼎に似たる三山を 前後に見つつ今ぞゆく
三八
  畝傍の麓橿原に 始めて都したまいし
  御威も高き大君が 御陵おがめ人々よ
三九
  高田わかれて右ゆけば 河内に走る線路あり
  路に過ぎ行く柏原の 名高き寺は道明寺
四十
  右の窓よりながめやる 葛城山の南には
  楠氏の城に名を挙げし 金剛山も続きたり
四一
  新庄 御所を打ちすぎて 掖上ゆけば神武帝
  国を蜻蛉と宣いし ほほ間の丘ぞ仰がるる
四二
  終れば起る鉄道の 南和と紀和の繋口
  五條すぐれば隅田より 紀伊の境に入りにけり
四三
  瞬ぐひまに橋本と 叫ぶ駅夫に道とえば
  紀の川わたり九度山を すぎて三里ぞ高野まで
四四
  弘法大師この山を 開きしよりは千余年
  蜩 ひびく骨堂の あたりは夏も風さむし
四五
  木隠おぐらき不動坂 夕露しげき女人堂
  見れば心も自ずから 塵の浮世を離れけり
四六
  再び渡る紀の川の 水上とおく雲ならで
  立てるは花の吉野山 見て来んものを春ならば
四七
  あわれ暫は南朝の 仮の皇居となりたりし
  吉水院の月のかげ 曇るか今も夜な夜なは
四八
  夕べ悲しき梟の 声より猶も身にしむは
  如意輪堂の宝蔵に のこる鏃の文字の跡
四九
  親のめぐみの粉河より 又乗る汽車は紀和の線
  船戸 田井の瀬うちすぎて 和歌山みえし嬉しさよ
五十
  紀の川口の和歌山は 南海一の都会にて
  宮は日前国懸 旅の心の名草山
五一
  紀三井寺より見わたせば 和歌の浦波しずかにて
  漕ぎ行く海士の釣船は 浮かぶ木の葉か笹の葉か
五二
  芦辺の芦の夕風に 散り来る露の玉津島
  苫が島には灯台の 光ぞ夜は美しき
五三
  蜜柑のいずる有田村 鐘の名ひびく道成寺
  紀州名所は多けれど 道の遠きを如何にせん
五四
  見返る跡に立ち残る 城の天守の白壁は
  茂れる松の木の間より いつまで吾を送るらん
五五
  北口いでて走りゆく 南海線の道すがら
  窓に親しむ朝風の 深日はここよ夢のまに
五六
  尾崎に立てる本願寺 樽井にちかき躑躅山
  やまず来て見ん春ふけて 花うつくしく咲く頃は
五七
  佐野の松原貰之が 歌に知られし蟻通
  蟻の思いにあらねども とどく願は汽車の恩
五八
  貝塚いでしかいありて はや岸和田の城の跡
  ここは大津かいざさらば おりて信太の楠も見ん
五九
  かけじや袖と詠みおきし その名高師が浜の波
  よする浜寺あとに見て ゆけば湊は早前に
六十
  堺の浜の風景に 旅の心も奪われて
  汽車のいずるも忘れたり 霞むはそれか淡路島
六一
  段通 刃物の名産に 心のこして又も来ん
  沖の鯛つる花の春 磯に舟こぐ月の秋
六二
  蘇鉄に名ある古寺の 話ききつつ大和川
  渡ればあれに住吉の 松も灯籠も近ずきぬ
六三
  遠里小野の夕あらし ふくや安倍野の松かげに
  顕家父子の社あり 忠死のあとは何方ぞ
六四
  治まる御代の天下茶屋 さわがぬ波の難波駅
  勇みて出ずる旅人の 心はあとに残れども

計一九六番+東海道六六番=二六二番