風は草木にささやいた
山村暮鳥

此の書を祖國のひとびとにおくる
なんぢはなんぢの面に汗して生くべし

  人間の勝利

人間はみな苦んでゐる
何がそんなに君達をくるしめるのか
しつかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめ
それがわれわれを立派にする
みろ山頂の松の古木こぼく
その梢が烈風を切つてゐるところを
その音の痛痛しさ
その音が人間を力づける
人間の肉に喰ひいるその音のいみじさ
何が君達をくるしめるのか
自分も斯うしてくるしんでゐるのだ
くるしみを喜べ
人間の強さに立て
耻辱はぢを知れ
そして倒れる時がきたらば
ほほゑんでたふれろ
人間の強さをみせて倒れろ
一切をありのままにじつと凝視みつめて
大木たいぼくのやうに倒れろ
これでもか
これでもかと
重いくるしみ
重いのが何であるか
息絶えるとも否と言へ
頑固であれ
それでこそ人間だ


  自序

 自分は人間である。故に此等の詩はいふまでもなく人間の詩である。
 自分は人間の力を信ずる。力! 此の信念の表現されたものが此等の詩である。
 自分は此等の詩の作者である。作者として此等の詩のことをおもへば其處には憂鬱にして意地惡き暴風雨ののちに起るあの高いさつぱりした黎明の蒼天をあふぐにひとしい感覺が烈しくも鋭く研がれる。實まことにそれこそ生みのくるしみであつた。
 生みのくるしみ! 此のくるしみから自分は新たに日に日にうまれる。伸び出る。此のくるしみは其上、強い大膽なプロメトイスの力を自分に指ざした。遠い世界のはてまで手をさしのべて創世以來、人間といふ人間の辛棒づよくも探し求めてゐたものは何であつたか。自分はそれを知つた。おお此のよろこび! 自分はそれをひつ掴んだ。どんなことがあつても、もうはなしてやるものか。

 苦痛は美である! そして力は! 力の子どもばかりが藝術で、詩である。

 或る日、自分は癲癇的發作のために打倒された。それは一昨々年の初冬落葉の頃であつた。而もその翌朝の自分はおそろしい一種の靜穩を肉心にみながら既に、はや以前の自分ではなかつた。
 それほど自分の苦悶は精神上の殘酷な事件であつた。
 此等の詩は爾後つい最近、突然咯血して病床に横はつたまでの足掛け三ヶ年間に渉る自分のまづしい收穫で且つ蘇生した人間の靈魂のさけびである。
 一莖の草といへども大地に根ざしてゐる。そしてものの凡ゆる愛と匂とに眞實をこめた自分の詩は汎く豐富にしてかぎりなき深さにある自然をその背景乃至内容とする。そこからでてきたのだ、譬へばおやへびの臍を噛みやぶつて自みづから生れてきたのだと自分の友のいふその蝮の子のやうに。
 自分は言明しておく。信仰の上よりいへば自分は一個の基督者キリステアンである。而も世の所謂それらの人人はそれが佛陀の歸依者に對してよりどんなに異つてゐるか。それはそれとして此等の詩の中には神神とか人間の神とかいふ字句がある。神神と言ふ場合にはそれは神學上の神神ではなく、單に古代ギリシヤあたりの神話を漠然とおもつて貰はう。また人間の神とあればそれは無形の神が禮拜の對象として人格化パアソニフワイされるやうに、これは正にその反對である。其他これに準ず。

 最後に詩論家及び讀者よ。
 此の人間はねらつてゐる。光明思慕の一念がねらつてゐるのだ。ひつつかんだとおもつたときは概念を手にする。これからだ。これからだ。何時もこれからだとは言へ、理智のつぎはぎ、感情のこねくり、そんなものには目もくれないのだ。捕鯨者は鰯やひらめにどう値するか。
 ……何といふ「生」の嚴肅な發生であらう。此の發生に赫耀かがやきあれ!


 Ⅰ

  穀物の種子

と或る町の
街角で
戸板の上に穀物の種子たねをならべて賣つてゐる老嫗ばあさんをみてきた
その晩、自分はゆめをみた
細い雨がしつとりふりだし
種子は一齊に青青と
芽をふき
ばあさんは蹙め面づらをして
その路端に死んでゐた

  彼等は善い友達である

結氷したやうな冬の空
その下で渦捲く烈風
山山は雪でまつ白である
晝でもほの暗い
ひろびろとした北國の寒田に
馬と人と小さく動いてゐる
はるかに遠く此處では
馬と人と
なんといふ睦じさだ
そして相互たがひに助けあつて生きてゐる
寒田は犂きかへされる
犂きかへされた刈株の田の面はあたらしく黒黒と
その上に鴉が四羽五羽
どこからきたのか
此のむごたらしい景色の中にまひおりて
鴉等は鳴きもせず
けふばかりは善い友達となつて働いてゐる
なにを求めて馬や人といつしよになつてゐるのか
それが此處からはつきり見える
田の畦の枯れたやうな木木までが苦痛を共にしてゐるやうだ

  父上のおん手の詩

そうだ
父の手は手といふよりも寧ろ大きな馬鋤からすき
合掌することもなければ
無論他人ひとのものを盜掠かすめることも知らない手
生れたままの百姓の手
まるで地べたの中からでも掘りだした木の根つこのやうな手だ
人間のこれがまことの手であるか
ひとは自分の父を馬鹿だといふ
ひとは自分の父を聖人だといふ
なんでもいい
唯その父の手をおもふと自分の胸は一ぱいになる
その手をみると自分はなみだで洗ひたくなる
然しその手は自分を力強くする
この手が母を抱擁だきしめたのだ
そこから自分はでてきたのだ
此處からは遠い遠い山の麓のふるさとに
いまもその手は骨と皮ばかりになつて
猶もこの寒天の痩せた畑地を耕作たがやしてゐる
ああ自分は何にも言はない
自分はその土だらけの手をとつて押し戴き
此處ではるかにその手に熱い接吻くちつけをしてゐる

  或る朝の詩

冬も十二月となれば
都會の街角は鋭くなる……

  曲つた木

うすぐらい險惡な雲がみえると
すぐ野の木木はみがまへする
曲りくねつた此の木木
ねぢれくるはせたのは風のしわざだ
そしてふたたびすんなりとは
どうしてもなれない
そのかなしさが
いまはこの木の性となつたのか
風のはげしい此處の曲りくねつた頑固な木木
骨のやうにつつぱつた梢にも雨が降り
それでも芽をつけ
小鳥をさへづらせる
まがりなりにも立派であれ
ああ野にあつて裸の立木
ああ而もなほ天そらをさす木木

  ランプ

野中にさみしい一けん家
あたりはもう薄暗く
つめたく
はるかに遠く
ぽつちりとランプをつけた
ぽつちりと點じたランプ
ああ
何といふ眞實なことだ
これだ
これだ
これは人間をまじめにする
わたしは一本の枯木のやうだ
一本の枯木のやうにこの烈風の中につつ立つて
ランプにむかへば自おのづから合さる手と手
其處にも人間がすんでゐるのだ
ああ何もかもくるしみからくる
ともすれば此の風で
ランプはきえさうになる
そうすると
私もランプと消えさうになる
かうして力を一つにしながら
ランプも私もおたがひに獨りぼつちだ

  夜の詩

あかんぼを寢かしつける
子守唄
やはらかく細くかなしく
それを歌つてゐる自分も
ほんとに何時いつかあかんぼとなり
ランプも火鉢も
急須も茶碗も
ぼんぼん時計も睡くなる

  遙にこの大都會を感ずる

この麥畑の畦のほそみち
この細道に立つ自分をはるかに大都會も感ずるか
けふもけふとて
砂つぽこりの中で搖れてゐる草の葉つぱ
ああ大旋風も斯る草の葉つぱからはじまつてやつぱり此の道をはしるのだ
ああ此の道
道はすべて大都會に通ずる
道は蔓のやうなものでそして脈搏つてゐる
まつぴるまの太陽も暗く
あたまから朦朦と塵埃をあびせかけられてゐる幻想
その塵埃の底にあつて呼吸いきづく世界きつての大都會よ
ああ大沙漠の壯麗にあれ
ああ壯麗な大旋風
その街街の大建築の屋根から屋根をわたつて行く
大群集の吠えるやうな聲聲
此の大都會をしみじみと
此の大沙漠中につつ立つ林のやうな大煙筒を
此のしづけさにあつて感ずる

  何處へ行くのか

またしても
ごうと鳴る風
窓の障子にふきつけるは雪か
さらさらとそれがこぼれる
まつくらな夜である
ひとしきりひつそりと
風ではない
風ではない
それは餓ゑた人間の聲聲だ
どこから來て何處へ行く群集の聲であらう
誰もしるまい
わたしもしらない
わたしはそれをしらないけれど
わたしもそれに交つてゐた

  梢には小鳥の巣がある

なにを言ふのだ
どんな風にも落ちないで
梢には小鳥の巣がある
それでいい
いいではないか

  春

どこかで紙鳶たこのうなりがする
子どもらの耳は敏く
青空はひさしぶりでおもひだされた
いままで凍てついてゐたやうな頑固な手もほんのりと赤味をさし
どことなく何とはなしににぎやかだ
どこかで紙鳶のうなりがする
それときいてひとびとは
ああ春がきたなと思ふ
そして何か見つけるやうな目付で
水水しい青空をみあげる
てんでに紙鳶を田圃にもちだす子ども等
やがてあちらでもこちらでもあがるその紙鳶
それと一しよに段段と
子どもらの足も地べたを離れるんだ


 Ⅱ

  萬物節

雨あがり
しつとりしめり
むくむくと肥え太り
もりあがり
百姓の手からこぼれる種子たねをまつ大地
十分によく寢てめざめたやうな大地
からりと晴れた蒼空
雲雀でも啼きさうな日だ
いい季節になつた
穀倉のすみつこでは
穀物のふくろの種子もさへづるだらう
とびだせ
とびだせ
蟲けらも人間も
みんな此の光の中へ!
みんな太陽の下にあつまれ

  種子はさへづる

種子たねはさへづる
穀倉の種子のふくろで

はるがきたとてか
青空の雲雀も

それをききつけた百姓は
あわてて穀倉に驅けこみ
穀物の種子のふくろを抱きだした

  或る雨後のあしたの詩

よひとよ細い雨がふり
しののめにからりとはれて
しつとりと
なにもかも重みがついた
ああ此の重み
そのおちつきが世界をうつくしくするのであるか
それだのに人間ばかり
何といふみすぼらしさだ
穀物の種子のふくろをだきだすその腕うでにつたはる
あの重みだ
あの重みにみちみてよ
ああ人間
大地と太陽とのいとし子

  十字街の詩
"THIS IS THE MANY-TENTACLED TOWN"――VERHAEREN――
ここは都會の大十字街
すべての道路はここにあつまり
すべての道路はここからはじまる
堂堂とその一角にそびえた
大銀行をみろ
その窓したをぞろぞろと
ひとはゆき
ひとはかへる
なんにもしらないゐなかびとすら
此の大銀行の正面にてはあたまを垂れ
手をうやうやしくあはせる
ああ都會の心臟である十字街
都會はまるで惡食あくじきをする大魚の胃ぶくろのやうに
ここはひとびとをひきつけて
そのひとびとを喰ひ殺すところだ
そこから四方へ草の蔓のやうにのびてゆく街街
つらなり列ぶ家家
何といふ立派なものだ
ああ此のけむり吐く大煙筒の林
此のすばらしさに帽子をとれ
へとへとにつかれながら而も壯麗に生きてゐる大都市
此の中央大十字街
その感覺はくもの巣のやうな大路小路にひろがり
ひろいひろい郊外に露出して顫へ
其處で何でもかでも鋭敏に感じてゐる神經
どんなものでもひつ掴まうとしてゐる神經
その尖端のおそろしさよ

  ポプラの詩

すんなりと正しくのび
うすいみどりの葉をつけた
高臺のポプラの木
その附近あたりから
みえる遠方はなつかしい
一本すんなり立つてゐても
五本六本列んでゐても
此の木ばかりはすつきりしてゐる
そよ風にこれがひらひらするのをみてゐると
わたしはたまらなくなる
ああ此の木のやうな心持
怖しい敏感なポプラ
冬のをはりにもう芽ぶき
秋には入るとすぐ落葉おちばする
ああポプラ
これこそ光線の愛する木だ
子どもらは此の木のしたで遊ばせろ

  風の方向がかはつた

どこからともなく
とんできた一はのつばめ
燕は街の十字路を
直角にひらりと曲つた
するといままでふいてゐた
北風はぴつたりやんで
そしてこんどはそよそよと
どこかでゆれてゐる海草うみくさの匂ひがかすかに一めんに
街街家家をひたした
ああ風の方向がすつかりかはつた
併しそれは風の方向ばかりではない
妻よ
ながい冬ぢうあれてゐた
おまへのその手がやはらかく
しつとりと
薄色をさしてくるさへ
わたしにはどんなによろこばしいことか
それをおもつてすら
わたしはどんなに子どもになるか

  翼

よろこびは翼のやうなものだ
よろこびは人間をたかく空中へたづさへる
海のやうな都會の天そら
そこで悠悠と大きなカーヴを描いてゐる一羽の鳶
なんといふやすらかさだ
それをみあげてゐるひとびと
彼等の肩には光る翼がひらひらしてゐる
うたがつてはならない
彼等はなんにも知らないのだが
見えない翼はその踵にもひらひらしてゐる

  針

子どもの寢てゐるかたはらで
その母はせつせと着物を縫つてゐる
一つの手が拍子をとつてゐるので
他の手はまるで尺取蟲のやうにもくもくと
指さきの針をすすめてゆく
目は目でまばたきもしないで凝じつとそれを見てゐる
音すら一つかたともせず
夜はふけてゆく
なんといふしづかなことだ
子どもの寢息もすやすやと
針は自然にすすんで行く
むしろ針は一すぢの絲を引いて走つてゐるやうだ

  としよつた農夫は斯う言つた

あの頃からみればなにもかもがらりとかはつた
だがいつみてもいいのは
此のひろびろとした大空だけだぞい
わすれもしねえ
この大空にまん圓い月がでると
穀倉のうしろの暗い物蔭で
俺等おいらはたのしい逢引をしたもんだ
そこで汝われあみごもつたんだ
何をかくすべえ
穀倉がどんな事でも知つてらあ
さうして草も燒けるやうな炎天の麥畑で
われあ生み落とされたんだ
それもこれもみんな天道樣がご承知の上のこつた
おいらはいつもかうして貧乏だが
われは秣草まぐさをうんと喰らつた犢牛こうしのやうに肥え太つてけつかる
犢牛のやうに強くなるこつた
うちの媼ばばあもまだほんの尼つちよだつた
その抱き馴れねえ膝の上で
われあよく寢くさつた
それをみるのが俺等おいらはどんなにうれしかつたか
そして目がさめせえすれば
山犬のやうに吼えたてたもんだ
其處にはわれが目のさめるのを色色いろんな玩具おもちやがまつてただ
なんだとわれあおもふ
そこのその大きな鍬だ
それから納屋にあるあの犁と
壁に懸つてゐるあの大鎌だ
さあこれからは汝われの番だ
おいらが先祖代代のこの荒れた畑地を
われあそのいろんなおもちやで
立派に耕作つくつてくらさねばなんねえ
われあ大でけえ男になつた
そこらの尼つ子がふりけえつてみるほどいい若衆わけえしゆになつた
おいらはそれを思ふとうれしくてなんねえ
しつかりやつてくれよ
もうおいらの役はすつかりすんだやうなもんだが
おいらはおいらの蒔きつけた種子たねがどんなに芽ぶくか
それが唯たつた一つの氣がかりだ
それをみてからだ
それをみねえうちは誰がなんと言はうと
決して此の目をつぶるもんでねえだ

  よい日の詩

どこをみても木木の芽は赤らみ
すつかり赤らみ
枯葉の下から草も青青と
そしてしつとり濡れた木の下枝では
どこからともなく集つてきた鶸やのじこが囀つてゐる
何といふ善い日であらう
友達の花嫁のまめまめしい働きぶりをみてきた私の目のかわゆらしさよ
何がそんなにうれしいのか
お太陽樣てんたうさまもみていらつしやる通り
此の山みちで
私はすこし醉つてをります

  朝朝のスープ

其頃の自分はよほど衰弱してゐた
なにをするのも物倦く
なにをしてもたのしくなく
家の内の日日に重苦しい空氣は子どもの顏色をまで憂鬱にしてきた
何時もの貧しい食卓に
或る朝、珍しいスープがでた
それをはこぶ妻の手もとは震へてゐたが
その朝を自分はわすれない
その日は朝から空もからりと晴れ
匙まで銀色にあたらしく
その匙ですくはれる小さい脂肪の粒粒は生きてきらきら光つてゐた
それを啜るのである
それを啜らうと瀬戸皿に手をかけて
窶れてゐる妻をみあげた
其處に妻は自分を見まもつてゐた
目と目とが何か語つた
そして傍にさみしさうに座つてゐる子どもの上に
言ひあはせたやうな視線を落した
其の時である
自分は曾て自分の經驗したことのない
大きな強いなにかの此身に沁みわたるのを感じた
終日、地上の萬物を温めてゐた太陽が山のかなたにはいつて
空が夕燒で赤くなると
妻はまた祈願でもこめに行くやうなうしろすがたをして街にでかけた
食卓にはさうして朝毎にスープが上のぼつた
自分は日に日に伸びるともなく伸びるやうな草木の健康を
妻と子どもと朝朝のスープの愛によつて取り返した
長い冬の日もすぎさつて
家の内はふたたび青青とした野のやうに明るく
子どもは雲雀ひばりのやうに囀りはじめた

  或る時

よろこびはまづ葱や菜つぱの搖れるところからはじまつて
これから……


 Ⅲ

  其處に何がある

足もとの地面を見つめてかんがへてばかりゐる人間の腰ははやく彎曲まが
いたづらに嘆き悲しんではならない
兄弟よ
あたまの上には何があるか
樹木のやうに眞直まつすぐ立て
そして垂れた頭をふりあげて高く見上げろ
其處に何がある
この大きな青空はどうだ
人間はこの青空をわすれてゐるのだ
兄弟よ
この大きな青空はどうだ

  憂鬱な大起重機の詩

ぐつと空中に突きだした
うでだと思へ
いま大起重機は動いた
重い大きなまつ黒いものをひつ掴んで
それを輕輕と地面から空中へひき上げた
微風すらない
此の靜謐をなんと言はうか
怖しいやうな日和だ
蟻のやうに小さく
大きな重いものの取去られたところに群がつて
うようよ蠢動うごめいてゐる人人
大起重機のたしかな力をみろ
その大浪のやうな運動を
その大きな沈默を
ああ大起重機の憂鬱!
ああ大起重機の怪物!
此の不可思議な怪力に信頼しろ
それの動いて行く方向をみつめて大空を仰いでゐる人人
それを据附けたのは何ものだ
それをこしらへたのはどの手だ
それを考へれば
ああこれは人間以上の人間業わざだとすぐ解ることだ!
人間は自然を征服した!
今こそ人間は一切の上に立つべきだ
太陽も眩暈めくるめくか
ああ人間は自然を征服したか
ああ
けれど人間は悲しい
此の大起重機にその怪力を認めた瞬間から
まつたく憐れな奴隷となつた
そして蟻のやうに小さくなつた
それがどうした
それがどうした
かんかん日の照る地球の一てんに跪坐ひざまづいて此の大怪物を禮拜しろ
ああ此の憂鬱な大起重機の壯麗!
ああ此の憂鬱な大起重機の無言!

  耳をもつ者に聞かせる詩

これが神の意志だ
この力の觸れるところ
すべては碎け
すべて微塵となる
高高とどんな物でもさしあげ、ふりあげる此の腕
そこに此の世界を破壞する憂鬱な力がこもつてゐるのだ
娘つ子はこんな腕でだき緊められろ
人形のやうな目のぱつちりしたあかんぼに
むくむくと膨くれた乳房が吸はせてみたくはないか
それも神の意志だ
これも神の意志だ
言へ
自分達こそ男と女の神樣なんだと

  人間に與へる詩

そこに太い根がある
これをわすれてゐるからいけないのだ
うでのやうな枝をひき裂き
葉つぱをふきちらし
頑丈な樹幹みきをへし曲げるやうな大風の時ですら
まつ暗な地べたの下で
ぐつと踏張ふんばつてゐる根があると思へば何でもないのだ
それでいいのだ
そこに此の壯麗がある
樹木をみろ
大木たいぼくをみろ
このどつしりとしたところはどうだ

 わすれられてゐるものについて

君達はひつ提げてゐる
各自(てんで)槓杆(てこ)よりも立派な腕を
石つころをも碎く拳を
これはまたどうしたものだ
それで人間をとり返へさうとはしないのか
全くそれを忘れてゐる
そして馬鹿だと罵られてゐる
鐵のやうな腕と拳と
金錢かねで賣買のできない武器とは此のことだ
それは他人には何の役にも立たない各自のもので
君達に最初さういふ唯一の尊い武器をくだすつたのは神樣だが
それをまるで薪木たきぎにもならないものだと嘲つて棄てさせようとした惡漢わるものは誰だ
だが考へてみれば
馬鹿だと言はれる君達よりも
君達を馬鹿だといふ奴等の方がよつぽど馬鹿なんだ
いまに君達がひつ提げながらも忘れてゐるその腕と拳とをおもひだす時
其時、一人が千人萬人になるんだ
其時、彼奴等きやつらは地べたにへたばるんだ
まあいいさ
何もかも神樣がごぞんじでいらつしやることだ
さうして其時、世界が息を吹返すんだ

  寢てゐる人間について

みろ
何といふ立派な骨格だ
そしてこの肉づきは
かうしてすつぱだかで
ごろりとねてゐるところはまるで山だ
すやすやと呼吸するので
からだは山のうねりを打つ
ようくお寢やす
ようくおやすみ
ゆふべの泥醉ゑひがすつかりさめて
ぱつちりと鯨のやうな目があいたら
かんかん日の照るこの大地を
しつかり
しつかり
ふみしめて
またはたらくのだ
ようくおやすみ
おお寢てゐる人間のもつてゐる此の偉大
おおびくともしない此の偉大
それをみてゐると
おのづからあたまが垂れる

  子どもは泣く

子どもはさかんに泣く
よくなくものだ
これが自然の言葉であるのか
何でもかでも泣くのである
泣け泣け
たんとなけ
もつとなけ
なけなくなるまで泣け
そして泣くだけないてしまふと
からりと晴れた蒼天のやうに
もうにこにこしてゐる子ども
何といふ可愛らしさだ
それがいい
かうしてだんだん大きくなれ
かうしてだんだん大きくなつて
そしてこんどはあべこべに
泣く親達をなだめるのだ
ああ私には眞實に子どものやうに泣けなくなつた
ああ子どもはいい
泣けば泣くほどかはゆくなる


 Ⅳ

  人間の午後

まだそこで
わめきうめいてゐるのか
ヴアヰオリン
何といふ重苦しい日だ
黒黒と吐かれる煤烟
大きなけむだしの彼方に太陽はおちて行く
此の憂鬱のどん底で
うごめいてゐる生きものに幸あれ
祈祷の一ばんはじめの言葉
主よ、人間のくるしみはひまはりよりもうつくしい

  雨の詩

ひろい街なかをとつとつと
なにものかに追ひかけられてでもゐるやうに驅けてゆくひとりの男
それをみてひとびとはみんなわらつた
そんなことには目もくれないで
その男はもう遠くの街角を曲つてみえなくなつた
すると間もなく
大粒の雨がぽつぽつ落ちてきた
いましがたわらつてゐたひとびとは空をみあげて
あわてふためき
或るものは店をかたづけ
或るものは馬を叱り
或るものは尻をまくつて逃げだした
みるみる雨は横ざまに
煙筒も屋根も道路もびつしよりとぬれてしまつた
そしてひとしきり
街がひつそりしづかになると
雨はからりとあがつて
さつぱりした青空にはめづらしい燕が飛んでゐた

  荷車の詩

日向に一臺の荷車がある
だれもゐない
ひつそりとしてゐる
木には木の實がまつ青である
荷車はぐつたりとつかれてゐるのだ
そしてどんよりした低氣壓を感じてゐるのだ
路上には濃い紫の木木の影
その重苦しい影をなげだした荷車

  歡樂の詩

ひまはりはぐるぐるめぐる
火のやうにぐるぐるめぐる
自分の目も一しよになつてぐるぐるめぐる
自分の目がぐるぐるめぐれば
いよいよはげしく
ひまはりはぐるぐるめぐる
ひまはりがぐるぐるめぐれば
自分の目はまつたく暈み
此の全世界がぐるぐるとめぐりはじめる
ああ!

  海の詩

どんよりとした海の感情
砂山にひきあげられた船船
波間でひどく搖られてゐるのもある
はるか遠方の沖から
こちらをさしてむくむくともりあがり
押しよせてくる海の感情
何處どこからくるか
この憂鬱な波のうねりは
そこのしれないふかさをもつて
此の大きな力はよ
ああ海は生きてゐる!
夜晝よるひる絶えず
渚にくだける此の波波のすばらしさ
そこにすむ漁夫等を思へ

  ザボンの詩

おそろしい嵐の日だ
けれど卓上はしづかである
ザボンが二つ
あひよりそうてゐるそのむつまじさ
何もかたらず
何もかたらないが
それでよいのだ
嵐がひどくなればなるほど
いよいよしづかになるザボン
たがひに光澤つやを放つザボン

 此處で人間は大きくなるのだ

とつとつと脈うつ大地
その上で農夫はなにかかんがへる
此の脈搏をその鍬尖に感じてゐるか
雨あがり
しつとりとしめつた大地の感觸
あまりに大きな此の幸福
どつしりとからだも太れ
見ろ
なんといふ豐富さだ
此の青青とした穀物畑
このふつくりとした畝畝
このひろびろとしたところで人間は大きくなるのだ
おお脈うち脈うつ大地の健康
大槌で打つやうな美である

  郊外にて

赭土の痩せた山ぎはの畑地で
みすぼらしい麥ぼが風に搖られてゐた
わたしはすこし飢ゑてゐる
わたしは何かをもとめてゐる
麥ぼの上をとほつてどこへ行くのか
そよ風よ
みどり濃く色づいた風よ
都會の空をみろ
烟筒の林のしたの街街を
つばめはそのなかをとんでゐる
人人もそこに棲むのをよろこんでゐる
ここにゐてきこえる
あの空に反響する都會の騷擾
そこはまるで海のやうだ
風はそよそよと
麥穗に何をささやくのか
麥ぼは首をふつてゐる
それがさみしい

  波だてる麥畑の詩

わたしらを圍繞とりまくひろびろとした此の麥畑から
この黄金色した畝畝の間から
私はかうして土だらけの手を君達のかたへとさし伸べる
君達は都會の大煙筒のしたで
終日じつと何をかんがへてゐるのだ
それが此の目にみえるやうだ
ああ大東京の銀座街
そこでもそよ風は華奢にひらひら翻つてゐることか
そのそよ風のもつてゆく生生しい穀物のにほひで
街の店店はみたされたか
すこやかであれ
すこやかであれ
都會は君達のうへにのしかかり
そして君達はくるしんでゐる
それは君達ばかりではない
それだからとてどうなるものか
しつかりしろ
ああ此の波だてる麥畑
わたしらをおもへ
わたしらはこの麥ばたけで
君達のうしろに立つてゐるのだ
君達の前額ひたひをふいてゐるそよ風は私等がここからおくつてゐるのだ
ああ此の豐饒ゆたかな麥畑に
ああ此處にあるひばりの巣
その巣に小さな卵があると
私はこの事を君達に――全世界につげなければならない

  刈りとられる麥畑の詩

ああ何といふ美しさだ
此のうつくしさは生きてゐる!
みろ
麥畑はすつかりいろづき
ところどころの馬鈴薯じやがいも
蠶豆そらまめと葱と菜つぱと
大きな大きなみはてのつかない此のうつくしさ
一めん黄金きんいろに麥は熟れ
刈りとられるのをまつてゐるやうな此のしづかさ
あちらこちらではじまつた麥刈り
あちらこちらから冴えざえときこえる鎌の刃の音
水の迸はしるやうな此の音のするどさ
わたしの心は遠いところで歔欷すすりなきをやめない
彼女は何をしてゐることか
わたしは彼女のことを思つてゐる
その上に此のひろびろとした畑地の美しさを堆積つみかさねるのだ
片つ端から刈りとられる麥麥
冴えざえと鋭くきこえる鎌の刃の音
麥もわたしとその音をきいてゐるのか
ゆたかに實のり
ぐつたりと重い穗首を垂れた麥麥

  都會にての詩

都會はまるで海のやうだ
大波のよせてはかへす
此の海のやうな煤煙のそこで渦く
千萬の人間の聲聲
よせてはかへす聲の大波
大きな一つの聲となり
うねりくねり
のたうちながらも人間であれ
ああ海のやうな都會よ
その街街家家の軒かげにて
飢ゑながら雀でさへ生き
そこで卵をあたため孵へしてゐるのだ
強くあれ
強くあれ
人間であることを信じろ
それを確く

  大鉞

てうてうときをうてば
まさかりはきのみきをかむ
ふりあげるおほまさかりのおもみ
うでにつたはるこのおもみ
きはふるへる
やまふかくねをはるぶなのたいぼくをめがけて
うちおろすおほまさかり
にんげんのちからのこもつたまさかり
ああこのきれあぢ
このきのにほひのなまなましさ
ひつそりとみみをすましたやうなやまおく
やまやまにはんきやうして
てうてうときのみきにくひいるまさかり
おほまさかりはたましひをもつ

  一本のゴールデン・バツト

一本の煙草はわたしをなぐさめる
一本のゴールデン・バツトはわたしを都會の街路につれだす
煙草は指のさきから
ほそぼそとひとすぢ青空色のけむりを立てる
それがわたしを幸福にする
そしてわたしをあたらしく
光澤つややかな日光にあててくれる
けふもけふとて火をつけた一本のゴールデン・バツトは
騷がしいいろいろのことから遠のいて
そのいろいろのことのなかにゐながら
それをはるかにながめさせる
ああ此の足の輕さよ

  記憶について

ぽんぽんとつめでひき
さてゆみをとつたが
いつしか調子はくるつてゐる
ほこりだらけのヴアヰオリン
それでもちよいと
草の葉つぱのどこかのかげで啼いてゐる
あの蟋蟀きりぎりすの聲をまねてみた

  收穫の時

黄金色に熟れた麥麥
黄金色のビールにでも醉ふやうに
そのゆたかな匂ひに醉へ
若い農夫よ
此處はひろびろとした畠の中だ
娘つ子にでもするやうに
かまふものか
穀物の束をしつかり抱きしめてかつぎだせ
山のかなたに夕立雲はかくれてゐる
このまに
このまに
いま
そして君達の收穫のよろこびを知れ
刈り干された穀物を愛せよ

  くだもの

まつ赤なくだもの
木の上のくだもの
それをみたばかりで
人間は寂しい盜賊どろばうとなるのだ
此の手がおそろしい


 Ⅴ

  キリストに與へる詩

キリストよ
こんなことはあへてめづらしくもないのだが
けふも年若な婦人がわたしのところに來た
そしてどうしたら
聖書の中にかいてあるあの罪深い女のやうに
泥まみれなおん足をなみだで洗つて
黒い房房したこの髮の毛で
それを拭いてあげるやうなことができるかとたづねるのだ
わたしはちよつとこまつたが
斯う言つた
一人がくるしめばそれでいいのだ
それでみんな救はれるんだと
婦人はわたしの此の言葉によろこばされていそいそと歸つた
婦人は大きなお腹なかをしてゐた
それで獨り身だといつてゐた
キリストよ
それでよかつたか
何だかおそろしいやうな氣がしてならない

  或る淫賣婦におくる詩

女よ
おんみは此の世のはてに立つてゐる
おんみの道はつきてゐる
おんみはそれをしつてゐる
いまこそおんみはその美しかつた肉體を大地にかへす時だ
靜かにその目をとぢて一切を忘れねばならぬ
おんみはいま何を考へてゐるか
おんみの無智の尊とさよ
おんみのくるしみ
それが世界の苦みであると知れ
ああそのくるしみによつて人間は赦される
おんみは人間を救つた
おんみもそれですくはれた
どんなことでもおんみをおもへばなんでもなくなる
おんみが夜夜よるよるうす暗い街角に餓ゑつかれて小猫のやうにたたずんでゐた時
それをみて石を投げつけたものは誰か
あの野獸のやうな人達をなぐさむるために
年頃のその芳醇な肉體を
ああ何の憎しみもなく人人のするがままにまかせた
齒を喰ひしばつた刹那の淫樂
此の忍耐は立派である
何といふきよらかな靈魂たましひをおんみはもつのか
おんみは彼等の罪によつて汚れない
彼等を憐め
その罪によつておんみを苦め
その罪によつておんみを滅ぼす
彼等はそれとも知らないのだ
彼等はおのが手を洗ふことすら知らないのだ
泥濘どろの中にて彼等のためにやさしくひらいた花のおんみ
どんなことでもつぶさに見たおんみ
うつくしいことみにくいこと
おんみはすべてをしりつくした
おんみの仕事はもう何一つ殘つてゐない
晴晴とした心をおもち
自由であれ
寛大であれ
ひとしれずながしながしたなみだによつて
みよ神神かうがうしいまで澄んだその瞳
聖母摩利亞のやうな崇高けだか
おんみは光りかがやいてゐるやうだ
おんみの前では自分の頭はおのづから垂れる
ああ地獄のゆりよ
おんみの行爲は此の世をきよめた
おんみは人間の重荷をひとりで脊負ひ
人人のかはりをつとめた
それだのに捨てられたのだ
ああ正しい
いたましい地獄の白百合
猫よ
おんみはこれから何處へ行かうとするのか
おんみの道はつきてゐる
おんみの肉體からだは腐りはじめた
大地よ
自分はなんにも言はない
此の接吻くちつけを眞實のためにうけてくれ
ああ何でもしつてゐる大地
そして女よ
曾て彼等の讃美のまつただ中に立ちながら
ひとときのやすらかさもなかつた
おんみを蛆蟲はいま待つてゐるのだ
あらゆるものに永遠の生をあたへ
あらゆるものをきよむる大地
此の大地を信ぜよ
人間の罪の犧牲としておんみは死んでくださるか
自分はおんみを拜んでゐる
彼等はなんにもしらないのだ
わかりましたか
そして吾等の骨肉よ
いま一どこちらを向いて
おんみのあとにのこる世界をよくみておくれ

  溺死者の妻におくる詩

おんみのかなしみは大きい
女よ
おんみは靈魂たましひを奪ひ去られた人間
おんみの生ライフは新しく今日からはじまる
その行末は海のやうだ
そしてさみしい影を引くおんみ
けふもけふとて人人はそれを見たと言ふ
何んにも知らずにすやすやとねむつたあかんぼ
そのあかんぼを脊負つて泣きながら
渚をあちらこちらと彷徨さまよつてゐるおんみの殘すその足あと
その足あとを洗ひけす波波
女よ
おんみは此の怖ろしい海をにくむか
にくんではならない
おんみは此のひろびろとした海を恨むか
うらんではならない
海でないならと呟くな
ああそれが海である悲しさに於て
靜におもへ
海はただ轟轟と吼えてゐるばかりだ
波は岸を噛みただ荒狂つてゐるばかりだ
海に惡意がどこにある
それは自然だ
けれど溺れる人間の小ささよ
人間の無力を知れ
溺れたものがどうなるか
いたづらになげきかなしむことをやめ
それよりは脊負ふその子を立派に育てることだ
強く強く
海より強く
波より強く
その手の上に眠る海
その手の下に息を殺した暴風あらしと波と
此の壯大な幻想を
あかんぼの未來に描け
それをたのしみに生きろ
その子のちからが此の大海を統御する時
おんみはもはや惡まず恨まず
此の海をながめ
此の海の無私をみとめて
はじめて人間を知るであらう
人間を
そして此の海をかき抱いて愛するであらう
而もおんみはそれまでに
いくたび海に悲しくも語らねばならぬか
せめてその屍體なきがらなりと返してよと
ああ若くして頼るべなき寡婦やもめ

  大きな腕の詩

どこにか大きな腕がある
自分はそれを感ずる
自分はそれが何處にあるか知らない
それに就ては何も知らない
而もこれは何といふ力強さか
その腕をおもへ
その腕をおもへば
どんな時でも何處からともなく此のみうちに湧いてくる大きな力
ぐたぐたになつてゐた體躯からだもどつしりと
だがその腕をみようとはするな
見ようとすれば忽ちに力は消えてなくなるのだ
盲者めくらのやうに信じてあれ
ああ生きのくるしみ
その激しさにひとしほ強くその腕を自分は感ずる
さちうすしとて呟くな
どこかに大きな腕があるのだ
人間よ
此のみえない腕をまくらにやすらかに
抱かれて眠れ

  先驅者の詩

此の道をゆけ
此のおそろしい嵐の道を
はしれ
大きな力をふかぶかと
彼方かなたに感じ
彼方をめがけ
わき目もふらず
ふりかへらず
邪魔するものは家でも木でもけちらして
あらしのやうに
そのあとのことなど問ふな
勇敢であれ
それでいい


 Ⅵ

  秋ぐち
    TO K.TO‐YAMA.

さみしい妻子をひきつれて
遙遙とともは此地を去る
渡り鳥よりいちはやく
そして何處どこへ行かうとするのか
そのあしもとから曳くたよりない陰影かげ
そのかげを風に搖らすな
秋ぐちのうみぎしに
錨はあかく錆びてゐる
みあげるやうな崖の上には桔梗や山百合がさいてゐる
紺青色の天そらよりわたしの手は冷い

友よ
おん身のまづしさは酷すぎる
而もおん身の落窪んだその目のおくに眞實は汚れない
いのちを知れ
友よ
人間は此の大きな自然のなかで銘銘に苦んでゐるのだ
しづかに行け

  此の世界のはじめもこんなであつたか

うすむらさきのもやのはれゆく
海をみろ
此のすきとほつた海の感覺
ああ此の黎明
この世界のはじめもこんなであつたか
さざなみのうちよせるなぎさから
ひろびろとした海にむかつて
一人のとしよつた漁夫がその掌をあはせてゐる
渚につけた千鳥のあしあともはつきりと
けさ海は靜穩おだやかである

  ひとりごと

一日中のはげしい勞働によつて
ぐつたりとつかれた體躯からだ
今朝けさみると
むくむくと肥え太り
それがなみなみと力を漲らしてゐる
そしてあふれるばかりになつてゐる
それは大きな水槽が綺麗な水を一ぱいたたへてゐるやうだ
たらたらと水槽には筧の水がしたたるのだが
おお此の肉體の力はよ
それは眠つてゐるまに何處どこから來たか
力はあふれる水のやうなものだ
肉體から充ちあふれさうな此の力
それをまたけふもけふとて彼方かなたで頻りに待つてゐる
あの丘つづきの穀物畠
あの色づいて波立てる麥の畠をおもへ
此の新しい日のひかり
新しくあれ
ゆたかな力のよろこびに生きろ

  新聞紙の詩

けふ此頃の新聞紙をみろ
此の血みどろの活字をみろ
目をみひらいて讀め
これが世界の現象ありさまである
これが今では人間の日日の生活となつたのだ
これが人類の生活であるか
これが人間の仕事であるか
ああ慘酷に巣くはれた人間種族
何といふ怖しい時代であらう
牙を鳴らして噛合ふ
此の呪はれた人間をみろ
全世界を手にとるやうにみせる一枚の新聞紙
その隅から隅まで目をとほせ
活字の下をほじくつてみろ
その何處かに赭土の痩せた穀物畠はないか
注意せよ
そしてその畝畝の間にしのびかくれて
世界のことなどは何も知らず
よしんばこれが人間の終焉をはりであればとて
貧しい農夫はわれと妻子のくふ穀物を作らねばならない
そこに殘つた原始の時代
そこから再び世界は息をふきかへすのだ
おお黄金色こがねいろした穀物畠の幻想
此の黄金色した幻想に實のる希望のぞみ

  汽車の詩

信號機シグナルがかたりと下りた
そこへ重重しい地響をたてて
大旋風のやうに堂々と突進してきた汽車
みろ
並行し交叉してゐる幾條のれーるのなかへ
その中の一本の線をえらんで
飛びこんできた此の的確さ
そしてぴたりとぷらつとほーむで正しくとまつた
此立派さを何といはうか
此の勇敢は壓迫する
けれど道は遠い
滊罐ヱンジンをば水と石炭とでたつぷり滿たせ
而して語れ
子どもらの歡呼をうけてきたことを
それから女の首と手足をばらばらにしたことを
木も家もひつくりかへして見せたことを
子どもらの愛するものよ
此の力強さを自分も愛する

  都會の詩

煤烟はうつくしい
その煤烟で一ぱいになつた世界だ
その中にある此の大都會
働く者のかほをみろ
その手足をみろ
何といふ崇高けだかいことだ
ああ煤烟
その中でうめく勞働者の群
ふしぎなこともあればあるものだ
これが新鮮で
而も立派にみえるのだ
なにもかも慘酷のすることだ
ああたまらない
ひきつけられる

  都會の詩

けむりの渦卷く
薄暮の都會
ぽつと花のやうに點じ
蔓のやうな燈線のいたるところで
黄金色に匂ふ燭光のうつくしさよ
黄金色に匂ふ千萬の燭光
みろ
都會はまるで晝のやうだ
だいあもんどがなんだ
るびいがなんだ
此の壯麗な都會の街街家家
ここに棲む人間なればこそどんな苦みをも耐へるのだ
ここにすむ人間の幸福
ああ何もいらない
此の壯麗に匹敵するものは何か
此の幸福の上にあつて
都會は生きてゐる
よるのふけるにしたがつて
よるがふければふけるほど
だんだん都會は美しく光りかがやき
ここで疲れた人間が神神のやうに嚴かな眼瞼まぶたを靜にとぢるのだ
此のうつくしさは生きてゐる

  握手

どうしたといふのだ
そのみすぼらしいしをれやうは
そのげつそりと痩せたところはまるで根のない草のやうだ
おい兄弟
どうしたといふのだ
何はともあれ握手をもつてはじめることだ
さあその手をだしたまへ
しつかりと自分が握つてやる
大麥を刈りとつた畠に
これはいま秋そばを播きつけてきた手だ
どんなことでもしつてゐる手だ
どんなことにも耐へてきた手だ
土臭いとて顏を蹙めるな
此の手は君に確信を與へる
ぐつとつきだせ
もぢもぢするのは耻づべき行爲だ
君もその手に力をこめて
そして自分の痛いといふほど
握りかへしてくれ
それでよろしい
強く正しく直立つつたて!

  故郷にかへつた時

これではない
こんなものではない
自分が子どもでみた世界は
山山だつてこんなにみすぼらしく低くはなかつた
何もかもうつくしかつた

  太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ

一日の終りのその束の間をいろどつてゆつたりと
太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ
大きなうねりを打つて
いくへにもかさなりあつた丘の畑と畑とのかなたに
赤赤しい夕燒け空
枯草を山のやうに積んだ荷馬車がかたことと
その下をいくつもつづいてとほつた
何といふやすらかさだ
此の大きいやすらかな世界に生きながら人間は苦んでゐる
そして銘々にくるしんでゐる
それがうつくしいのだ
此のうつくしさだ
どこか深いところで啼いてゐるこほろぎ
自分を遠いとほいむかしの方へひつぱつてゆくその聲
けれど過ぎさつた日がどうなるものか
何もかも明日あしたのことだ
何もかも明日のことだ


 Ⅶ

  自分はさみしく考へてゐる

ひとびとを喜ばすのは善いことである
自分をよろこばすのは更に善いことである
ひとびとをよろこばすことは
或は出來るかも知れぬ
自分をよろこばすことは大切であるが容易でない
物といふあらゆる物の正しさ
みなその位置を正しく占めてゐる秋の一日
すつきりと冴えた此の手よ
痩せほそつた指指よ
こんなことを自分はひとり考へてゐる
なんといふさみしい自分の陰影かげであらう

  蝗

くるしみはうつくしい
人間の此の生きのくるしみ
これは人間ばかりでない
これが自然の深い大きな意志であるのか

深藍色にすつきりとした空
秋の日のうすらさみしさ
あちらこちらの畦畦にみすぼらしい彼等をみよ
女達と子ども等と
その手をのがれて逃げまどふ蝗蟲いなご
ひつそりと貧しい村村
ながながしい鷄の聲
田の面はひろびろと凪ぎ
蝗蟲がぴよんぴよん飛んでゐる
それをつかまへようとしてあらそひ
それを追つ驅けまはしてゐる彼等
しきりにぴよんぴよんと
弱弱しい晝過ぎの光線を亂してとんでゐる
そしてまんまと捕へられる蝗蟲よ

  愛の力

穀物に重い穗首をたれさせる愛のちからは大きい
赤赤しい秋の日
ひろびろとした穀物畠
ひろびろと
としよつた農夫はそれに見惚れ
煙管の吸ひ殼をはたきながら
いたづらな雀や鴉に何をかたつてゐるのか
ゆたかに實のつた穀物は金きんの穗首をひくくたれて
だまつてそれを聞いてゐる
穀物に重い穗首をたれさせる愛のちからは大きい
黄銅あかがねのやうなその農夫のあたまの上に
蜻蛉が一ぴき光つてゐる
何といふ靜かさであらう

  人間の神

手に大鍬をつつぱつて
ひろびろとした穀物畠の上をしみじみ眺めてゐる
としよつた農夫の顏よ
その顏の神神しさよ
農夫は世界のたましひである
農夫は人間の神である
黎明よあけからのはげしい勞働によつて
崖壁のやうな胸をながれる脂汗
その胸にたたへた人間の愛によつて
穀物は重い穗首をひくく垂れた
みよ一日はまさに終らんとしてゐる
赤赤しい夕燒け空
大鍬の泥土どろをかきおとすのもわすれて
農夫はひろびろとした穀物畠を飽かずながめてゐる
その彼方かなたにあかあかと
太陽は今やすらかにはいつて行くところだ

  秋のよろこびの詩

青竹が納屋なやの天井の梁にしばりつけられると
大きな摺臼は力強い手によつてひとりでに廻りはじめる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
きんの穀物は亂暴にもその摺臼に投げこまれて
そこでなかのいい若衆わかいしゆと娘つ子のひそひそばなしを聞かせられてゐる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
ごろごろごろごろ
何といふいい音だらう
あちらでもこちらでもこんな音がするやうになると
お月樣はまんまるくなるんだ
そしてもうひもじがるものもなくなつた
ああ收穫のよろこびを
ごろごろごろごろ
世界のはてからはてまでつたへて
ごろごろごろごろ

  草の葉つぱの詩

晩秋の黄金色のひかりを浴びて
野獸の脊の毛のやうに荒荒しく簇生してゐる草の葉つぱ
一まいの草の葉つぱですら
人間などのもたない美しさをもつ
その草の葉つぱの上を
素足ではしつて行つたものがある
素足でその上をはしつて行つたものに
そよ風は何をささやいたか
こんなことにもおどろくほど
ああ人間の惱みは大きい
素足でその上をはしつて行つたものがあると
草の葉つぱが騷いでゐる

  或る風景

みろ
大暴風の蹶ちらした世界を
此のさつぱりした慘酷むごたらしさを
骸骨のやうになつた木のてつぺんにとまつて
きりきり百舌鳥もずがさけんでゐる
けろりとした小春日和
けろりとはれた此の蒼空よ
此のひろびろとした蒼空をあふいで耻ぢろ
大暴風が汝等のあたまの上を過ぐる時
汝等は何をしてゐた
その大暴風が汝等に呼びさまさうとしたのは何か
汝等はしらない
汝等の中にふかく睡つてゐるものを
そして汝等はおそれおののき兩手で耳をおさへてゐた
なんといふみぐるしさだ
人間であることをわすれてあつたか
人間であるからに恥ぢよと
けろりとはれ
あたらしく痛痛しいほどさつぱりとした蒼空
その下で汝等はもうあらしも何も打ちわすれて
ごろごろと地上に落ちて轉つてゐる果實きのみ
泥だらけの青い果實をひろつてゐる

  雪ふり蟲

いちはやく
こどもはみつけた
とんでゐる雪ふり蟲を
而も私はまだ
一つのことを考へてゐる

  冬近く

お前の目はふかい
それはまるで淵のやうだ
冬近く
その目の中にぽつちり……
ぽつちりと點じた一つの灯を思へ
此の眞實に生きよ
いまは薄暮である
此のさびしさを愛せよ

  蟋蟀

記憶せよ
あの夜のことを
あの暴風雨を
あの暴風雨にも鳴きやめず
ほそぼそと力強くも鳴いてゐた
蟋蟀は聲をあはせて
はりがねのやうに鳴いてゐた
自分はそれを聞いてゐた

  或る日の詩

草の葉つぱがゆれてゐる
その葉がかすかになびいてゐる
あらしが何處かを
いまとほる
いまとほるのか
ひつそりとした此のしづかさ
蜻蛉とんぼ、蜻蛉とんぼ
此の指さきにきてとまれ

  或る日の詩

ひとりは寂しい
群衆の中はさらに寂しい
自分ばかりか

おお寂しい人間よ
かくも生いのちはさびしいものか
此の眞實に生きよと
木の葉はちる
はらはらとちる
秋の黄昏
みよ、いま世界は黄金色に夕燒けして
此の一日を終るところだ
はらはらとちる木の葉つぱ

  記憶の樹木

樹木がすんなりと二本三本
どこでみたのか
その記憶が私を搖すつてゐる……
入日に浸つて黄色くなつた
最後の葉つぱ
その葉の落ちてくるのをそれとなく待つてゐた
それが自分達の上でひるがへり
冬の日は寂しく暗くなりかけた
風の日はいまも其の木木
骨のやうになつた梢の嗄しはがれ聲

  山

と或るカフヱに飛びこんで
何はさて熱い珈琲を
一ぱい大急ぎ
女が銀のフオークをならべてゐる間も待ちかねて
餓ゑてゐた私は
指尖をソースに浸し
彼奴の肌のやうな寒水石の食卓に
雪のふる山を描いた
その山がわすれられない

  道

道は自分の前にはない
それは自分のあしあとだ
これが世界の道だ
これが人間の道だ
この道を蜻蛉とんぼもとほると言へ

  初冬の詩

そろそろ都會がうつくしくなる
そして人間の目が險しくなる
初冬
いまにお前の手は熱く
まるで火のやうになるのだ

  路上所見

大道なかをあばれてくる風
それに向つて張上げる子どもの聲
風はその聲をうばひさつたよ
けれど子どもはもうその風の鋭い爪もなにもわすれて
むかふの方を歩行あるいてゐる

  友におくる

友よ
その足の腫物をいたはれ
その金きんの腫物を
うづきうづくいたみ
ながれる愛の膿汁

  惡い風

街角で私は
惡い風に遭つた
どこかで見たやうな風だ
そうだ
いつか田圃で
子どもの紙鳶をうばつて逃げた
あの風の奴めだ

  雪の詩

ちらちらと落ちてきた
雪の群集
どんよりとした空の彼方から
これが冬の飾りであるのか
此の世界への贈り物であるのか
純銀の街と村村と
此の凍えてゐる人人の上にふるか
雪は人間を意志的にする
雪は力を堆積する
そして人間を神神と一しよにする
祝福せよ
子ども等はうれしさに獅子のやうだ
ちらちらと落ちてくる雪
雪の殘忍な靈魂たましひ
このうつくしさを頬張り貪り
くるへ
雪もをどれ
雪のやうな子ども等


 Ⅷ

世界の黎明をみる者におくる詩

鷄の聲にめざめた君達だ
からすや雀より早くおきいで
そして畑へ飛びだした君達だ
朝露にびつしよりぬれた君達だ
まだ太陽も上らないのに
君達の額ははやくも汗ばんだ
君達はひろびろとした畑の上で
世界の黎明よあけをみた
それをみるのは君達ばかりだ
此の世のはてからのぼつてくるその太陽を
どんなに君達はおどろかしたことか
君達はしるまい
君達はしるまい
此の若き農夫を思へ!

 自分は此の黎明を感じてゐる

自分は感じてゐる
此の氷のやうな闇の底にて目もさえざえと
ふゆの黎明を
遠近(をちこち)でよびかはす鷄の聲聲
人間の新しい日をよびいだすその聲を
ぐらすのやうに冴えかへる夜氣
枯れ殘つた草の葉つぱの上に痛痛しい雪のやうな大霜
なにもかもはつきりとした世界の目ざめ
此の永遠の黎明を
自分はつよく感じてゐる
それをどんなにのぞんでゐるか
而も夜はながい
おもへ
朝日にかがやく冬の畑を
大地の中で肥えふとる葱や大根を
それから人類のことを

  偉大なもの

偉大なものは砲彈ではない
檞の木のやうな腕である
それはまた金貨でもない
鋼鐵はがねの齒をもつ胃ぶくろである
その上に
此の意志だ

  強者の詩

人間の此上もなきかなしみは
此のくるしみの世界に生みいだされたことだと云ふか
否!
これこそ人間のよろこびではないか
此のうつくしさが解らないのか
何といふうつくしさであらう
此のくるしみの世界は
此のくるしみに生くることは
みよ
ひろびろとした此の秋の田畠を
重い穗首をたれた穀物
いさましいその刈り手
その穀束をはこび行く馬
ゆたかな天日の光をあびつつ
其處にも此處にも
落穗をひらふ貧しい農婦等
からすや雀も一しよであるのか
此のむつましさを知れ
此のうつくしさはどうだ
此の大きなうつくしさはどうだ
此のうつくしさを知るものは強い
此のくるしみの世界にのみ
人間の生きのよろこびはある
人間の生きのよろこびよ
強きものにのみ此の世界はうつくしいのだ
かくして峻嚴な一日ははじまり
かくして人間の一日は終る
強くあれ

  病める者へ贈物としての詩

林檎より美しいもの
かすてらより柔いもの
此の愛をそなたにおくるのだ
此の愛を
雪のやうな此の愛
落葉おちばのやうにはらはらと
そなたの上に飜へる
そなたはそれをどうみるか
風の中なる私の愛を……
何といふ冷い手だ
何といふさみしい目だ
おお病める者
そなたのためには純白な雪
そして火のやうな私だ
この愛の中で穀物の種子たねのやうな強き生いのちをとりかへせ
光りを感じ
しづかに生き

  或る日曜日の詩

雪を純白まつしろにいただいた遠方の山山をみつめてゐると
指指の尖から冴えてくるやうだ
ぎらぎら油ぎつて光る
椿や樫の葉つぱ
冷い風に枯草が鳴る
地に伏して鳴る
木木は骸骨のやうだ
その梢の嗄れた生きもののやうな聲聲

險惡な空はせはしさうだ
雲と雲との描く
田畠の上をはしる陰影かげ

とろりとした日だまり
ひさしぶりで來てみる公園はすつかり荒れはてた
けれど今日けふは善い日曜日だ
子ども等が何かしてあそんでゐる
落葉おちばのやうな子ども等よ

とろりとした日だまり
その光はまるで蜂蜜のやうだ

  朝の詩

しののめのお濠端に立ち
お濠に張りつめた
氷をみつめる此の氣持
此のすがすがしさよ
硝子ぐらすのやうな手でひつつかんだ
石ころ一つ
その石ころに全身の力をこめて
なげつけた氷の上
石ころはきよろきよろと
小鳥のやうにさへづつてすべつた
(おお太陽!)
おお此の氣持で
人間の街へ飛びこまう
あの石ころのやうに

  大風の詩

けふもけふとて
大風は朝からふいた
大風はわたしをふいた
その大風と一しよに
わたしはひねもす
畑で大根をぬいてゐた

  農夫の詩

おいらをまつてゐる
あの山かげへ
けふもまたおいらは馬と田圃をすきに行くんだ
あそこは酷い瘠地だけれど
どんなにおいらをまつてるか
すけばそれでも黒黒と
そこに冬ごもりをしてゐた蛙が巣をこはされてぴよんぴよん飛びだす
雀や鴉がどこからともなく群集する
おいらの馬は家中一ばんの働き手だ
おいらは馬と一しよであるのがどんなにすきだか
おいらが馬のかはりをすれば
馬はおいらのことをする
かうしてたがひに生きてゆくんだ
おてんたうさま
ああ、けふといふけふの此の幸福
何といふ大きな蒼天あをぞらでせう
そしておいらがうたひだすと
耳をぴんとつつ立てて
ばかに鼻息あらあらしく
犁をもつ手もあぶないほど
おいらの馬はすこし元氣になりすぎます

  人間の詩

ぼくは人間がすきだ
人間であれ
それでいい
それだけでいい
いいではないか

ぼくは人間が好きだ
人間であれ
此の目
此の耳
此の口
此の鼻
此の手と足と
何といはうか此の立派さ

頭上づじやうに大きな蒼天をいただき
二本の脚で大地をふみしめ
樹木のやうにその上につつ立つ人間
牛のやうな歩行者
蜻蛉とんぼのやうな空中の滑走者

此の人間をおもへ
此の世のはじめ
まだ創造のあしたであつた時を想像してみろ
そこに何があつたか
茫漠としてはてなき荒野
おなじやうな其上の空
その空の太陽
それをみつけたのは人間だ
みんな人間が發見みつけたのだ
みんな人間のものだ

翼あるもの
鰭あるもの
すべての匍ふもの
すべての草木
すべてのものを愛し
すべてのものに美き名をあたへた人間

一切の價値
一切の意義
一切の法則
一切は人間のさだめたところによつて存在するのだ
人間あつての世界でないか
人間を信ぜよ
此の偉大なる人間を
大地が地上に押しだした生いのちの子ども

人間であれ
人間を信ぜよ
鐵のやうな人間の意志を
けだもののやうな人間の愛を
そして神神のやうな人間の自由を
ああ人間はいい

空氣と水と穀物と
それから日光と
そこで繁殖する人間だ
そこで人間は大きくなるのだ
そこで人間はつよくなるのだ
ああ人間はいい

此の人間は生きてゐる
此の人間は生きんとする
人間であれ
人間であることを思へ

人間はいい
ぼくは人間が好きだ
ぼくが一ばん好きなのは何とゆつても人間だ
人間であれ
人間であれ
人間であれ
人間であれ

此の人間はどこからきた
此の人間はどこへ行く
それがなんだ
そんなことはどうでもいい
よくみろ
而して思へ
どんな世界を新しく此の人間がつくりいだすか
どんな時代を新しく此の人間がつくりいだすか
どんな大きな信念を
どんな大きな思想を
どんな大きな藝術を
此の人間が生みいだすか

人間をみろ
人間をみろ
よくみろ
目をすゑてみろ、太陽
永遠を一瞬間に生きる人間
汝の愛いつくしむもの
神神も照覽あれ
此の生きてゐる人間を

  姙婦を頌する詩

生みのくるしみ
此のくるしみのために
はらめるものよ
おんみはなにをかんずるか
おそろしい胎内のあらし

あらしを思へ
あらしを忍べ
はらめるものは人間である
永遠のはてから來るもの
太陽の愛いつくしむもの

生みのくるしみ
おんみのくるしみ
それが世界のよろこびだ
人間の一人が世界に殖えるところに
此のよろこび
此のよろこびを思へ

からりとはれた蒼空のやうな氣持で
やがておんみはみつけるのだ
あらしのわすれていつたものを
その膝の上に
その乳房を吸つてゐるのを
しばらくしのべ
あらしをしのべ
おんみは人間の創造者である
おんみらによつて人間は此の世界にきたる
萬物の讃美をうけよ
人間の母なるおんみ
人間をはらめるおんみ

生めよ
ふえよ
地にみてよ
勝利をあげて來れ、人間

  妹におくる

枯葉の下からぞつくりと青い芽をだしてゐるみづくさ
すんなりとのびてゐる木木
ひらひらしてゐるのはその木木の嫩葉だ
あたりにさへづる鶸やのじこ
落窪からちろちろと雪解の水がながれてゐる
その水のきよらかさ
その水のきよらかさは
いもうとよ
それはそなたの愛のやうだ
ひとにかくしたくちつけにとけてながれるそなたの愛だ

  十字架

十字架のおもさは齒をたて
むごたらしくも肉體に喰入る
苦しむものの愛する十字架
苦しむものよ
にんげんこそまことのキリスト
そして道はながい
ゴルゴダへの此の道
どこまで行つたらつきるのか
肩の上の十字架
よろめく足を踏みしめて進み行く
くるしみをじつと耐へてすすみ行く
みそなはせ
主よ、人間のこの強さを……

  鞴祭の詩

自分の意志はあかあかと
みよ、うつくしくやけただれてゐる
鐵砧かなしきの上なる意志を
鋼鐵はがねのやうな此の意志を
打て!
鐵槌をふりかざせ
とびちるものは火花の吐息だ
とびちるものは自分の吐息だ
くるしい
くるしいから美しいのだ
生きのくるしみ
それが人間にこもつて力となるのか
世界の黎明よあけ
研ぎすました此の冴え
ふれれば切れるやうな空氣
鋼鐵のやうな自分の此の意志
それを鍛へる自分の力
くるしめ
くるしめ
鐵砧の上できたへろ
とんかんと
此のいい音響おとで冬めを祭れ

  鴉祭の詩

大鴉
藁とぼろとでこしらへた鴉
そのからすを祭れ

きみらは農夫
ひろい黎明よあけの畠にとびだし
しみじみと種子たねを蒔いた
種子は一粒一粒
種子は善い種子
その上に土をかけ
太陽にそれをかくした
きみらは農夫
それからといふもの
どんなに畠のことばかりかんがへてゐたことか
そんなこととはしらないで
そんなことともしらないで
鴉めが來てはそれをほじくる
そのからすを祭れ

  貧者の詩

みよ、そのぼろを
此のうつくしい冬の飾りを
それから赤い鼻尖を
人間が意志的になると
霜はまつ白だ
指のちぎれさうな此の何ともいへないいみじさ
ふゆを愛せよ
そのぼろの其處此處から
肉體が世界をのぞいてゐる

  單純な朝餐

スープと麺麭
そして僅かな野菜
何といふ單純な朝餐あさげであらう
朝も朝
此の新しい一日のはじめ

スープのにほひ
ぱんのにほひ
その上に蒼天のにほひ
一家三人
何といふ美しい朝餐であらう

屋根から雀もおりて來よ
此の食卓はまづしいけれど
みろ
此の子どもを
此の小さな手にその匙をもつたところを
ひもじさをじつと耐へて
感謝のあたまを低く垂れ
わたしらのやうにたれ
わたしの祈りをしづかにまつてゐるではないか

此の食卓に祝福あれ!


 Ⅸ

  そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる

すつきりとした蒼天
その高いところ
そこの梢のてつぺんに一はの鶸ひはがないてゐる
昨日きのふまで
骨のやうにつつぱつて
ぴゆぴゆ風を切つてゐた
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
それがゆふべの糠雨で
すつかり梢もつやつやと
今朝けさはひかり
煙のやうに伸びひろがつた
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる
それがどうしたと言ふのか
そんなことをゆつてゐたのでは飯が食へぬと
ひとびとはせはしい
ひとびとのくるしみ
くるしみは地上一めん
けれど高いところはさすがにしづかだ
そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる

  雨は一粒一粒ものがたる

一日はとつぷりくれて
いまはよるである
晩餐ゆふげののちをながながと足を伸ばしてねころんでゐる
ながながと足を伸ばしてねころんでゐる自分に
雨は一粒一粒ものがたる
人間のかなしいことを
生けるもののくるしみを
そして燕のきたことを
いつのまにかもうすやすやと眠つてゐる子ども
妻はその子どものきものを縫ひながら
だんだん雨が強くなるので
播いた種子が土から飛びだしはすまいかと
うすぐらい電燈の下で
自分と一しよに心配してゐる

  麥畑

此のみどり
ああ此のみどり
生命いのちの色!
憂鬱なむぎばたけのうつくしさ
むぎばたけをみてゐると
自分にせまる人間の情慾
此の力のかたまり
人間の強い眞實
これこそ深いところから
浪浪のうねりをもつて湧き上つてくる力だ
そして生生なまなましい土の愛により
どんなに大きな健康を麥ぐさはかんじてゐることか
ああ此の麥ぐさの列
ああ、けふばかりは蒼天そらも自分にふさはしく
どこかで雲雀もないてゐる
ああ此のみどり
此の麥のみどりに手を浸して
自分はなみだぐんでゐる

  朝

雨戸をがらり引きあけると
どつとそこへ躍りこんだのは日光だ
お! まぶしい
頭蓋あたまをがんと一つくらしつけられでもしたやうに
それでわたしの目はくらみ
わたしはそこに直立した
おお
けれど私のきつぱりした朝の目覺めを
どんなに外でまつてゐたのか
此の激烈な日光は!
やがておづおづと痛い目をほそく漸くみひらいて
わたしはみた
わたしはみた
そこに
すばらしい大きな日を
からりとはれた
すべてがちからにみちみちた
あたらしい一日のはじめを

  人間苦

何方をむいてみても
ひどく人間はくるしんでゐる
ああ人間ばかりは
人間ばかりか
人間なればこそ自分もこんなにくるしんでゐるのだ
すばらしい都會の大通でも
此の汎いあをあをとした穀物畠ででも
みんな一緒だ
だれもかれもみんなくるしんでゐるのだ
けれどみんなのくるしみをみると
自分はいよいよくるしくなる
みんなといつしよにくるしむのだ
みんなといつしよにくるしむとは言へ
自分等はひとりびとりだ
ひとりを尊べ!
何と言つてもくるしむのだ
自分はひとりでくるしまう
みんなのかはりにくるしまう
一切のくるしみをみな此の肩にのせかけろ
人人よ
そして身も輕輕と自由であれ
空の鳥のやうであれ
萬人を一人で
自分はみんなの幸福のために生きよう
自分はみんなのくるしみに生きよう
かうおもつてみあげた大空
此の滴るやうな深い碧あを
此のすばらしさ
自分はかくも言ひ知れぬ鋭さにおいて感ずる
人間の激しい意志を
いまこそ強い大地の力を

  わたしたちの小さな畑のこと

すこし強い雨でもふりだすと
雀らにかくしてかけた土の下から
種子たねはすぐにもとびだしさうであつた
私達はそれをどんなに心配したか
そしてその種子をどんなに愛してゐたことか
それがいつのまにやら
地面の中でしつかりと根をはり
青空をめがけて可愛いい芽をふき
かうして庭の隅つこの小さな畑ででも
其の芽がだんだん莖となり葉となりました
それらの中の或るものなどは
たちまちながくするすると
人間ならば手のやうな蔓さへ伸ばしはじめた
それではじめて隱元豆だとしれました
昨日きのふ夕方榾木をそれに立ててやつたら
今朝けさはもう、さもうれしさうにどれにもこれにもからみついてゐるではありませんか
此の外に、蜀黍たうもろこしと胡瓜きうり
數種の秋のはなぐさがあります
どれもこれも此の小さな畑のなかで滿足しきつてそだつてゐます
そしてそれらの上に太陽は光をかけ
太陽のひかりは小さな畑から
あたり一めんにあふれてをります

  一日のはじめに於て

みろ
太陽はいま世界のはてから上るところだ
此の朝霧の街と家家
此の朝あけの鋭い光線
まづ木木の梢のてつぺんからして
新鮮な意識をあたへる
みづみづしい空よ
からすがなき
すずめがなき
ひとびとはかつきりと目ざめ
おきいで
そして言ふ
お早う
お早うと
よろこびと力に滿ちてはつきりと
おお此の言葉は生きてゐる!
何といふ美しいことばであらう
此の言葉の中に人間の純きよさはいまも殘つてゐる
此の言葉より人間の一日ははじまる

  自分達の仕事

自分達の仕事
それは一つの巣をつくるやうなものだ
此の空中にたかく
どんな強風にも落ちないやうな巣をつくれ
そして大地にふかぶかと根ざした木木
その木の梢のてつぺんで
卵を孵へさうとしてゐる鳥は
いまああしてせはしく働いてゐる
毎日毎日
朝から夕まで
あちらの都會の街上で女の髮毛かみげを拾つたり
こちらの村の百姓の藁を一本盜んだり
ああ自分達もあの鳥とおなじだ
けれど鳥にはあのやうな翼がある
自分達には何があるか
ああ

  消息

はつなつの木木の梢をわたる風だ
穀物畠の畝からぬけでてきた風だ
わたしらの屋根の上を
それはまるで遠くできく海の音のやうだ
その下にわたしらはすんでゐる
魚類のやうにむつまじくくらしてゐる
風はしめやかだ
たかいあの青空をわたる風だから
時時すういと突刺すやうにつばめなんどを飛ばせてよこす
そしてわたしらをびつくりさせる
わたしらはむつまじくくらしてゐる
わたしらは貧しく而もむつまじくくらしてゐる
わたしらは魚類のやうにくらしてゐる

  感謝

なんといふはやいことだ
たつたいまおきたばかりのところへ
ステーシヨンから箱が一つ
どつさりととどいた
その箱は遠くからいくつもいくつも隧道とんねるをくぐつてきたのだ
黄金こがね色した大きな穀物畠を横斷し
威勢のいい急行列車に載せられてきたのだ
そして此の都會のわたしらまできたのだ
みると箱の裂目からなにかでてゐる
それは葱の新芽だ
それから馬鈴薯じやがいもと鞘豆と
紫蘇の葉の匂もそこら一ぱいに朝のよろこびを漂はせてゐる

  勞働者の詩

ひさしぶりで雨がやんだ
雨あがりの空地あきちにでて木を鋸きながらうたひだした
わかい木挽はいい聲を張りあげてほれぼれとうたひだした
何といふいい聲なんだ
あたり一めんにひつそりと
その聲に何もかもききほれてゐるやうだ
その聲からだんだん世界は明るくなるやうだ
みろ、そのま上に
起つたところの青空を
草木くさきの葉つぱにぴかぴか光る朝露を
一切のものを愛せよ
どんなものでもうつくしい
わかい木挽はいよいよ聲をはりあげて
そのいいこゑで
太陽を萬物の上へよびいだした

  老漁夫の詩

人間をみた
それを自分は此のとしよつた一人の漁夫にみた
漁夫は渚につつ立つてゐる
漁夫は海を愛してゐる
そして此のとしになるまで
どんなに海をながめたか

漁夫は海を愛してゐる
いまも此の生きてゐる海を……

じつと目を据ゑ
海をながめてつつ立つた一人の漁夫
此のたくましさはよ
海一ぱいか
海いつぱい
否、海よりも大きい
なんといふすばらしさであらう
此のすばらしさを人間にみる
おお海よ
自分はほんとの人間をみた

此の鐵のやうな骨節ほねぶしをみろ
此の赤銅あかがねのやうな胴體をみろ
額の下でひかる目をみろ
ああ此の憂鬱な額
深くふかく喰ひこんだその太い力強い皺線しわをよくみろ

自分はほんとの人間をみた

此の漁夫のすべては語る
曾て沖合でみた山のやうな鯨を
たけり狂つた斷崖のやうな波波を
それからおもはず跪いたほど
うつくしく且つ嚴かであつた黎明よあけの太陽を
ああ此のあをあをとしてみはてのつかない大青海原
大海原も此の漁夫の前には小さい
波はよせて來て
そこにくだけて
漁夫のその足もとを洗つてゐる

  驟雨の詩

何だらう
あれは
さあさあと
竹やぶのあの音
雨だ
雨だ
おやもうやつてきた
ぽつぽつと大粒で
ああいい
ひさしぶりで
びつしより濡れる草木くさき
びつしよりぬれろ

  苦惱者

何をしてきた
何をしてきたかと自分を責める
自分を嘲ける此の自分
そして誰も知らないとおもふのか
自分はみんな知つてゐる
すつかりわかりきつてゐる
わたしをご覽
ああおそろしい

いけない
いけない
私に觸つてはいけない
私はけがれてゐる
私はいま地獄から飛びだしてきたばかりだ
にほひがするかい
お白粉や香水の匂ひが
あの暗闇で泳ぐほどあびた酒の匂ひが
此の罪惡の激しい樣樣なにほひが
おお腸はらわたから吐きだされてくる罪惡の匂ひ
それが私の咽喉のどを締める
それが私のくちびるに附着くつついてゐる
それから此のハンカチーフにちらついてゐる

自分はまだ生きてゐる
まだくたばつてはしまはなかつた
自分はへとへとに疲れてゐる
ゆるしておくれ
ゆるしてくれるか
神も世界もあつたものか
靈魂たましひもかねもほまれもあつたものか
此の疲れやうは
まるでとろけてでもしまひさうだ
とろけてしまへ

何だその物凄いほど蒼白い顏は
だが實際、うつくしい目だ
此の頸にながながと蛇のやうにからみついたその腕は
ああゆるしておくれ
そして何にも言はずに寢かしておくれ
私はへとへとにつかれてゐる

なんにもきいてくれるな
こんやは
あしたの朝までは
そつと豚のやうに寢かしておいておくれ
とは言へあの泥水はうまかつた
それに自分は醉つぱらつてゐるんだ
此の言葉は正しい
此のていたらくで知るがいい

而も自分は猶、生きようとしてゐる
自分の顏へ自分の唾のはきかけられぬ此のくやしさ
ああおそろしい
ああ睡い
そつと此のまま寢かしておくれ

だがこんなことが一體、世界にあり得るものか
自分は自分を疑ふのだ
自分は自分をさはつてみた
そして抓つて撲なぐつてかじつてみた
確に自分だ
ああおそろしい

自分は事實を否定しない
事實は事實だ
けれどもう一切は過去になつた
足もとからするすると
そしてもはや自分との間には距離がある
そしてそれはだんだん遠のきつつ
いまは一種の幻影だ
記憶よ、そんなものには網打つな

おお大罪惡の幻影!
罪惡はうつくしい
あの大罪惡も吸ひついた蛭のやうにして犯したんだ
けれどその行爲につながる粘粘した醜い感覺
それでもあのまつ暗なぬるぬるしてゐる深い穴から
でてきた時にはほつとした
そして危く此の口からすべらすところであつた
この涎と甘いくちつけにけがれた唇から
おお神よと
そして私は身震ひした
それはさて、こんやの時計ののろのろしさはどうだ
迅速に推移しろ
ああ睡い睡い
遠方で一ばん鷄どりがないてゐる
もう目がみえない
黎明は何處どこまでちかづいて來てゐるか
このままぐつすり寢て起きると
そこに新しい人間がある
ゆふべのことなどわすれてしまつて
はつきりと目ざめ
おきいで
大空でもさしあげるやうな脊伸び
全身につたはる力よ
新しい人間の自分
それがほんとの自分なんだ
此の泥醉と懊惱と疲勞とから
そこから生れでる新しい人間をおもへ!
彼が其時吸ひこむ新鮮な空氣
彼が其時浴びる朝の豐富にして健康な世界一ぱいの日光

どこかで鷄が鳴いてゐる
ああ睡い
ぶつ倒されるほど睡い
自分はへとへとにつかれてゐる
ねかしておくれ
ねかしておくれ

そして自分の此の手を
指をそろへて此の胸の上で組ましておくれ
しかし私に觸つてはいけない
私はひどくけがれてゐる
たつた一とこと言つてくれればいい
誰でもいい
全人類にかはつて言つておくれ
なんにも思はず目を閉ぢよと
それでいい
それでいい
ああ睡い
これでぐつすり朝まで寢られる

  朝あけ

朝だ
朝霧の中の畑だ
蜀黍たうもろこしとかぼちや、豆、芋
――そして
わたしは神を信ずる──
まだ誰も通らないのか
此の畑なかの徑こみち
わたしの顏にひつかかり
ひつかかる蜘蛛の巣
その巣をうつくしく飾る朝露
此のさわやかさはどうだ

――いまこそ
わたしは神を信ずる


 Ⅹ

  生みのくるしみの頌榮

くるしいか
くるしからう
いまこそ
どんなに此のくるしみがしのべるか
おんみは人間の聖母
じつとこらへろ
人間の強さを見せて!

くるしいか
くるしめ
此のくるしみの間より出で來るもの
否、此のくるしみの間にあつて
此の人間のくるしみより生みだせ
新しき世界へ
雄々しきものを
小獅子を
おんみは生死の間にある
おんみを凝視みつめる自分をみろ
くるしいか
おおそのくるしみ
此のくるしみ
自分もおんみと一しよだ

ああ偉大なる人間の創造
ああ偉大なる人間の誕生

  あかんぼ

暴風あらしはさつた
あらし
あらし
あばれくるつて過ぎさつた
そしてそのあとに可愛いいあかんぼを殘して
わすれていつたのか
あかんぼはすやすやと寢床ねどこの上
そのそばにぐつたりとつかれてその母もねてゐる
何といふ麗かな朝だらう
わたしは愛する

  風景

何がなくてもいい
これだけでいい
ポプラ一本
くつきりとたかくたかく
そらをめがけてつつ立つたポプラ
大風の日のポプラ
ほえろ
ほえろ
なんといふ力強さを人間にみせてゐることか
ああ空高く
まるできちがひの自分だ

  疾風の詩

あらゆるものをけちらし
あらゆるものに吼えかかる疾風
街上をまつしぐらに
疾風はまるで密集せる狼のやうだ
そしてあばれてきて郵便局のぐらすの大扉につきあたり
けれどすばやく
くるりとひきかへし
右に折れ
停車場の方をめがけて走つて行つた
そのあとの街上さびしく
もめくちやにされた自分はそこで紙屑のやうにひるがへりつつ
疾風のゆくへをじつとながめてゐた
この疾風はどうだ
それだのに人間の自分は
おお紙屑のやうにひるがへりつつ

  友におくる詩

何も言ふことはありません
よく生きなさい
つよく
つよく
そして働くことです
石工いしやが石を割るやうに
左官が壁をぬるやうに
それでいい
手や足をうごかしなさい
しつかりと働きなさい
それが人間の美しさです
仕事はあなたにあなたの欲する一切すべてのものを與へませう

  自分はいまこそ言はう

なんであんなにいそぐのだらう
どこまでゆかうとするのだらう
どこで此の道がつきるのだらう
此の生の一本みちがどこかでつきたら
人間はそこでどうなるだらう
おお此の道はどこまでも人間とともにつきないのではないか
谿間たにまをながれる泉のやうに
自分はいまこそ言はう
人生はのろさにあれ
のろのろと蝸牛ででむしのやうであれ
そしてやすまず
一生に二どと通らぬみちなのだからつつしんで
自分は行かうと思ふと

  歩行

天上で
まづ太陽がそれをみてゐる
草木がみてゐる
蝶蝶やとんぼがみてゐる
わんわんがみてゐる
あかんぼがよたよたと歩いてゐるのを
ここは路側みちばたである
そのあかんぼからすこしへだたつて
手を拍つてよんでゐるのは母である
かうしてあゆみををしへてゐる
かうしてあかんぼはだんだんと大きくなり
そして強くなり
やがてひとりで人間の苦しい道をもゆくやうになるのだ
おおよたよたと
赤い小さな靴をはき
あんよする
あんよする
お友達がみんなみてゐるのだから
ころんではいけません
此の可愛らしさ
みよ
而も大地を確りとふみしめて

  家族

わたしの家は庭一ぱいの雜草だ
わたしは雜草を愛してゐる
まるで草つぱらにあるやうなわたしの家にも冬が來た
鋼鐵はがねのやうな日射の中で
いのちの短いこほろぎがせはしさうにないてゐた
わたしらはそのこほろぎと一しよに生きてゐるのだ

日一日と大氣は水のやうに澄んでくる
いまはよるもよなかだが
こほろぎはしきりにないてゐる
わたしは寢床ねどこの上ではつきりと目ざめた
子どもを見ると
子どもはしつかりその母に獅噛みついてゐるではないか
そしてぐつすりねこんでゐる
おお、妻よ
お前もそこでねむれないのか
しんしんと沁み徹るこの冷氣はどうだ
もつとおより
一ツ塊かたまりになるまで

  薄暮の祈り

此のすわり
此の靜かさよ
而もどつしりとした重みをもつて林檎はまつかだ
まつかなりんご
りんごをじつとみてゐると
ほんとに呼吸をしてゐるやうだ
ねむれ
ねむれ
やせおとろへてはゐるけれど
此の掌の上でよくねむれ
此のおもみ
此の力のかたまり
うつくしいのは愛だ
そして力だ
林檎一つ
ひたすらに自分は祈る
ましてこのたそがれの大なる深さにあつて
しみじみとりんごは一つ
りんごのやうに自分達もあれ
此の眞實に生きよう

"Die Humanitat erst bringt klarheit uber die Menschenwelt, und von da aus auch uber die Gotterwelt"
―H.Cohen 

  後より來る者におくる

子ども等よ
いまは頭も白髮しらがとなり
骨が皮をかぶつたやうな體躯からだ
漸く杖でささへて
消えかかつた火のやうに生きてゐるお前達のお爺さんを見な
あれでも昔は若くつて大膽で
君等のお父さん達が
いま鍬鎌を振りまはして田圃や畑でたたかつてゐるやうに
弓矢銃丸やだまの間をくぐりむぐつて
いさましいはたらきをしたもんだ
子ども等よ
鐵のやうに頑丈であれ
やがて君達のお父さんがお爺さんのやうになる時
其時、君等はお父さんのやうな大人おとなになるのだ
此の時代と世界とを
そして立派にうけ繼ぐのだ
その君達のことを思へば
此の胸はうれしさで一ぱいになるぞ
おお勇敢な小獅子よ
お爺さんよりお父さんより
君等はもつとどんなに強くなることか
こつちをみろ
自分の此詩集が日光の中に出るやうになつたのは親友早坂掬紫、平井邦二郎、前田夕暮等の友情によつてであることを大なる感謝をもつてここに記しておく。更にこれらの名の中に自分は自分の妻ふじ子の名をもかき加へなければならない。

風は草木にささやいた 人間の勝利 自序 穀物の種子 彼等は善い友達である 父上のおん手の詩 或る朝の詩 曲つた木 ランプ 夜の詩 遙にこの大都會を感ずる 何處へ行くのか 梢には小鳥の巣がある  萬物節 種子はさへづる 或る雨後のあしたの詩 十字街の詩 ポプラの詩 風の方向がかはつた   としよつた農夫は斯う言つた よい日の詩 朝朝のスープ 或る時 其處に何がある 憂鬱な大起重機の詩 耳をもつ者に聞かせる詩 人間に與へる詩 わすれられてゐるものについて 寢てゐる人間について 子どもは泣く 人間の午後 雨の詩 荷車の詩 歡樂の詩 海の詩 ザボンの詩 此處で人間は大きくなるのだ 郊外にて 波だてる麥畑の詩 刈りとられる麥畑の詩 都會にての詩 大鉞 一本のゴールデン・バツト 記憶について 收穫の時 くだもの キリストに與へる詩 或る淫賣婦におくる詩 溺死者の妻におくる詩 大きな腕の詩 先驅者の詩 秋ぐち 此の世界のはじめもこんなであつたか ひとりごと 新聞紙の詩 汽車の詩 都會の詩 都會の詩 握手 故郷にかへつた時 太陽はいま蜀黍畑にはいつたところだ 自分はさみしく考へてゐる  愛の力 人間の神 秋のよろこびの詩 草の葉つぱの詩 或る風景 雪ふり蟲 冬近く 蟋蟀 或る日の詩 或る日の詩 記憶の樹木   初冬の詩 路上所見 友におくる 惡い風 雪の詩 世界の黎明をみる者におくる詩 自分は此の黎明を感じてゐる 偉大なもの 強者の詩 病める者へ贈物としての詩 或る日曜日の詩 朝の詩 大風の詩 農夫の詩 人間の詩 姙婦を頌する詩 妹におくる 十字架 鞴祭の詩 鴉祭の詩 貧者の詩 單純な朝餐 そこの梢のてつぺんで一はの鶸がないてゐる 雨は一粒一粒ものがたる 麥畑  人間苦 わたしたちの小さな畑のこと 一日のはじめに於て 自分達の仕事 消息 感謝 勞働者の詩 老漁夫の詩 驟雨の詩 苦惱者 朝あけ 生みのくるしみの頌榮 あかんぼ 風景 疾風の詩 友におくる詩 自分はいまこそ言はう 歩行 家族 薄暮の祈り 後より來る者におくる 戻る