夢と現実(雑詩四十章)

  明日

明日あすよ、明日あすよ、
そなたはわたしの前にあつて
まだ踏まぬ未来の
不可思議の路みちである。
どんなに苦しい日にも、わたしは
そなたに憬こがれて励はげみ、
どんなに楽たのしい日にも、わたしは
そなたを望んで踊りあがる。

明日あすよ、明日あすよ、
死と飢うゑとに追はれて歩くわたしは
たびたびそなたに失望する。
そなたがやがて平凡な今日けふに変り、
灰色をした昨日きのふになつてゆくのを
いつも、いつもわたしは恨んで居る。
そなたこそ人を釣る好い香にほひの餌ゑさだ、
光に似た煙だと咀のろふことさへある。

けれど、わたしはそなたを頼んで、
祭の前夜の子供のやうに
「明日あすよ、明日あすよ」と歌ふ。
わたしの前には
まだまだ新しい無限の明日あすがある。
よしや、そなたが涙を、悔くいを、愛を、
名を、歓楽を、何なにを持つて来ようとも、
そなたこそ今日けふのわたしを引く力である。


  肖像

わが敬けいする画家よ、
ねがはくは、我がために、
一枚の像を描ゑがきたまへ。

バツクには唯だ深夜の空、
無智と死と疑惑との色なる黒に、
深き悲痛の脂色やにいろを交ぜたまへ。

髪みだせる裸の女、
そは青ざめし肉塊とのみや見えん。
じつと身ゆるぎもせず坐すわりて、
尽きぬ涙を手に受けつつ傾く。
前なる目に見えぬ無底むていの淵ふちを覗のぞく姿勢かたち

目は疲れてあり、
泣く前に、余りに現実を見たるため。
口は堅く緊しまりぬ、
いまだ一ひとたびも言はず歌はざる其れの如ごとく。

わが敬けいする画家よ、
し此この像の女に、
明日あすと云ふ日のありと知らば、
トワルの何いづれかに黄金きんの目の光る一羽いちはの梟ふくろふを添へ給たまへ。
されど、そは君が意に任せん、わが知らぬことなり。

さて画家よ、彩料さいれうには
わが好むパステルを用ひたまへ、
剥落はくらくと褪色たいしよくとは
恐らく此この像の女の運命なるべければ。


  読後

晶子、ヅアラツストラを一日一夜いちにちいちやに読み終り、
その暁あかつき、ほつれし髪を掻かき上げて呟つぶやきぬ、
「辞ことばの過ぎたるかな」と。
しかも、晶子の動悸どうきは羅うすものを透とほして慄ふるへ、
その全身の汗は産さんの夜の如ごとくなりき。

さて十日とをかたり。
晶子は青ざめて胃弱の人の如ごとく、
この十日とをか、良人をつとと多く語らず、我子等わがこらを抱いだかず。
晶子の幻まぼろしに見るは、ヅアラツストラの
黒き巨像の上げたる右の手なり。


  紅い夢

あかねと云ふ草の葉を搾しぼれば
臙脂べにはいつでも採れるとばかり
わたしは今日けふまで思つてゐた。
鉱物からも、虫からも
立派な臙脂べには採れるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに真赤まつかな臙脂べにの採れるのを。


  アウギユスト

アウギユスト、アウギユスト、
わたしの五歳いつつになるアウギユスト、
おまへこそは「真実」の典型。
おまへが両手を拡げて
自然にする身振の一つでも、
わたしは、どうして、
わたしの言葉に訳すことが出来よう。
わたしは唯
ほれぼれと其れを眺めるだけですよ、
喜んで目を見張るだけですよ。
アウギユスト、アウギユスト、
母の粗末な芸術なんかが
ああ、何なんにならう。
私はおまへに由つて知ることが出来た。
真実の彫刻を、
真実の歌を、
真実の音楽を、
そして真実の愛を。
おまへは一瞬ごとに
神変しんぺん不思議を示し、
玲瓏れいろう円転として踊り廻る。


  産室うぶやの夜明よあけ

硝子ガラスの外そとのあけぼのは
青白あおしろき繭まゆのここち……
今一ひとすぢ仄ほのかに
音せぬ枝珊瑚えださんごの光を引きて、
わが産室うぶやの壁を匍ふものあり。
と見れば、嬉うれし、
初冬はつふゆのかよわなる
日の蝶てふの出づるなり。

ここに在るは、
たび死より逃れて還かへれる女――
青ざめし女われと、
生れて五日いつか目なる
我が藪椿やぶつばきの堅き蕾つぼみなす娘エレンヌと
一瓶いちびんの薔薇ばらと、
さて初恋の如ごとく含羞はにかめる
うす桃色の日の蝶てふと……
静かに清清すがすがしき曙あけぼのかな。
たふとくなつかしき日よ、われは今、
戦ひに傷つきたる者の如ごと
疲れて低く横たはりぬ。
されど、わが新しき感激は
拝日はいにち教徒の信の如ごとし、
わがさしのぶる諸手もろでを受けよ、
日よ、曙あけぼのの女王ぢよわうよ。

日よ、君にも夜よると冬の悩みあり、
千万年の昔より幾億たび、
死の苦に堪へて若返る
あまつ焔の力の雄雄ををしきかな。
われは猶なほ君に従はん、
わが生きて返れるは纔わずかに八たびのみ
わづかに八たび絶叫と、血と、
死の闇やみとを超えしのみ。


  颱風

ああ颱風、
初秋はつあきの野を越えて
都を襲ふ颱風、
なんぢこそ逞たくましき大馬おほうまの群むれなれ。

黄銅くわうどうの背せな
鉄の脚あし、黄金きんの蹄ひづめ
眼に遠き太陽を掛け、
たてがみに銀を散らしぬ。

火の鼻息はないき
水晶の雨を吹き、
あらく斜めに、
駆歩くほす、駆歩くほす。

ああ抑おさへがたき
てんの大馬おほうまの群むれよ、
いかれるや、
戯れて遊ぶや。

大樹だいじゆは逃のがれんとして、
地中の足を挙げ、
骨を挫くじき、手を折る。
空には飛ぶ鳥も無し。

人は怖おそれて戸を鎖せど、
世を裂く蹄ひづめの音に
屋根は崩れ、
いへは船よりも揺れぬ。

ああ颱風、
人は汝なんぢによりて、
今こそ覚むれ、
気不精きぶしやうと沮喪そさうとより。

こころよきかな、全身は
巨大なる象牙ざうげ
喇叭らつぱのここちして、
颱風と共に嘶いなゝく。


  冬が始まる

おお十一月、
冬が始まる。
冬よ、冬よ、
わたしはそなたを讃たゝへる。
弱い者と
なまけ者とには
もとより辛つらい季節。
しかし、四季の中に、
どうしてそなたを欠くことが出来よう。
すこやかな者と
勇敢な者とが
めされる季節、
いな、みづから試めす季節。
おお冬よ、
そなたの灰色の空は
人を圧あつしる。
けれども、常に心の曇らぬ人は
その空の陰鬱いんうつに克つて、
そなたの贈る
沍寒ごかんと、霜と、
雪と、北風とのなかに、
常に晴やかな太陽を望み、
春の香を嗅ぎ、
夏の光を感じることが出来る。
青春を引立てる季節、
ほんたうに血を流す
活動の季節、
意力を鞭むち打つ季節、
幻想を醗酵する季節、
冬よ、そなたの前に、
一人ひとりの厭人主義者ミザントロオプも無ければ、
一人ひとりの卑怯ひけふ者も無い、
人は皆、十二の偉勲を建てた
ヘルクレスの子孫のやうに見える。

わたしは更に冬を讃たゝへる。
まあ何なんと云
優しい、なつかしい他の一面を
冬よ、そなたの持つてゐることぞ。
その永い、しめやかな夜よる。……
ほだを焚く田舎の囲炉裏いろり……
都会のサロンの煖炉ストオブ……
おお家庭の季節、夜会やくわいの季節
会話の、読書の、
音楽の、劇の、踊をどりの、
愛の、鑑賞の、哲学の季節、
乳呑児ちのみごのために
びんの牛乳の腐らぬ季節、
さいセエヴルの杯さかづき
夜会服ロオブデコルテ
貴女きぢよも飲むリキユルの季節。
とり分き日本では
寒念仏かんねんぶつの、
臘八らふはち坐禅の、
夜業の、寒稽古かんげいこの、
きぬたの、香かうの、
茶の湯の季節、
紫の二枚襲がさね
唐織からおりの帯の落着く季節、
梅もどきの、
寒菊かんぎくの、
茶の花の、
寒牡丹かんぼたんの季節、
寺寺てらでらの鐘の冴える季節、
おお厳粛な一面の裏面うらに、
心憎きまで、
物の哀れさを知りぬいた冬よ、
たのしんで溺おぼれぬ季節、
感性と理性との調和した季節。
そなたは万物の無尽蔵、
ああ、わたしは冬の不思議を直視した。
うれしや、今、
その冬が始まる、始まる。

収穫とりいれの後のちの田に
落穂おちほを拾ふ女、
日の出前に霜を踏んで
工場こうばに急ぐ男、
兄弟よ、とにかく私達は働かう、
一層働かう、
冬の日の汗する快さは
わたし達無産者の景福けいふくである。
おお十一月、
冬が始まる。


  木下杢太郎さんの顔

友の額ひたひのうへに
刷毛はけの硬さもて逆立さかだつ黒髪、
その先すこしく渦巻き、
中に人差指ほど
あやまちて絵具の――
ブランダルジヤンの附きしかと……
また見直せば
遠山とほやまの襞ひだ
雪一筋ひとすぢ降れるかと。

しかれども
友は童顔、
いつまでも若き日の如ごと
物言へば頬の染み、
目は微笑ほゝゑみて、
いつまでも童顔、
とし四十しじふとなり給たまへども。

とし四十しじふとなり給たまへども、
若き人、
みづみづしき人、
初秋はつあきの陽光を全身に受けて、
人生の真紅しんくの木の実
そのものと見ゆる人。

友は何処いづこに行く、
なほも猶なほも高きへ、広きへ、
胸張りて、踏みしめて行く。
われはその足音に聞き入り、
その行方ゆくへを見守る。
科学者にして詩人、
に幾倍する友の欲の
おもりかに華やげるかな。

同じ世に生れて
相知れること二十年、
友の見る世界の片端に
我も曾かつて触れにき。
さは云へど、今はわれ
今はわれ漸やうやくに寂さびし。
たとふれば我心わがこゝろ
薄墨いろの桜、
だ時として
雛罌粟ひなげしの夢を見るのみ。

うらやまし、
友は童顔、
いつまでも童顔、
今日けふへば、いみじき
気高けだかささへも添ひ給たまへる。


  母ごころ

金糸雀カナリアの雛ひなを飼ふよりは
我子わがこを飼ふぞおもしろき。
ひなの初毛うぶげはみすぼらし、
おぼつかなしや、足取あしどりも。
たらひのなかに湯浴ゆあみする
よき肉づきの生みの児
白き裸を見るときは、
母の心を引立たす。
手足も、胴も、面おもざしも
を飼ふ親に似たるこそ、
かの異類なる金糸雀カナリヤ
ひなにまさりて親しけれ。
かくて、いつしか親の如ごと
物を思はれ、物云はん。
詩人、琴弾ことひき、医師、学者、
王、将軍にならずとも、
大船おほふねの火夫くわふ、いさなとり、
乃至ないし活字を拾ふとも、
我は我子わがこをはぐくまん、
金糸雀カナリヤの雛ひなを飼ふよりは。
(一九〇一年作)

  我子等よ

いとしき、いとしき我子等わがこらよ、
世に生れしは禍わざはひか、
たれか之これを「否いな」と云はん。

されど、また君達は知れかし、
これがために、我等――親も、子も――
一切の因襲を超えて、
自由と愛に生き得ることを、
みづからの力に由りて、
新らしき世界を始め得ることを。

いとしき、いとしき我子等わがこらよ、
世に生れしは幸ひか、
たれか之これを「否いな」と云はん。
いとしき、いとしき我子等わがこらよ、
今、君達のために、
この母は告げん。

君達は知れかし、
我等わがらの家いへに誇るべき祖先なきを、
私有する一尺の土地も無きを、
遊惰いうだの日を送る財さいも無きを。
君達はまた知れかし、
我等――親も子も――
行手ゆくてには悲痛の森、
寂寞せきばくの路みち
その避けがたきことを。


  親として

人の身にして己おのが児
愛することは天地あめつち
成しのままなる心なり。
けものも、鳥も、物云はぬ
木さへ、草さへ、おのづから
ひなと種たねとをはぐくみぬ。

児等こらに食ません欲なくば
人はおほかた怠おこたらん。
児等こらの栄えを思はずば
人は其その身を慎まじ。
の美うつくしさ素直さに
すべての親は浄きよまりぬ。

さても悲しや、今の世は
働く能のうを持ちながら、
職に離るる親多し。
いとしき心余れども
を養はんこと難がたし。
如何いかにすべきぞ、人に問ふ。


  正月

正月を、わたしは
元日ぐわんじつから月末つきずゑまで
大なまけになまけてゐる。
勿論もちろん遊ぶことは骨が折れぬ、
けれど、外ほかから思ふほど
決して、決して、おもしろくはない。
わたしはあの鼠色ねずみいろの雲だ、
晴れた空に
重苦しく停とゞまつて、
陰鬱いんうつな心を見せて居る雲だ。
わたしは断えず動きたい、
なにかをしたい、
さうでなければ、この家いへ
大勢が皆飢ゑねばならぬ。
わたしはいらいらする。
それでゐて何なにも手に附かない、
人知れず廻る
なまけぐせの毒酒どくしゆ
ああ、わたしは中てられた。
今日けふこそは何なにかしようと思ふばかりで、
わたしは毎日
つくねんと原稿紙を見詰めてゐる。
もう、わたしの上に
春の日は射さないのか、
春の鳥は啼かないのか。
わたしの内うちの火は消えたか。
あのじつと涙を呑むやうな
鼠色ねずみいろの雲よ、
そなたも泣きたかろ、泣きたかろ。
正月は唯だ徒いたづらに経つて行く。


  大きな黒い手

おお、寒い風が吹く。
皆さん、
もう夜明よあけ前ですよ。
お互たがひに大切なことは
「気を附け」の一語いちご
まだ見えて居ます、
われわれの上に
大きな黒い手。

だ片手ながら、
空に聳そびえて動かず、
その指は
じつと「死」を指してゐます。
石で圧されたやうに
我我の呼吸いきは苦しい。

けれど、皆さん、
我我は目が覚めてゐます。
今こそはつきりとした心で
見ることが出来ます、
太陽の在所ありかを。
また知ることが出来ます、
華やかな朝の近づくことを。

大きな黒い手、
それは弥いやが上に黒い。
その指は猶なほ
じつと「死」を指して居ます。
われわれの上に。


  絵師よ

わが絵師よ、
わが像を描き給たまはんとならば、
ねがはくば、ただ写したまへ、
わが瞳ひとみのみを、ただ一つ。

宇宙の中心が
太陽の火にある如ごとく、
われを端的に語る星は、
ひとみにこそあれ。

おお、愛欲の焔ほのほ
陶酔の虹にじ
直観の電光、
芸術本能の噴水。

わが絵師よ、
紺青こんじやうをもて塗り潰ぶしたる布に、
ただ一つ、写したまへ、
わが金色こんじきの瞳ひとみを。


  戦争

大錯誤おほまちがひの時が来た、
赤い恐怖おそれの時が来た、
野蛮が濶ひろい羽はねを伸し、
文明人が一斉に
食人族しよくじんぞくの仮面めんを被る。

ひとり世界を敵とする、
日耳曼人ゲルマンじんの大胆さ、
健気けなげさ、しかし此様このやう
悪の力の偏重へんちよう
調節されずに已まれよか。

いまは戦ふ時である、
戦嫌いくさぎらひのわたしさへ
今日けふ此頃このごろは気が昂あがる。
世界の霊と身と骨が
一度に呻うめく時が来た。

大陣痛だいぢんつうの時が来た、
生みの悩みの時が来た。
荒い血汐ちしほの洗礼で、
世界は更に新しい
知らぬ命を生むであろ。

れがすべての人類に
真の平和を持ち来きた
精神アアムでなくて何んであろ。
どんな犠牲を払うても
いまは戦ふ時である。


  歌はどうして作る

歌はどうして作る。
じつと観
じつと愛し、
じつと抱きしめて作る。
なにを。
「真実」を。

「真実」は何処どこに在る。
最も近くに在る。
いつも自分と一所いつしよに、
この目の観る下もと
この心の愛する前、
わが両手の中に。

「真実」は
うつくしい人魚、
ね且つ踊る、
ぴちぴちと踊る。
わが両手の中で、
わが感激の涙に濡れながら。

疑ふ人は来て見よ、
わが両手の中の人魚は
自然の海を出たまま、
一つ一つの鱗うろこ
大理石おほりせきの純白じゆんぱくのうへに
薔薇ばらの花の反射を持つてゐる。


  新しい人人

みんな何なにかを持つてゐる、
みんな何なにかを持つてゐる。
後ろから来る女の一列いちれつ
みんな何なにかを持つてゐる。

一人ひとりは右の手の上に
小さな青玉せいぎよくの宝塔。
一人ひとりは薔薇ばらと睡蓮すいれん
ふくいくと香る花束。

一人ひとりは左の腋わき
革表紙かはべうしの金字きんじの書物。
一人ひとりは肩の上に地球儀。
一人ひとりは両手に大きな竪琴たてごと

わたしには何んにも無い
わたしには何んにも無い。
身一つで踊るより外ほか
わたしには何んにも無い。


  黒猫

押しやれども、
またしても膝ひざに上のぼる黒猫。

生きた天鵝絨びろうどよ、
憎からぬ黒猫の手ざはり。

ねむたげな黒猫の目、
その奥から射る野性の力。

どうした機会はずみやら、をりをり、
緑金りよくこんに光るわが膝ひざの黒猫。


  曲馬の馬

競馬の馬の打勝たんとする鋭さならで
曲馬きよくばの馬は我を棄てし
服従の素速すばやき気転なり。

曲馬きよくばの馬の痩せたるは、
競馬の馬の逞たくましく美うつくしき優形やさがたと異なりぬ。
常に飢ひもじきが為め。

競馬の馬もいと稀まれに鞭むちを受く。
されど寧むしろ求めて鞭むち打たれ、その刺戟に跳をどる。
曲馬きよくばの馬の爛たゞれて癒ゆる間なき打傷うちきずと何いづれぞ。

競馬の馬と、曲馬きよくばの馬と、
たまたま市いちの大通おほどほりに行き会ひし時、
競馬の馬はその同族の堕落を見て涙ぐみぬ。

曲馬きよくばの馬は泣くべき暇いとまも無し、
慳貪けんどんなる黒奴くろんぼの曲馬きよくば師は
広告のため、楽隊の囃はやしに伴れて彼を歩あゆませぬ……


  夜の声

手風琴てふうきんが鳴る……
そんなに、そんなに、
驢馬ろばが啼くやうな、
鉄葉ブリキが慄ふるへるやうな、
歯が浮くやうな、
いやな手風琴てふうきんを鳴らさないで下さい。

鳴らさないで下さい、
そんなに仰山ぎやうさんな手風琴てふうきんを、
近所合壁がつぺきから邪慳じやけんに。
あれ、柱の割目われめにも、
電灯の球たまの中にも、
天井にも、卓の抽出ひきだしにも、
手風琴てふうきんの波が流れ込む。
だれた手風琴てふうきん
しよざいなさの手風琴てふうきん
しみつたれた手風琴てふうきん
からさわぎの手風琴てふうきん
鼻風邪を引いた手風琴てふうきん
中風症よい/\の手風琴てふうきん……

いろんな手風琴てふうきんを鳴らさないで下さい、
わたしには此この夜中よなかに、
じつと耳を澄まして
聞かねばならぬ声がある……
聞きたい聞きたい声がある……
遠い星あかりのやうな声、
金髪の一筋ひとすぢのやうな声、
水晶質の細い声……

手風琴てふうきんを鳴らさないで下さい。
わたしに還かへらうとするあの幽かすかな声が
乱される……紛れる……
途切れる……掻き消される……
ああどうしよう……また逃げて行つてしまつた……

「手風琴てふうきんを鳴らすな」と
思ひ切つて怒鳴どなつて見たが、
わたしにはもう声が無い、
有るのは真剣な態度ゼストばかり……
手風琴てふうきんが鳴る……煩うるさく鳴る……
柱も、電灯も、
天井も、卓も、瓶かめの花も、
手風琴てふうきんに合せて踊つてゐる……

さうだ、こんな処ところに待つて居ず
駆け出さう、あの闇やみの方へ。
……さて、わたしの声が彷徨さまよつてゐるのは
森か、荒野あらのか、海のはてか……
ああ、どなたでも教へて下さい、
わたしの大事な貴たふとい声の在処ありかを。


  自問自答

「我」とは何なにか、斯く問へば
物みな急に後込しりごみし、
あたりは白く静まりぬ。
いとよし、答ふる声なくば
みづから内うちに事こと問はん。

「我」とは何なにか、斯く問へば
あい、憎ぞう、喜、怒と名のりつつ
四人よたりの女あらはれぬ。
また智と信しんと名のりつつ
二人ふたりの男あらはれぬ。

われは其等それらをうち眺め、
しばらくありてつぶやきぬ。
「心の中のもののけよ、
そは皆われに映りたる
世と他人との姿なり。

知らんとするは、ほだされず
ねず、雑まじらず、従はぬ、
初生うぶ本来の我なるを、
消えよ」と云へば、諸声もろごゑ
泣き、憤いきどほり、罵のゝしりぬ。

今こそわれは冷ひやゝかに
いとよく我を見得みうるなれ。
「我」とは何なにか、答へぬも
まことあはれや、唖おしにして、
をどりを知れる肉なれば。


  我が泣く日

たそがれどきか、明方あけがたか、
わたしの泣くは決まり無し。
蛋白石色オパアルいろのあの空が
ふつと渦巻く海に見え、
波間なみまにもがく白い手の
けたサツフオオ、死にきれぬ
若い心のサツフオオを
ありあり眺めて共に泣く。
また虻あぶが啼く昼さがり、
金の箔はくおく連翹れんげうと、
銀と翡翠ひすゐの象篏ざうがん
丁子ちやうじの花の香のなかで、
あつい吐息をほつと吐
若い吉三きちさの前髪を
わたしの指は撫でながら、
そよ風のやうに泣いてゐる。


  伊香保の街

榛名山はるなさんの一角に、
段また段を成して、
羅馬ロオマ時代の
野外劇場アンフイテアトルの如ごとく、
斜めに刻み附けられた
桟敷形がたの伊香保いかほの街。

屋根の上に屋根、
部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿やどである。
そして、榛はんの若葉の光が
柔かい緑で
街全体を濡ぬらしてゐる。

街を縦に貫く本道ほんだう
雑多の店に縁ふちどられて、
長い長い石の階段を作り、
伊香保いかほ神社の前にまで、
エツチの字を無数に積み上げて、
殊更ことさらに建築家と絵師とを喜ばせる。


  市に住む木魂

木魂こだまは声の霊、
如何いかに微かすかなる声をも
早く感じ、早く知る。
常に時に先だつ彼女は
また常に若し。

近き世の木魂こだま
いちの中、大路おほぢ
並木の蔭かげに佇たゝずみ、
常に耳を澄まして聞く。
新しき生活の
諧音かいおん
如何いかに生じ、
如何いかに移るべきかを。

木魂こだまは稀まれにも
肉身にくしんを示さず、
人の狎れて
驚かざらんことを怖おそる。
だ折折をりをり
叫び且つ笑ふのみ。


  M氏に

小高こだかい丘の上へ、
なにかを叫ぼうとして、
あとから、後あとからと
駆け登つて行く人。

丘の下には
多勢おほぜいの人間が眠つてゐる。
もう、夜よるでは無い、
太陽は中天ちうてんに近づいてゐる。

登つて行く人、行く人が
丘の上に顔を出し、
胸を張り、両手を拡げて、
「兄弟よ」と呼ばはる時、
さつと血煙ちけぶりがその胸から立つ、
そして直ぐ其その人は後ろに倒れる。
陰険な狙撃そげきの矢に中あたつたのである。
次の人も、また次の人も、
みんな丘の上で同じ様に倒れる。

丘の下には
眠つてゐる人ばかりで無い、
目を覚さました人人ひとびとの中から
丘に登る予言者と
その予言者を殺す反逆者とが現れる。

多勢おほぜいの人間は何なにも知らずにゐる。
もう、夜よるでは無い、
太陽は中天ちうてんに近づいて光つてゐる。


  詩に就いての願ねがひ

詩は実感の彫刻、
ぎやうと行ぎやう
せつと節せつとの間あひだに陰影かげがある。
細部を包む
陰影いんえいは奥行おくゆき
それの深さに比例して、
自然の肉の片はしが
くつきりと
ぎやうの表おもてに浮き上がれ。

わたしの詩は粘土細工、
実感の彫刻は
材料に由りません。
省け、省け、
一線も
余計なものを加へまい。
自然の肉の片はしが
くつきりと
ぎやうの表おもてに浮き上がれ。


  宇宙と私

宇宙から生れて
宇宙のなかにゐる私が、
どうしてか、
その宇宙から離れてゐる。
だから、私は寂さびしい、
あなたと居ても寂さびしい。
けれど、また、折折をりをり
私は宇宙に還かへつて、
私が宇宙か、
宇宙が私か、解わからなくなる。
その時、私の心臓が宇宙の心臓、
その時、私の目が宇宙の目、
その時、私が泣くと、
万事を忘れて泣くと、
屹度きつと雨が降る。
でも、今日けふの私は寂さびしい、
その宇宙から離れてゐる。
あなたと居ても寂さびしい。


  白楊のもと

ひともとの
冬枯ふゆがれ
円葉柳まろはやなぎ
野の上に
ゴシツク風の塔を立て、

その下もと
野を越えて
白く光るは
遠からぬ
都の街の屋根と壁。

ここまでは
振返ふりかへ
都ぞ見ゆる。
後ろ髪
引かるる思ひ為ぬは無し。

さて一歩、
つれなくも
円葉柳まろはやなぎ
離るれば、
たれも帰らぬ旅の人。


  わが髪

わが髪は
又もほつるる。
朝ゆふに
なほざりならず櫛くしとれど。

ああ、誰たれ
髪美うつくしく
ひとすぢも
乱さぬことを忘るべき。

ほつるるは
髪の性さがなり、
やがて又
おさへがたなき思ひなり。


  坂本紅蓮洞さん

わが知れる一柱ひとはしらの神の御名みなを讃たたへまつる。
あはれ欠けざることなき「孤独清貧せいひん」の御霊みたま
ぐれんどうの命みことよ。

ぐれんどうの命みことにも著け給たまふ衣きぬあり。
よれよれの皺しはの波、酒染さかじみの雲、
煙草たばこの焼痕やけあとの霰あられ模様。

もとより痩せに痩せ給たまへば
きぬを透とほして乾物ひものの如ごとく骨だちぬ。
背丈の高きは冬の老木おいきのむきだしなるが如ごとし。

ぐれんどうの命みことの顳顬こめかみは音楽なり、
えず不思議なる何事なにごとかを弾きぬ。
どす黒く青き筋肉の蛇の節ふし廻し………

わが知れる芸術家の集りて、
女と酒とのある処ところ
ぐれんどうの命みこと必ず暴風あらしの如ごとく来きたりて罵のゝしり給たまふ。

何処いづこより来給きたまふや、知り難がたし、
一所いつしよ不住ふぢゆうの神なり、
きちがひ茄子なすの夢の如ごとく過ぎ給たまふ神なり。

ぐれんどうの命みことの御言葉みことばの荒さよ。
人皆その眷属けんぞくの如ごとくないがしろに呼ばれながら、
なほこの神と笑ひ興ずることを喜びぬ。


  焦燥せうさう

あれ、あれ、あれ、
あとから後あとからとのし掛つて、
ぐいぐいと喉元のどもとを締める
凡俗の生せいの圧迫………
心は気息いきを次ぐ間も無く、
どうすればいいかと
だ右へ左へうろうろ………

もう是れが癖になつた心は、
大やうな、初心うぶな、
時には迂濶うくわつらしくも見えた
あの好いたらしい様子を丸まるで失ひ、
氷のやうに冴えた
細身の刄先はさきを苛苛いらいら
ふだんに尖とがらす冷たさ。

そして心は見て見ぬ振ふり……
凡俗の生せいの圧迫に
思ひきりぶつ突かつて、
思ひきり撥ねとばされ、
ばつたり圧しへされた
これ、この無残な蛙かへるを――
わたしの青白い肉を。

けれど蛙かへるは死なない、
びくびくと顫ふるひつづけ、
次の刹那せつな
もう直ぐ前へ一歩、一歩、
裂けてはみだした膓はらわた
両手で抱きかかへて跳ぶ、跳ぶ。
そして此の人間の蛙かへるからは血が滴れる。

でも猶なほ心は見て見ぬ振ふり……
泣かうにも涙が切れた、
叫ぼうにも声が立たぬ。
乾いた心の唇をじつと噛みしめ、
黙つて唯だうろうろと踠もがくのは
人形だ、人形だ、
苦痛の弾機ばねの上に乗つた人形だ。


  人生

被眼布めかくししたる女にて我がありしを、
その被眼布めかくしは却かへりて我れに
しき光を導き、
よく物を透とほして見せつるを、
我が行く方かたに淡紅うすあかき、白き、
とりどりの石の柱ありて倚りしを、
花束と、没薬もつやくと、黄金わうごんの枝の果物と、
我が水鏡みづかゞみする青玉せいぎよくの泉と、
また我に接吻くちづけて羽羽はばたく白鳥はくてうと、
其等それらみな我の傍かたへを離れざりしを。

ああ、我が被眼布めかくしは落ちぬ。
天地あめつちは忽たちまちに状変さまかはり、
うすぐらき中に我は立つ。
こは既に日の入りはてしか、
のまだ明けざるか、
はた、とこしへに光なく、音なく、
のぞみなく、楽たのしみなく、
だ大いなる陰影かげのたなびく国なるか。

いなとよ、思へば、
これや我が目の俄にはかにも盲ひしならめ。
古き世界は古きままに、
日は真赤まつかなる空を渡り、
花は緑の枝に咲きみだれ、
人は皆春のさかりに、
鳥のごとく歌ひ交かはし、
うま酒は盃さかづきより滴したゝれど、
われ一人ひとりそを見ざるにやあらん。

いなとよ、また思へば、幸ひは
かの肉色にくいろの被眼布めかくしにこそありけれ、
いでや再びそれを結ばん。
われは戦をのゝく身を屈かゞめて
やみの底に冷たき手をさし伸ぶ。

あな、悲し、わが推しあての手探りに、
肉色にくいろの被眼布めかくしは触るる由よしも無し。
とゆき、かくゆき、さまよへる此処ここは何処いづこぞ、
かき曇りたる我が目にも其れと知るは、
永き夜の土を一際ひときは黒く圧
静かに寂さびしき扁柏いとすぎの森の蔭かげなるらし。


  或る若き女性に

頼む男のありながら
添はれずと云ふ君を見て、
一所いつしよに泣くは易やすけれど、
泣いて添はれる由よしも無し。

なになぐさめて云はんにも
甲斐かひなき明日あすの見通され、
それと知る身は本意ほいなくも
うち黙もだすこそ苦しけれ。

片おもひとて恋は恋、
ひとり光れる宝玉はうぎよく
君が抱いだきて悶もだゆるも
人の羨うらやむ幸さちながら、

海をよく知る船長は
早くも暴風しけを避くと云ひ、
賢き人は涙もて
身を浄きよむるを知ると云ふ。

君は何いづれを択えらぶらん、
かく問ふことも我はせず、
うち黙もだすこそ苦しけれ。
君は何いづれを択えらぶらん。


  君死にたまふことなかれ
(旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)   .
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
すゑに生れし君なれば
親のなさけは勝まさりしも、
親は刄やいばをにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四にじふしまでを育てしや。

さかいの街のあきびとの
老舗しにせを誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事なにごとぞ、
君は知らじな、あきびとの
いへの習ひに無きことを。

君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
けものの道みちに死ねよとは、
死ぬるを人の誉ほまれとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何いかで思おぼされん。

ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君ちゝぎみ
おくれたまへる母君はゝぎみは、
歎きのなかに、いたましく、
我子わがこを召され、家いへを守り、
やすしと聞ける大御代おほみよ
母の白髪しらがは増さりゆく。

暖簾のれんのかげに伏して泣く
あえかに若き新妻にひづま
君忘るるや、思へるや。
十月とつきも添はで別れたる
少女をとめごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰たれを頼むべき。
君死にたまふことなかれ。


  梅蘭芳に

うれしや、うれしや、梅蘭芳メイランフワン
今夜、世界は
(ほんに、まあ、華美はでな唐画たうぐわの世界、)
真赤まつかな、真赤まつか
石竹せきちくの色をして匂にほひます。
おお、あなた故に、梅蘭芳メイランフワン
あなたの美うつくしい楊貴妃やうきひゆゑに、梅蘭芳メイランフワン
愛に焦こがれた女ごころが
この不思議な芳かんばしい酒となり、
世界を浸ひたして流れます。
梅蘭芳メイランフワン
あなたも酔つてゐる、
あなたの楊貴妃やうきひも酔つてゐる、
世界も酔つてゐる、
わたしも酔つてゐる、
むしやうに高いソプラノの
支那しなの鼓弓こきうも酔つてゐる。
うれしや、うれしや、梅蘭芳メイランフワン


  京之介の絵
(少年雑誌のために)
これは不思議な家いへの絵だ、
いへでは無くて塔の絵だ。
見上げる限り、頑丈ぐわんぢやう
五階重ねた鉄づくり。

入口いりくちからは機関車が
煙を吐いて首を出し、
二階の上の露台ろたいには
だい起重機が据ゑてある。

また、三階の正面は
大きな窓が向日葵ひまはり
花で一いつぱい飾られて、
そこに誰たれやら一人ひとりゐる。

四階しかいの窓の横からは
長い梯子はしごが地に届き、
五階は更に最大の
望遠鏡が天に向く。

塔の尖端さきには黄金きんの旗、
「平和」の文字が靡なびいてる。
そして、此この絵を描いたのは
さい、優しい京之介きやうのすけ


  鳩と京之介
(少年雑誌のために)
秋の嵐あらしが荒れだして、
どの街の木も横倒よこたふし。
屋根の瓦かはらも、破風板はふいたも、
がれて紙のやうに飛ぶ。

おお、この荒れに、どの屋根で、
なにに打たれて傷きずしたか、
可愛かはいい一羽いちはのしら鳩はと
前の通りへ落ちて来た。

それと見るより八歳やつになる、
さい、優しい、京之介きやうのすけ
あらしの中に駆け寄つて、
じつと両手で抱き上げた。

きずした鳩はとは背が少し
うす桃色に染んでゐる。
それを眺めた京之介きやうのすけ
もう一いつぱいに目がうるむ。

はとを供れよと、口口くちぐち
腕白わんぱくどもが呼ばはれど、
大人おとなのやうに沈著おちついて、
かぶりを振つた京之介きやうのすけ


  Aの字の歌
(少年雑誌のために)
Aiアイ (愛あい)の頭字かしらじ、片仮名と
アルハベツトの書き初はじめ、
わたしの好きなAエエの字を
いろいろに見て歌ひましよ。

飾り気の無いAエエの字は
掘立ほつたて小屋の入はひり口くち
奥に見えるは板敷いたじきか、
茣蓙ござか、囲炉裏いろりか、飯台はんだいか。

さくて繊弱きやしやなAエエの字は
遠い岬に灯台を
ほつそりとして一つ立て、
それを繞めぐるは白い浪なみ

いつも優しいAエエの字は
象牙ざうげの琴柱ことぢ、その傍そば
目には見えぬが、好い節ふし
まぼろしの手が弾いてゐる。

いつも明るいAエエの字は
白水晶しろずゐしやうの三稜鏡プリズム
ななつの羽はねの美うつくしい
光の鳥をじつと抱く。

元気に満ちたAエエの字は
広い沙漠さばくの砂を踏み
さつく、さつくと大足おほあしに、
あちらを向いて急ぐ人。

つんとすましたAエエの字は
オリンプ山ざんの頂いただき
やりに代へたる銀白ぎんはく
ペンの尖さきを立ててゐる。

時にさびしいAエエの字は
半身はんしんだけを窓に出し、
ひぢをば突いて空を見る
三角頭巾づきんの尼すがた。

しかも威のあるAエエの字は
埃及エヂプトの野の朝ゆふに
雲の間あひだの日を浴びて
はるかに光る金字塔ピラミツド

そして折折をりをりエエの字は
道化役者のピエロオの
赤い尖とがつた帽となり、
わたしの前に踊り出す。


  蟻の歌
(少年雑誌のために)
ありよ、蟻ありよ、
黒い沢山たくさんの蟻ありよ、
お前さん達の行列を見ると、
はち、8はち、8はち、8はち
はち、8はち、8はち、8はち……
幾万と並んだ
はちの字の生きた鎖が動く。

ありよ、蟻ありよ、
そんなに並んで何処どこへ行く。
行軍かうぐんか、
運動会か、
二千メエトル競走か、
それとも遠いブラジルへ
移住して行く一隊か。

ありよ、蟻ありよ、
繊弱かよわな体で
なんと云ふ活撥くわつぱつなことだ。
全身を太陽に暴露さらして、
疲れもせず、
なまけもせず、
さつさ、さつさと進んで行く。

ありよ、蟻ありよ、
お前さん達はみんな
可愛かはいい、元気な8はちの字少年隊。
くがよい、
くがよい、
はち、8はち、8はち、8はち
はち、8はち、8はち、8はち………

 夢と現実-40篇 明日 肖像 読後 紅い夢 アウギユスト 産室の夜明 颱風 冬が始まる 木下杢太郎さんの顔 母ごころ 我子等よ 親として 
正月 大きな黒い手 絵師よ 戦争 歌はどうして作る 新しい人人 黒猫 曲馬の馬 夜の声 自問自答 我が泣く日 伊香保の街 市に住む木魂 
M氏に 詩に就いての願 宇宙と私 白楊のもと わが髪 坂本紅蓮洞さん 焦燥 人生 或る若き女性に 君死にたまふことなかれ 梅蘭芳に 
京之介の絵 鳩と京之介 Aの字の歌 蟻の歌 全集