夢と現実(雑詩四十章)
明日
明日
あすよ、明日
あすよ、
そなたはわたしの前にあつて
まだ踏まぬ未来の
不可思議の路
みちである。
どんなに苦しい日にも、わたしは
そなたに憬
こがれて励
はげみ、
どんなに楽
たのしい日にも、わたしは
そなたを望んで踊りあがる。
明日
あすよ、明日
あすよ、
死と飢
うゑとに追はれて歩くわたしは
たびたびそなたに失望する。
そなたがやがて平凡な今日
けふに変り、
灰色をした昨日
きのふになつてゆくのを
いつも、いつもわたしは恨んで居る。
そなたこそ人を釣る好
よい香
にほひの餌
ゑさだ、
光に似た煙だと咀
のろふことさへある。
けれど、わたしはそなたを頼んで、
祭の前夜の子供のやうに
「明日
あすよ、明日
あすよ」と歌ふ。
わたしの前には
まだまだ新しい無限の明日
あすがある。
よしや、そなたが涙を、悔
くいを、愛を、
名を、歓楽を、何
なにを持つて来ようとも、
そなたこそ今日
けふのわたしを引く力である。
肖像
わが敬
けいする画家よ、
願
ねがはくは、我がために、
一枚の像を描
ゑがきたまへ。
バツクには唯
ただ深夜の空、
無智と死と疑惑との色なる黒に、
深き悲痛の脂色
やにいろを交ぜたまへ。
髪みだせる裸の女、
そは青ざめし肉塊とのみや見えん。
じつと身ゆるぎもせず坐
すわりて、
尽きぬ涙を手に受けつつ傾く。
前なる目に見えぬ無底
むていの淵
ふちを覗
のぞく姿勢
かたち。
目は疲れてあり、
泣く前に、余りに現実を見たるため。
口は堅く緊
しまりぬ、
未
いまだ一
ひとたびも言はず歌はざる其
それの如
ごとく。
わが敬
けいする画家よ、
若
もし此
この像の女に、
明日
あすと云
いふ日のありと知らば、
トワルの何
いづれかに黄金
きんの目の光る一羽
いちはの梟
ふくろふを添へ給
たまへ。
されど、そは君が意に任せん、わが知らぬことなり。
さて画家よ、彩料
さいれうには
わが好むパステルを用ひたまへ、
剥落
はくらくと褪色
たいしよくとは
恐らく此
この像の女の運命なるべければ。
読後
晶子、ヅアラツストラを一日一夜
いちにちいちやに読み終り、
その暁
あかつき、ほつれし髪を掻
かき上げて呟
つぶやきぬ、
「辞
ことばの過ぎたるかな」と。
しかも、晶子の動悸
どうきは羅
うすものを透
とほして慄
ふるへ、
その全身の汗は産
さんの夜
よの如
ごとくなりき。
さて十日
とをか経
へたり。
晶子は青ざめて胃弱の人の如
ごとく、
この十日
とをか、良人
をつとと多く語らず、我子等
わがこらを抱
いだかず。
晶子の幻
まぼろしに見るは、ヅアラツストラの
黒き巨像の上げたる右の手なり。
紅い夢
茜
あかねと云
いふ草の葉を搾
しぼれば
臙脂
べにはいつでも採
とれるとばかり
わたしは今日
けふまで思つてゐた。
鉱物からも、虫からも
立派な臙脂
べには採
とれるのに。
そんな事はどうでもよい、
わたしは大事の大事を忘れてた、
夢からも、
わたしのよく見る夢からも、
こんなに真赤
まつかな臙脂
べにの採
とれるのを。
アウギユスト
アウギユスト、アウギユスト、
わたしの五歳
いつつになるアウギユスト、
おまへこそは「真実」の典型。
おまへが両手を拡げて
自然にする身振の一つでも、
わたしは、どうして、
わたしの言葉に訳すことが出来よう。
わたしは唯
ただ
ほれぼれと其
それを眺めるだけですよ、
喜んで目を見張るだけですよ。
アウギユスト、アウギユスト、
母の粗末な芸術なんかが
ああ、何
なんにならう。
私はおまへに由
よつて知ることが出来た。
真実の彫刻を、
真実の歌を、
真実の音楽を、
そして真実の愛を。
おまへは一瞬ごとに
神変
しんぺん不思議を示し、
玲瓏
れいろう円転として踊り廻る。
産室
うぶやの夜明
よあけ
硝子
ガラスの外
そとのあけぼのは
青白
あおしろき繭
まゆのここち……
今一
ひとすぢ仄
ほのかに
音せぬ枝珊瑚
えださんごの光を引きて、
わが産室
うぶやの壁を匍
はふものあり。
と見れば、嬉
うれし、
初冬
はつふゆのかよわなる
日の蝶
てふの出
いづるなり。
ここに在るは、
八
やたび死より逃れて還
かへれる女――
青ざめし女われと、
生れて五日
いつか目なる
我が藪椿
やぶつばきの堅き蕾
つぼみなす娘エレンヌと
一瓶
いちびんの薔薇
ばらと、
さて初恋の如
ごとく含羞
はにかめる
うす桃色の日の蝶
てふと……
静かに清清
すがすがしき曙
あけぼのかな。
尊
たふとくなつかしき日よ、われは今、
戦ひに傷つきたる者の如
ごとく
疲れて低く横たはりぬ。
されど、わが新しき感激は
拝日
はいにち教徒の信の如
ごとし、
わがさしのぶる諸手
もろでを受けよ、
日よ、曙
あけぼのの女王
ぢよわうよ。
日よ、君にも夜
よると冬の悩みあり、
千万年の昔より幾億たび、
死の苦に堪
たへて若返る
天
あまつ焔の力の雄雄
ををしきかな。
われは猶
なほ君に従はん、
わが生きて返れるは纔
わずかに八
やたびのみ
纔
わづかに八
やたび絶叫と、血と、
死の闇
やみとを超えしのみ。
颱風
ああ颱風、
初秋
はつあきの野を越えて
都を襲ふ颱風、
汝
なんぢこそ逞
たくましき大馬
おほうまの群
むれなれ。
黄銅
くわうどうの背
せな、
鉄の脚
あし、黄金
きんの蹄
ひづめ、
眼に遠き太陽を掛け、
鬣
たてがみに銀を散らしぬ。
火の鼻息
はないきに
水晶の雨を吹き、
暴
あらく斜めに、
駆歩
くほす、駆歩
くほす。
ああ抑
おさへがたき
天
てんの大馬
おほうまの群
むれよ、
怒
いかれるや、
戯れて遊ぶや。
大樹
だいじゆは逃
のがれんとして、
地中の足を挙げ、
骨を挫
くじき、手を折る。
空には飛ぶ鳥も無し。
人は怖
おそれて戸を鎖
させど、
世を裂く蹄
ひづめの音に
屋根は崩れ、
家
いへは船よりも揺れぬ。
ああ颱風、
人は汝
なんぢによりて、
今こそ覚
さむれ、
気不精
きぶしやうと沮喪
そさうとより。
こころよきかな、全身は
巨大なる象牙
ざうげの
喇叭
らつぱのここちして、
颱風と共に嘶
いなゝく。
冬が始まる
おお十一月、
冬が始まる。
冬よ、冬よ、
わたしはそなたを讃
たゝへる。
弱い者と
怠
なまけ者とには
もとより辛
つらい季節。
しかし、四季の中に、
どうしてそなたを欠くことが出来よう。
健
すこやかな者と
勇敢な者とが
試
ためされる季節、
否
いな、みづから試
ためす季節。
おお冬よ、
そなたの灰色の空は
人を圧
あつしる。
けれども、常に心の曇らぬ人は
その空の陰鬱
いんうつに克
かつて、
そなたの贈る
沍寒
ごかんと、霜と、
雪と、北風とのなかに、
常に晴やかな太陽を望み、
春の香
かを嗅
かぎ、
夏の光を感じることが出来る。
青春を引立てる季節、
ほんたうに血を流す
活動の季節、
意力を鞭
むち打つ季節、
幻想を醗酵する季節、
冬よ、そなたの前に、
一人
ひとりの厭人主義者
ミザントロオプも無ければ、
一人
ひとりの卑怯
ひけふ者も無い、
人は皆、十二の偉勲を建てた
ヘルクレスの子孫のやうに見える。
わたしは更に冬を讃
たゝへる。
まあ何
なんと云
いふ
優しい、なつかしい他
たの一面を
冬よ、そなたの持つてゐることぞ。
その永い、しめやかな夜
よる。……
榾
ほだを焚
たく田舎の囲炉裏
いろり……
都会のサロンの煖炉
ストオブ……
おお家庭の季節、夜会
やくわいの季節
会話の、読書の、
音楽の、劇の、踊
をどりの、
愛の、鑑賞の、哲学の季節、
乳呑児
ちのみごのために
罎
びんの牛乳の腐らぬ季節、
小
ちさいセエヴルの杯
さかづきで
夜会服
ロオブデコルテの
貴女
きぢよも飲むリキユルの季節。
とり分
わき日本では
寒念仏
かんねんぶつの、
臘八
らふはち坐禅の、
夜業の、寒稽古
かんげいこの、
砧
きぬたの、香
かうの、
茶の湯の季節、
紫の二枚襲
がさねに
唐織
からおりの帯の落着く季節、
梅もどきの、
寒菊
かんぎくの、
茶の花の、
寒牡丹
かんぼたんの季節、
寺寺
てらでらの鐘の冴
さえる季節、
おお厳粛な一面の裏面
うらに、
心憎きまで、
物の哀れさを知りぬいた冬よ、
楽
たのしんで溺
おぼれぬ季節、
感性と理性との調和した季節。
そなたは万物の無尽蔵、
ああ、わたしは冬の不思議を直視した。
嬉
うれしや、今、
その冬が始まる、始まる。
収穫
とりいれの後
のちの田に
落穂
おちほを拾ふ女、
日の出前に霜を踏んで
工場
こうばに急ぐ男、
兄弟よ、とにかく私達は働かう、
一層働かう、
冬の日の汗する快さは
わたし達無産者の景福
けいふくである。
おお十一月、
冬が始まる。
木下杢太郎さんの顔
友の額
ひたひのうへに
刷毛
はけの硬さもて逆立
さかだつ黒髪、
その先すこしく渦巻き、
中に人差指ほど
過
あやまちて絵具の――
ブランダルジヤンの附
つきしかと……
また見直せば
遠山
とほやまの襞
ひだに
雪一筋
ひとすぢ降れるかと。
然
しかれども
友は童顔、
いつまでも若き日の如
ごとく
物言へば頬
ほの染
そみ、
目は微笑
ほゝゑみて、
いつまでも童顔、
年
とし四十
しじふとなり給
たまへども。
年
とし四十
しじふとなり給
たまへども、
若き人、
みづみづしき人、
初秋
はつあきの陽光を全身に受けて、
人生の真紅
しんくの木
この実
そのものと見ゆる人。
友は何処
いづこに行
いく、
猶
なほも猶
なほも高きへ、広きへ、
胸張りて、踏みしめて行
いく。
われはその足音に聞き入
いり、
その行方
ゆくへを見守る。
科学者にして詩人、
他
たに幾倍する友の欲の
重
おもりかに華やげるかな。
同じ世に生れて
相知れること二十年、
友の見る世界の片端に
我も曾
かつて触れにき。
さは云
いへど、今はわれ
今はわれ漸
やうやくに寂
さびし。
譬
たとふれば我心
わがこゝろは
薄墨いろの桜、
唯
ただ時として
雛罌粟
ひなげしの夢を見るのみ。
羨
うらやまし、
友は童顔、
いつまでも童顔、
今日
けふ逢
あへば、いみじき
気高
けだかささへも添ひ給
たまへる。
母ごころ
金糸雀
カナリアの雛
ひなを飼ふよりは
我子
わがこを飼ふぞおもしろき。
雛
ひなの初毛
うぶげはみすぼらし、
おぼつかなしや、足取
あしどりも。
盥
たらひのなかに湯浴
ゆあみする
よき肉づきの生みの児
この
白き裸を見るときは、
母の心を引立たす。
手足も、胴も、面
おもざしも
汝
なを飼ふ親に似たるこそ、
かの異類なる金糸雀
カナリヤの
雛
ひなにまさりて親しけれ。
かくて、いつしか親の如
ごと、
物を思はれ、物云
いはん。
詩人、琴弾
ことひき、医師、学者、
王、将軍にならずとも、
大船
おほふねの火夫
くわふ、いさなとり、
乃至
ないし活字を拾ふとも、
我は我子
わがこをはぐくまん、
金糸雀
カナリヤの雛
ひなを飼ふよりは。
(一九〇一年作)
我子等よ
いとしき、いとしき我子等
わがこらよ、
世に生れしは禍
わざはひか、
誰
たれか之
これを「否
いな」と云
いはん。
されど、また君達は知れかし、
之
これがために、我等――親も、子も――
一切の因襲を超えて、
自由と愛に生き得
うることを、
みづからの力に由
よりて、
新らしき世界を始め得
うることを。
いとしき、いとしき我子等
わがこらよ、
世に生れしは幸ひか、
誰
たれか之
これを「否
いな」と云
いはん。
いとしき、いとしき我子等
わがこらよ、
今、君達のために、
この母は告げん。
君達は知れかし、
我等
わがらの家
いへに誇るべき祖先なきを、
私有する一尺の土地も無きを、
遊惰
いうだの日を送る財
さいも無きを。
君達はまた知れかし、
我等――親も子も――
行手
ゆくてには悲痛の森、
寂寞
せきばくの路
みち、
その避けがたきことを。
親として
人の身にして己
おのが児
こを
愛することは天地
あめつちの
成しのままなる心なり。
けものも、鳥も、物云
いはぬ
木さへ、草さへ、おのづから
雛
ひなと種
たねとをはぐくみぬ。
児等
こらに食
はません欲なくば
人はおほかた怠
おこたらん。
児等
こらの栄えを思はずば
人は其
その身を慎まじ。
児
この美
うつくしさ素直さに
すべての親は浄
きよまりぬ。
さても悲しや、今の世は
働く能
のうを持ちながら、
職に離るる親多し。
いとしき心余れども
児
こを養はんこと難
がたし。
如何
いかにすべきぞ、人に問ふ。
正月
正月を、わたしは
元日
ぐわんじつから月末
つきずゑまで
大なまけになまけてゐる。
勿論
もちろん遊ぶことは骨が折れぬ、
けれど、外
ほかから思ふほど
決して、決して、おもしろくはない。
わたしはあの鼠色
ねずみいろの雲だ、
晴れた空に
重苦しく停
とゞまつて、
陰鬱
いんうつな心を見せて居る雲だ。
わたしは断
たえず動きたい、
何
なにかをしたい、
さうでなければ、この家
いへの
大勢が皆飢ゑねばならぬ。
わたしはいらいらする。
それでゐて何
なにも手に附
つかない、
人知れず廻る
なまけぐせの毒酒
どくしゆに
ああ、わたしは中
あてられた。
今日
けふこそは何
なにかしようと思ふばかりで、
わたしは毎日
つくねんと原稿紙
しを見詰めてゐる。
もう、わたしの上に
春の日は射
ささないのか、
春の鳥は啼
なかないのか。
わたしの内
うちの火は消えたか。
あのじつと涙を呑
のむやうな
鼠色
ねずみいろの雲よ、
そなたも泣きたかろ、泣きたかろ。
正月は唯
ただ徒
いたづらに経
たつて行
ゆく。
大きな黒い手
おお、寒い風が吹く。
皆さん、
もう夜明
よあけ前ですよ。
お互
たがひに大切なことは
「気を附
つけ」の一語
いちご。
まだ見えて居ます、
われわれの上に
大きな黒い手。
唯
ただ片手ながら、
空に聳
そびえて動かず、
その指は
じつと「死」を指してゐます。
石で圧
おされたやうに
我我の呼吸
いきは苦しい。
けれど、皆さん、
我我は目が覚めてゐます。
今こそはつきりとした心で
見ることが出来ます、
太陽の在所
ありかを。
また知ることが出来ます、
華やかな朝の近づくことを。
大きな黒い手、
それは弥
いやが上に黒い。
その指は猶
なほ
じつと「死」を指して居ます。
われわれの上に。
絵師よ
わが絵師よ、
わが像を描
かき給
たまはんとならば、
願
ねがはくば、ただ写したまへ、
わが瞳
ひとみのみを、ただ一つ。
宇宙の中心が
太陽の火にある如
ごとく、
われを端的に語る星は、
瞳
ひとみにこそあれ。
おお、愛欲の焔
ほのほ、
陶酔の虹
にじ、
直観の電光、
芸術本能の噴水。
わが絵師よ、
紺青
こんじやうをもて塗り潰
つぶしたる布に、
ただ一つ、写したまへ、
わが金色
こんじきの瞳
ひとみを。
戦争
大錯誤
おほまちがひの時が来た、
赤い恐怖
おそれの時が来た、
野蛮が濶
ひろい羽
はねを伸し、
文明人が一斉に
食人族
しよくじんぞくの仮面
めんを被
きる。
ひとり世界を敵とする、
日耳曼人
ゲルマンじんの大胆さ、
健気
けなげさ、しかし此様
このやうな
悪の力の偏重
へんちようが
調節されずに已
やまれよか。
いまは戦ふ時である、
戦嫌
いくさぎらひのわたしさへ
今日
けふ此頃
このごろは気が昂
あがる。
世界の霊と身と骨が
一度に呻
うめく時が来た。
大陣痛
だいぢんつうの時が来た、
生みの悩みの時が来た。
荒い血汐
ちしほの洗礼で、
世界は更に新しい
知らぬ命を生むであろ。
其
それがすべての人類に
真の平和を持ち来
きたす
精神
アアムでなくて何
なんであろ。
どんな犠牲を払うても
いまは戦ふ時である。
歌はどうして作る
歌はどうして作る。
じつと観
み、
じつと愛し、
じつと抱きしめて作る。
何
なにを。
「真実」を。
「真実」は何処
どこに在る。
最も近くに在る。
いつも自分と一所
いつしよに、
この目の観
みる下
もと、
この心の愛する前、
わが両手の中に。
「真実」は
美
うつくしい人魚、
跳
はね且
かつ踊る、
ぴちぴちと踊る。
わが両手の中で、
わが感激の涙に濡
ぬれながら。
疑ふ人は来て見よ、
わが両手の中の人魚は
自然の海を出たまま、
一つ一つの鱗
うろこが
大理石
おほりせきの純白
じゆんぱくのうへに
薔薇
ばらの花の反射を持つてゐる。
新しい人人
みんな何
なにかを持つてゐる、
みんな何
なにかを持つてゐる。
後ろから来る女の一列
いちれつ、
みんな何
なにかを持つてゐる。
一人
ひとりは右の手の上に
小さな青玉
せいぎよくの宝塔。
一人
ひとりは薔薇
ばらと睡蓮
すいれんの
ふくいくと香る花束。
一人
ひとりは左の腋
わきに
革表紙
かはべうしの金字
きんじの書物。
一人
ひとりは肩の上に地球儀。
一人
ひとりは両手に大きな竪琴
たてごと。
わたしには何
なんにも無い
わたしには何
なんにも無い。
身一つで踊るより外
ほかに
わたしには何
なんにも無い。
黒猫
押しやれども、
またしても膝
ひざに上
のぼる黒猫。
生きた天鵝絨
びろうどよ、
憎からぬ黒猫の手ざはり。
ねむたげな黒猫の目、
その奥から射る野性の力。
どうした機会
はずみやら、をりをり、
緑金
りよくこんに光るわが膝
ひざの黒猫。
曲馬の馬
競馬の馬の打勝たんとする鋭さならで
曲馬
きよくばの馬は我を棄
すてし
服従の素速
すばやき気転なり。
曲馬
きよくばの馬の痩
やせたるは、
競馬の馬の逞
たくましく美
うつくしき優形
やさがたと異なりぬ。
常に飢
ひもじきが為
ため。
競馬の馬もいと稀
まれに鞭
むちを受く。
されど寧
むしろ求めて鞭
むち打たれ、その刺戟に跳
をどる。
曲馬
きよくばの馬の爛
たゞれて癒
いゆる間
まなき打傷
うちきずと何
いづれぞ。
競馬の馬と、曲馬
きよくばの馬と、
偶
たまたま市
いちの大通
おほどほりに行
ゆき会ひし時、
競馬の馬はその同族の堕落を見て涙ぐみぬ。
曲馬
きよくばの馬は泣くべき暇
いとまも無し、
慳貪
けんどんなる黒奴
くろんぼの曲馬
きよくば師は
広告のため、楽隊の囃
はやしに伴
つれて彼を歩
あゆませぬ……
夜の声
手風琴
てふうきんが鳴る……
そんなに、そんなに、
驢馬
ろばが啼
なくやうな、
鉄葉
ブリキが慄
ふるへるやうな、
歯が浮くやうな、
厭
いやな手風琴
てふうきんを鳴らさないで下さい。
鳴らさないで下さい、
そんなに仰山
ぎやうさんな手風琴
てふうきんを、
近所合壁
がつぺきから邪慳
じやけんに。
あれ、柱の割目
われめにも、
電灯の球
たまの中にも、
天井にも、卓の抽出
ひきだしにも、
手風琴
てふうきんの波が流れ込む。
だれた手風琴
てふうきん、
しよざいなさの手風琴
てふうきん、
しみつたれた手風琴
てふうきん、
からさわぎの手風琴
てふうきん、
鼻風邪を引いた手風琴
てふうきん、
中風症
よい/\の手風琴
てふうきん……
いろんな手風琴
てふうきんを鳴らさないで下さい、
わたしには此
この夜中
よなかに、
じつと耳を澄まして
聞かねばならぬ声がある……
聞きたい聞きたい声がある……
遠い星あかりのやうな声、
金髪の一筋
ひとすぢのやうな声、
水晶質の細い声……
手風琴
てふうきんを鳴らさないで下さい。
わたしに還
かへらうとするあの幽
かすかな声が
乱される……紛れる……
途切れる……掻
かき消される……
ああどうしよう……また逃げて行つてしまつた……
「手風琴
てふうきんを鳴らすな」と
思ひ切つて怒鳴
どなつて見たが、
わたしにはもう声が無い、
有るのは真剣な態度
ゼストばかり……
手風琴
てふうきんが鳴る……煩
うるさく鳴る……
柱も、電灯も、
天井も、卓も、瓶
かめの花も、
手風琴
てふうきんに合せて踊つてゐる……
さうだ、こんな処
ところに待つて居ず
駆け出さう、あの闇
やみの方へ。
……さて、わたしの声が彷徨
さまよつてゐるのは
森か、荒野
あらのか、海のはてか……
ああ、どなたでも教へて下さい、
わたしの大事な貴
たふとい声の在処
ありかを。
自問自答
「我」とは何
なにか、斯
かく問へば
物みな急に後込
しりごみし、
あたりは白く静まりぬ。
いとよし、答ふる声なくば
みづから内
うちに事
こと問はん。
「我」とは何
なにか、斯
かく問へば
愛
あい、憎
ぞう、喜
き、怒
どと名のりつつ
四人
よたりの女あらはれぬ。
また智
ちと信
しんと名のりつつ
二人
ふたりの男あらはれぬ。
われは其等
それらをうち眺め、
しばらくありてつぶやきぬ。
「心の中のもののけよ、
そは皆われに映りたる
世と他人との姿なり。
知らんとするは、ほだされず
模
まねず、雑
まじらず、従はぬ、
初生
うぶ本来の我なるを、
消えよ」と云
いへば、諸声
もろごゑに
泣き、憤
いきどほり、罵
のゝしりぬ。
今こそわれは冷
ひやゝかに
いとよく我を見得
みうるなれ。
「我」とは何
なにか、答へぬも
まことあはれや、唖
おしにして、
踊
をどりを知れる肉なれば。
我が泣く日
たそがれどきか、明方
あけがたか、
わたしの泣くは決まり無し。
蛋白石色
オパアルいろのあの空が
ふつと渦巻く海に見え、
波間
なみまにもがく白い手の
老
ふけたサツフオオ、死にきれぬ
若い心のサツフオオを
ありあり眺めて共に泣く。
また虻
あぶが啼
なく昼さがり、
金の箔
はくおく連翹
れんげうと、
銀と翡翠
ひすゐの象篏
ざうがんの
丁子
ちやうじの花の香
かのなかで、
熱
あつい吐息をほつと吐
つく
若い吉三
きちさの前髪を
わたしの指は撫
なでながら、
そよ風のやうに泣いてゐる。
伊香保の街
榛名山
はるなさんの一角に、
段また段を成して、
羅馬
ロオマ時代の
野外劇場
アンフイテアトルの如
ごとく、
斜めに刻み附
つけられた
桟敷形
がたの伊香保
いかほの街。
屋根の上に屋根、
部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿
やどである。
そして、榛
はんの若葉の光が
柔かい緑で
街全体を濡
ぬらしてゐる。
街を縦に貫く本道
ほんだうは
雑多の店に縁
ふちどられて、
長い長い石の階段を作り、
伊香保
いかほ神社の前にまで、
H
エツチの字を無数に積み上げて、
殊更
ことさらに建築家と絵師とを喜ばせる。
市に住む木魂
木魂
こだまは声の霊、
如何
いかに微
かすかなる声をも
早く感じ、早く知る。
常に時に先だつ彼女は
また常に若し。
近き世の木魂
こだまは
市
いちの中、大路
おほぢの
並木の蔭
かげに佇
たゝずみ、
常に耳を澄まして聞く。
新しき生活の
諧音
かいおんの
如何
いかに生じ、
如何
いかに移るべきかを。
木魂
こだまは稀
まれにも
肉身
にくしんを示さず、
人の狎
なれて
驚かざらんことを怖
おそる。
唯
ただ折折
をりをりに
叫び且
かつ笑ふのみ。
M氏に
小高
こだかい丘の上へ、
何
なにかを叫ぼうとして、
後
あとから、後
あとからと
駆け登つて行
ゆく人。
丘の下には
多勢
おほぜいの人間が眠つてゐる。
もう、夜
よるでは無い、
太陽は中天
ちうてんに近づいてゐる。
登つて行
ゆく人、行
ゆく人が
丘の上に顔を出し、
胸を張り、両手を拡げて、
「兄弟よ」と呼ばはる時、
さつと血煙
ちけぶりがその胸から立つ、
そして直
すぐ其
その人は後ろに倒れる。
陰険な狙撃
そげきの矢に中
あたつたのである。
次の人も、また次の人も、
みんな丘の上で同じ様に倒れる。
丘の下には
眠つてゐる人ばかりで無い、
目を覚
さました人人
ひとびとの中から
丘に登る予言者と
その予言者を殺す反逆者とが現れる。
多勢
おほぜいの人間は何
なにも知らずにゐる。
もう、夜
よるでは無い、
太陽は中天
ちうてんに近づいて光つてゐる。
詩に就
ついての願
ねがひ
詩は実感の彫刻、
行
ぎやうと行
ぎやう、
節
せつと節
せつとの間
あひだに陰影
かげがある。
細部を包む
陰影
いんえいは奥行
おくゆき、
それの深さに比例して、
自然の肉の片はしが
くつきりと
行
ぎやうの表
おもてに浮き上がれ。
わたしの詩は粘土細工、
実感の彫刻は
材料に由
よりません。
省け、省け、
一線も
余計なものを加へまい。
自然の肉の片はしが
くつきりと
行
ぎやうの表
おもてに浮き上がれ。
宇宙と私
宇宙から生れて
宇宙のなかにゐる私が、
どうしてか、
その宇宙から離れてゐる。
だから、私は寂
さびしい、
あなたと居ても寂
さびしい。
けれど、また、折折
をりをり、
私は宇宙に還
かへつて、
私が宇宙か、
宇宙が私か、解
わからなくなる。
その時、私の心臓が宇宙の心臓、
その時、私の目が宇宙の目、
その時、私が泣くと、
万事を忘れて泣くと、
屹度
きつと雨が降る。
でも、今日
けふの私は寂
さびしい、
その宇宙から離れてゐる。
あなたと居ても寂
さびしい。
白楊のもと
ひともとの
冬枯
ふゆがれの
円葉柳
まろはやなぎは
野の上に
ゴシツク風の塔を立て、
その下
もとに
野を越えて
白く光るは
遠からぬ
都の街の屋根と壁。
ここまでは
振返
ふりかへり
都ぞ見ゆる。
後ろ髪
引かるる思ひ為
せぬは無し。
さて一歩、
つれなくも
円葉柳
まろはやなぎを
離るれば、
誰
たれも帰らぬ旅の人。
わが髪
わが髪は
又もほつるる。
朝ゆふに
なほざりならず櫛
くしとれど。
ああ、誰
たれか
髪美
うつくしく
一
ひとすぢも
乱さぬことを忘るべき。
ほつるるは
髪の性
さがなり、
やがて又
抑
おさへがたなき思ひなり。
坂本紅蓮洞さん
わが知れる一柱
ひとはしらの神の御名
みなを讃
たたへまつる。
あはれ欠けざることなき「孤独清貧
せいひん」の御霊
みたま、
ぐれんどうの命
みことよ。
ぐれんどうの命
みことにも著
つけ給
たまふ衣
きぬあり。
よれよれの皺
しはの波、酒染
さかじみの雲、
煙草
たばこの焼痕
やけあとの霰
あられ模様。
もとより痩
やせに痩
やせ給
たまへば
衣
きぬを透
とほして乾物
ひものの如
ごとく骨だちぬ。
背丈の高きは冬の老木
おいきのむきだしなるが如
ごとし。
ぐれんどうの命
みことの顳顬
こめかみは音楽なり、
断
たえず不思議なる何事
なにごとかを弾きぬ。
どす黒く青き筋肉の蛇の節
ふし廻し………
わが知れる芸術家の集りて、
女と酒とのある処
ところ、
ぐれんどうの命
みこと必ず暴風
あらしの如
ごとく来
きたりて罵
のゝしり給
たまふ。
何処
いづこより来給
きたまふや、知り難
がたし、
一所
いつしよ不住
ふぢゆうの神なり、
きちがひ茄子
なすの夢の如
ごとく過ぎ給
たまふ神なり。
ぐれんどうの命
みことの御言葉
みことばの荒さよ。
人皆その眷属
けんぞくの如
ごとくないがしろに呼ばれながら、
猶
なほこの神と笑ひ興ずることを喜びぬ。
焦燥
せうさう
あれ、あれ、あれ、
後
あとから後
あとからとのし掛つて、
ぐいぐいと喉元
のどもとを締める
凡俗の生
せいの圧迫………
心は気息
いきを次
つぐ間
まも無く、
どうすればいいかと
唯
ただ右へ左へうろうろ………
もう是
これが癖になつた心は、
大やうな、初心
うぶな、
時には迂濶
うくわつらしくも見えた
あの好
すいたらしい様子を丸
まるで失ひ、
氷のやうに冴
さえた
細身の刄先
はさきを苛苛
いらいらと
ふだんに尖
とがらす冷たさ。
そして心は見て見ぬ振
ふり……
凡俗の生
せいの圧迫に
思ひきりぶつ突
つかつて、
思ひきり撥
はねとばされ、
ばつたり圧
おしへされた
これ、この無残な蛙
かへるを――
わたしの青白い肉を。
けれど蛙
かへるは死なない、
びくびくと顫
ふるひつづけ、
次の刹那
せつなに
もう直
すぐ前へ一歩、一歩、
裂けてはみだした膓
はらわたを
両手で抱きかかへて跳ぶ、跳ぶ。
そして此
この人間の蛙
かへるからは血が滴
たれる。
でも猶
なほ心は見て見ぬ振
ふり……
泣かうにも涙が切れた、
叫ぼうにも声が立たぬ。
乾いた心の唇をじつと噛
かみしめ、
黙つて唯
ただうろうろと踠
もがくのは
人形だ、人形だ、
苦痛の弾機
ばねの上に乗つた人形だ。
人生
被眼布
めかくししたる女にて我がありしを、
その被眼布
めかくしは却
かへりて我
われに
奇
くしき光を導き、
よく物を透
とほして見せつるを、
我が行
ゆく方
かたに淡紅
うすあかき、白き、
とりどりの石の柱ありて倚
よりしを、
花束と、没薬
もつやくと、黄金
わうごんの枝の果物と、
我が水鏡
みづかゞみする青玉
せいぎよくの泉と、
また我に接吻
くちづけて羽羽
はばたく白鳥
はくてうと、
其等
それらみな我の傍
かたへを離れざりしを。
ああ、我が被眼布
めかくしは落ちぬ。
天地
あめつちは忽
たちまちに状変
さまかはり、
うすぐらき中に我は立つ。
こは既に日の入
いりはてしか、
夜
よのまだ明けざるか、
はた、とこしへに光なく、音なく、
望
のぞみなく、楽
たのしみなく、
唯
ただ大いなる陰影
かげのたなびく国なるか。
否
いなとよ、思へば、
これや我が目の俄
にはかにも盲
しひしならめ。
古き世界は古きままに、
日は真赤
まつかなる空を渡り、
花は緑の枝に咲きみだれ、
人は皆春のさかりに、
鳥のごとく歌ひ交
かはし、
うま酒は盃
さかづきより滴
したゝれど、
われ一人
ひとりそを見ざるにやあらん。
否
いなとよ、また思へば、幸ひは
かの肉色
にくいろの被眼布
めかくしにこそありけれ、
いでや再びそれを結ばん。
われは戦
をのゝく身を屈
かゞめて
闇
やみの底に冷たき手をさし伸ぶ。
あな、悲し、わが推
おしあての手探りに、
肉色
にくいろの被眼布
めかくしは触るる由
よしも無し。
とゆき、かくゆき、さまよへる此処
ここは何処
いづこぞ、
かき曇りたる我が目にも其
それと知るは、
永き夜
よの土を一際
ひときは黒く圧
おす
静かに寂
さびしき扁柏
いとすぎの森の蔭
かげなるらし。
或る若き女性に
頼む男のありながら
添はれずと云
いふ君を見て、
一所
いつしよに泣くは易
やすけれど、
泣いて添はれる由
よしも無し。
何
なになぐさめて云
いはんにも
甲斐
かひなき明日
あすの見通され、
それと知る身は本意
ほいなくも
うち黙
もだすこそ苦しけれ。
片おもひとて恋は恋、
ひとり光れる宝玉
はうぎよくを
君が抱
いだきて悶
もだゆるも
人の羨
うらやむ幸
さちながら、
海をよく知る船長は
早くも暴風
しけを避
さくと云
いひ、
賢き人は涙もて
身を浄
きよむるを知ると云
いふ。
君は何
いづれを択
えらぶらん、
かく問ふことも我はせず、
うち黙
もだすこそ苦しけれ。
君は何
いづれを択
えらぶらん。
君死にたまふことなかれ
(旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて) .
ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末
すゑに生れし君なれば
親のなさけは勝
まさりしも、
親は刄
やいばをにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四
にじふしまでを育てしや。
堺
さかいの街のあきびとの
老舗
しにせを誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事
なにごとぞ、
君は知らじな、あきびとの
家
いへの習ひに無きことを。
君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出
いでまさね、
互
かたみに人の血を流し、
獣
けものの道
みちに死ねよとは、
死ぬるを人の誉
ほまれとは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何
いかで思
おぼされん。
ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君
ちゝぎみに
おくれたまへる母君
はゝぎみは、
歎きのなかに、いたましく、
我子
わがこを召
めされ、家
いへを守
もり、
安
やすしと聞ける大御代
おほみよも
母の白髪
しらがは増さりゆく。
暖簾
のれんのかげに伏して泣く
あえかに若き新妻
にひづまを
君忘るるや、思へるや。
十月
とつきも添はで別れたる
少女
をとめごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰
たれを頼むべき。
君死にたまふことなかれ。
梅蘭芳に
うれしや、うれしや、梅蘭芳
メイランフワン
今夜、世界は
(ほんに、まあ、華美
はでな唐画
たうぐわの世界、)
真赤
まつかな、真赤
まつかな
石竹
せきちくの色をして匂
にほひます。
おお、あなた故に、梅蘭芳
メイランフワン、
あなたの美
うつくしい楊貴妃
やうきひゆゑに、梅蘭芳
メイランフワン、
愛に焦
こがれた女ごころが
この不思議な芳
かんばしい酒となり、
世界を浸
ひたして流れます。
梅蘭芳
メイランフワン、
あなたも酔
ゑつてゐる、
あなたの楊貴妃
やうきひも酔
ゑつてゐる、
世界も酔
ゑつてゐる、
わたしも酔
ゑつてゐる、
むしやうに高いソプラノの
支那
しなの鼓弓
こきうも酔
ゑつてゐる。
うれしや、うれしや、梅蘭芳
メイランフワン。
京之介の絵
(少年雑誌のために)
これは不思議な家
いへの絵だ、
家
いへでは無くて塔の絵だ。
見上げる限り、頑丈
ぐわんぢやうに
五階重ねた鉄づくり。
入口
いりくちからは機関車が
煙を吐いて首を出し、
二階の上の露台
ろたいには
大
だい起重機が据ゑてある。
また、三階の正面は
大きな窓が向日葵
ひまはりの
花で一
いつぱい飾られて、
そこに誰
たれやら一人
ひとりゐる。
四階
しかいの窓の横からは
長い梯子
はしごが地に届き、
五階は更に最大の
望遠鏡が天に向く。
塔の尖端
さきには黄金
きんの旗、
「平和」の文字が靡
なびいてる。
そして、此
この絵を描
かいたのは
小
ちさい、優しい京之介
きやうのすけ。
鳩と京之介
(少年雑誌のために)
秋の嵐
あらしが荒
あれだして、
どの街の木も横倒
よこたふし。
屋根の瓦
かはらも、破風板
はふいたも、
剥
はがれて紙のやうに飛ぶ。
おお、この荒
あれに、どの屋根で、
何
なにに打たれて傷
きずしたか、
可愛
かはいい一羽
いちはのしら鳩
はとが
前の通りへ落ちて来た。
それと見るより八歳
やつになる、
小
ちさい、優しい、京之介
きやうのすけ、
嵐
あらしの中に駆け寄つて、
じつと両手で抱き上げた。
傷
きずした鳩
はとは背が少し
うす桃色に染
そんでゐる。
それを眺めた京之介
きやうのすけ、
もう一
いつぱいに目がうるむ。
鳩
はとを供
くれよと、口口
くちぐちに
腕白
わんぱくどもが呼ばはれど、
大人
おとなのやうに沈著
おちついて、
頭
かぶりを振つた京之介
きやうのすけ。
Aの字の歌
(少年雑誌のために)
Ai
アイ (愛
あい)の頭字
かしらじ、片仮名と
アルハベツトの書き初
はじめ、
わたしの好きなA
エエの字を
いろいろに見て歌ひましよ。
飾り気
けの無いA
エエの字は
掘立
ほつたて小屋の入
はひり口
くち、
奥に見えるは板敷
いたじきか、
茣蓙
ござか、囲炉裏
いろりか、飯台
はんだいか。
小
ちさくて繊弱
きやしやなA
エエの字は
遠い岬に灯台を
ほつそりとして一つ立て、
それを繞
めぐるは白い浪
なみ。
いつも優しいA
エエの字は
象牙
ざうげの琴柱
ことぢ、その傍
そばに
目には見えぬが、好
よい節
ふしを
幻
まぼろしの手が弾いてゐる。
いつも明るいA
エエの字は
白水晶
しろずゐしやうの三稜鏡
プリズムに
七
ななつの羽
はねの美
うつくしい
光の鳥をじつと抱く。
元気に満ちたA
エエの字は
広い沙漠
さばくの砂を踏み
さつく、さつくと大足
おほあしに、
あちらを向いて急ぐ人。
つんとすましたA
エエの字は
オリンプ山
ざんの頂
いただきに
槍
やりに代へたる銀白
ぎんはくの
鵞
がペンの尖
さきを立ててゐる。
時にさびしいA
エエの字は
半身
はんしんだけを窓に出し、
肱
ひぢをば突いて空を見る
三角頭巾
づきんの尼すがた。
しかも威
ゐのあるA
エエの字は
埃及
エヂプトの野の朝ゆふに
雲の間
あひだの日を浴びて
はるかに光る金字塔
ピラミツド。
そして折折
をりをりA
エエの字は
道化役者のピエロオの
赤い尖
とがつた帽となり、
わたしの前に踊り出す。
蟻の歌
(少年雑誌のために)
蟻
ありよ、蟻
ありよ、
黒い沢山
たくさんの蟻
ありよ、
お前さん達の行列を見ると、
8
はち、8
はち、8
はち、8
はち、
8
はち、8
はち、8
はち、8
はち……
幾万と並んだ
8
はちの字の生きた鎖が動く。
蟻
ありよ、蟻
ありよ、
そんなに並んで何処
どこへ行
ゆく。
行軍
かうぐんか、
運動会か、
二千メエトル競走か、
それとも遠いブラジルへ
移住して行
ゆく一隊か。
蟻
ありよ、蟻
ありよ、
繊弱
かよわな体で
なんと云
いふ活撥
くわつぱつなことだ。
全身を太陽に暴露
さらして、
疲れもせず、
怠
なまけもせず、
さつさ、さつさと進んで行
ゆく。
蟻
ありよ、蟻
ありよ、
お前さん達はみんな
可愛
かはいい、元気な8
はちの字少年隊。
行
ゆくがよい、
行
ゆくがよい、
8
はち、8
はち、8
はち、8
はち、
8
はち、8
はち、8
はち、8
はち………